第1話 覚悟の朝 その1

文字数 5,145文字

「それでさ、あの馬鹿は新歓でやらかしたわけよ」
「ああ、話に聞いている一気飲み?」
「そう! あれだけ先生たちに、絶対にやるな、って釘押されてたのに!」
「こんにゃくにはいくら力込めても釘させないからな~」

 居酒屋で飲んでいる大学生が四人。

「そう言えば永露? お前、引っ越したのか?」
「え?」

 オレンジジュースを飲もうとしていた永露緑祁は、自分に話を振られたので一瞬動作が止まった。持ち上げたグラスをテーブルの上に戻し、

「そんな面倒くさいことはしないよ! 今のマンションが一番、居心地がいいかな。だって宅配ボックスあるし」
「でもさ……。見たってやつがいるんだよな」

 緑祁の部屋から、彼とは全然違う女性が出入りしているのを見た学生がいるらしいのだ。

「しかもスレンダーで髪の長い絶世の美女。永露に彼女がいるわけない。そんなコミュ力があったら、俺たちと二年前から飲んでる。だとしたら……引っ越しじゃないのか?」
「ああ……」

 それは藤松香恵のことだ。彼女は最近、緑祁の下宿先に泊まりに来ている。理由はちょっと複雑だ。


「家族にはあのことは言えないわ。だって警察に通報しかねないもの」

 磐梯洋次のことを言っている。香恵は彼に誘拐され、数日間廃屋に幽閉されていた。これ自体はもう既に犯罪なのだが、被害届を出す気になれなかったのだ。

「脅されてやったって可能性があるわ……」

 蛇田正夫。洋次を霊能力者にした人物だ。彼に命じられ逆らえなかったのかもしれないと考えると、気の毒に思えてしまう。
 しかし、だからと言って心に傷を負わなかったわけではない。洋次には恨みは感じていないが、寂しい感触が精神を蝕んでいるのだ。

「緑祁がいいのなら甘えたいんだけど、そちらの家にしばらく泊まってもいい? 家事ぐらいはしてあげれる」
「いいよ。是非とも」

 そんな香恵を見かねた緑祁は、その訪問を受け入れたのだ。


(何と言って誤魔化そうか……)

 緑祁は思考を巡らせる。事実を言ったら絶対に深く聞かれる。あまり探られたくないので、

「お掃除サービスだよ」

 と言った。うまい具合に友人を家にあまり上げたことがない緑祁は、それを言い訳に選んだのだ。

「最近、部屋が悲惨なことになっちゃってね……。僕だけじゃ、絶対に綺麗にできない。両親に相談したんだけど、自分で頑張ってとしか言われなくて……」
「何をやらかしたんだ?」
「戸棚をひっくり返しちゃって……。ガラスや食器が全部、パリーン!」
「おお、それは酷いな。綺麗にしたら、永露の家で鍋しようぜ!」
「いいね」

 罪悪感はある。でも香恵の存在を知られたら、もっと大変なことになりそうだ。ただでさえ去年、偽香恵がキャンパスまでついてきてみんなからの総ツッコミに遭った。あの時は他大学の友人と偽ったが、今回はそれは通じなさそうである。
 一行は時計を見た。

「もう十時半か。そろそろ帰る?」
「そうだな。俺はもうたっぷり飲んでしまった!」

 他の三人は、顔が赤い。でも緑祁はケロッとしている。それは飲んでないからだ。用事があるというのが大きいが、そもそも彼はアルコールが好きじゃない。

「金は一人当たり……」

 みんなで割り勘して会計を済まし、外に出る。

「おっお~。さっむ!」

 春の夜の風は、まだ体を冷やしてくる。

「じゃ、俺はこっちだから! 月曜にキャンパスで会おうぜ!」
「おーう!」
「また飲もうぜ!」
「そうだね。じゃあね、また!」

 解散したら緑祁は自宅に直行した。

「ただいま」

 中には香恵がいる。テレビを見ていたようで、座椅子に腰かけていた。

「お帰りなさい、緑祁。飲み会はどうだった?」
「結構面白かったよ。みんな、話が上手くてすごい。僕は二年間仲間外れだったのか、って感じてしまった」

 感想を述べるのはこのくらいにし、二人は外出する準備をする。

「今から出発すると……到着は十二時頃になる?」
「そうね。場所は遠いし、【神代】から貸し出されたのはポンコツ軽自動車、高速道路は怖いわ」

 二人には【神代】からの依頼が待っている。ここから南に向かった先に、神社がある。そこで供養の手伝いをするのだ。昼間に行けばいいと普通なら思うし香恵もそう言ったのだが、

