導入

文字数 3,934文字

 神代閻治は今、太平洋を進むフェリーの甲板の上に立っている。

「風が強いな」

 波も大きい。天気は良いのだが、この日の海は少し荒れている。しかしその程度では、閻治は酔わない。
 神蛾島に行くために、閻治はフェリーに乗り込んだ。しかし、数年に一度の頻度でしか行かない場所なのに、どうして彼は一年前に行ったばかりの島にまた行くのだろうか。
 答えは、彼の望みにある。閻治は、とある人物に会いたいのだ。その人物が今、神蛾島にいる。神代が実施する儀式に参加することが決まっていたからだ。

「どんな人物なのであろう……?」

 実際に会って話せば、その人となりがわかるだろう。だからこそ、一日もかかる航路をフェリーで進んでいる。
 今、風が変わった。弱い風だが、潮の匂いが喉の渇きを促してくる。閻治は船内に戻った。いつもは二等和室なのだが、一緒に行動している白鳳法積が、

「俺は余計に金を払ってでも個室にする! タコ部屋で雑魚寝なんて絶対にごめんだ!」

 と言い、平等院慶刻も、

「今回は俺、幽霊と霊障合体に関する論文書かないといけないから個室にするよ。タイピングの音って結構うるさいからね。トラブルは事前に避けよう」