「土曜日は午後から軽音楽部の助っ人なんだ。そして日曜日は一日中、室内管弦楽団の手伝い。開いているのは、金曜日の夜から土曜日の午前中だけしかない」

 頼みを断れなかった緑祁がカレンダーを無視して予定を入れまくってしまったので、依頼にあてられる時間がそこしか取れなかったのである。
 近くの駐車場に停められている軽自動車のロックを解除し、乗り込んだ。

「僕が運転していい?」
「自信、あるの? 事故ったことがないとか?」
「あ! 去年一度だけ。でもあれは……」
「……私が運転するわ…」

 有無を言わせず、香恵が運転席に座る。仕方なく緑祁は助手席に転がり込んだ。カーナビをセットし、出発する。

「香恵、どういう場所なんだっけ?」
「そうね、【神代】から聞いている話によれば……」

 その神社や地域には特に曰くや因縁はない。ただ、しょっちゅう心霊写真や怪しい物が送りつけられるのだそうだ。その他にも処分しにくい物……お守りや飾り、神棚など……を沢山受け入れている。神主は霊能力者であり本来なら依頼を出す必要はないのだが、事故に遭って入院中らしい。

「退院してから供養するなりお焚き上げするなりすればいいのに……」
「それが、すぐにでも処分しないといけないくらいヤバいのがあるんだって。放っておくと、何か嫌なことが起こりそうな一品だってよ。早急に対処するべきだわ」

 夜道を進む二人を乗せた車。

「どんなのだろう? 髪が伸びる人形とか?」
「かもしれないし、普通の心霊写真かもしれないわ」

 とにかく見てみなければ判断のしようがない。
 スムーズに進めたので、一時間で現場に着けた。

「おお、来てくれたか!」

 神主の息子だ。彼には霊能力がないので、かなり困っていた様子。しかし緑祁と香恵が来たので安心し、表情が和らいだ。

「早速お願いするよ。もう、保管しておくこと自体が恐ろしいくらいだ……。俺には霊感はないし幽霊も見えない声も聞こえないけど、ヤバい! それだけはわかる!」
「どれですか?」

 本殿に上げてもらう。奥の部屋に案内された。

「うっわ……」

 思わず香恵が言葉を溢したほどの有様だ。それはいろんな物が置かれてごちゃごちゃしているからではない。呪いやその他の念が込められた物が多過ぎる。

「特にこれは酷いわね……」

 一枚の絵画に目が自然と行った。赤いドレスを身にまとった女性の絵である。

「噂によると、人の皮に絵が描かれているらしい! しかも赤い部分は人間の血!」
「本当だろうね、感じる!」

 緑祁もその絵がどれだけ暗く危ないのか、一目でわかる。

「これはこの世に残してはいけない! 早くお焚き上げしよう!」

 その準備は境内の庭でしてある。

「一人で持てる? 言っておくけど、俺は絶対に触りたくない! それをここに運び込んだ夜、悪夢を見たんだ!」
「もしかしたら、そっちに邪念が取り憑いているかもしれない。お祓いも一緒にしよう」

 緑祁が率先してその絵画を持ち上げ、お焚き上げの準備がされている庭に運び出した。

「よいしょっと」
「じゃ、始めましょう」
「待ってくれ」

 息子がストップをかける。

「何か問題でも?」
「それだけじゃないんだ、実は……」
「は。はああ?」

 実は神主の入院後、この神社に沢山の物が運び込まれた。それはそういう品のコレクターが亡くなられたからだ。遺族はこの忌々しい物を処分することに決め、この神社に運び込んだのである。

「それで遺族は解決したと思ってるんだけど、ここで問題になっているので……」
「じゃあ、あれら全部? お焚き上げするのかい?」

 コクンと頷く息子。

「……わかった。なら全部運ぼう」

 緑祁があの部屋に戻る。一人では量が多過ぎるので、香恵も手伝ってくれる。

「この杯……人の頭蓋骨でできている!」
「こっちのファイルは爪のコレクションだわ……。きっと生身のまま剥がしたのね……」

 他にも妖怪の掛け軸、日本人形、日記、写真、ツボ、服、ぬいぐるみ、剥製、酒、帽子、石、置物、仮面等々……。霊能力者である緑祁は触れただけで、それに込められた感情を読み取れてしまう。

「あまり良くない感覚だ」

 放っておけば確実に持ち主や周囲に悪影響を及ぼす。今までどうやって保存していたのか疑問に思えるくらいだ。

「とにかく全部焼いてくれ! 恐ろしくて留守番すらできない!」
「大丈夫よ、安心して」

 一通り外に出したので、一か所に集めて薪を周りに置き落ち葉や新聞紙を中に入れ、いよいよ始める。

「準備はいい?」
「いつでも! 速ければ速いほど!」

 緑祁はティッシュを一枚取り出してそれに鬼火で火をつけ、種火として薪の中に入れた。
 淡々と燃え始める炎。徐々に大きくなっていく。その火はとっくに日が暮れた周囲を昼間のように赤く照らし出した。

「大丈夫かな……」

 一つだけ、心配していることがある。それは曰く付きの品物に取り憑いている幽霊が襲って来るかもしれないということ。珍しいことではないので、火が消えるまで気が抜けない。

「今のところは順調ね」

 一番心配だったあの絵画にも、火が移った。メラメラと燃えるがそれでも幽霊が動く気配がない。

「念が込められていただけ、かな……」

 どうやら杞憂だったようだ。しかし最後の一つが燃え尽きるまで、ジッと見守る。

「香恵、【神代】の方ではどうなっているか聞いてる? 洋次たちのことなんだけど……」

 お焚き上げの炎を見ながら、緑祁が話を切り出した。

「捜索中とは聞いているわ。でもまだ見つからないらしいの」

【神代】も、霊能力者ネットワークに登録がない霊能力者を野放しにするわけがない。だから行方不明者が霊能力者とわかった途端に、以前よりも人員を動員し出した。それでも尻尾の毛すらつかめてないのだ。

「気になることが一つ、あるんだ……」

 語り出す緑祁。それは正夫が連行される前に、最後に残した言葉である。

「僕は、野望に既に渦巻かれている……」

 吉備豊次郎が残した言葉に対しては、緑祁なりに答えを見い出せたと感じている。しかしその直後にまた、正夫から意味深な言葉を残されたのだ。

「じゃあ……正夫にはまだ仲間がいるってこと?」
「かもしれない。それも彼の野望を受け継ぐ人、だ……」

 正夫の野望、それは霊能力者の秘密結社である【神代】の破壊だ。全く新しい別の組織を作り出すことで、それを実現しようとしていた。

「でも正夫は捕まって、今はもう精神病棟の中よ? 研究資料も【神代】が押収したし、もう増やしようがないはずだわ」

 もちろん正夫は【神代】から取り調べを受け、自分の野心、研究結果の悪用を全て白状した。その中には、洋次たち以外の仲間の名前は一つも挙げられなかったのだ。

「そう、だよね…」

 だから、これ以上彼の野心が生きているわけがない。
 のだが、どうも腑に落ちないところがあるのだ。

「どうしてあの夜、正夫は一人だったんだろう?」
「え…?」

 正夫と勝負したあの夜のことを思い出していた。彼には恐鳴という霊障発展があり、数の暴力で押し切ることは十分に可能だった。

「でも、本気で僕を排除したいのならさ、全員で来ない? 洋次や寛輔、それとあと三人だっけ? どうして彼らは最後の最後に正夫の味方をしなかったんだろうか?」

 だが目的の達成を考えるのなら、味方を全員投入するべきだ。少なくとも飯盛寛輔と洋次については、単独では緑祁には勝てないことがわかっているので、仲間で力を合わせた方が撃破できる可能性が高いと考えつけるはずなのではないか。

「確かに言われてみればおかしいわね。正夫は緑祁のことを優先的に抹殺したがってたわ。でも緑祁の前に現れたのは、寛輔と洋次だけ。他の確か、桧原秀一郎は辻神を、紬と絣は紫電を襲ったわ」

 彼らの目的である、緑祁の抹殺とは無関係な人に攻撃をしている。これも不可解なのだ。

「もしも本当に正夫に仲間が残っていたら?」

 まだ、野望は消えていない。

「ちょっと心配になってくるわね……」

 不安を感じた香恵はタブレット端末を取り出し、【神代】に連絡を入れた。内容は、

「正夫が本拠地にしていた虎村神社を調査せよ、と……」

 万が一回収し忘れた証拠があるのなら、この二度目の調査で全て解決できる。だからこれで安心できるはず。

「………」

 いや、二人はやはり不安だった。

「やっぱり洋次たちを捕まえないと、安心できないよ」
「そうね。それが一番の手だわ」

 お焚き上げの炎はまだ燃えている。その揺らぐ炎はまるで不安な未来を暗示しているかのようだった。
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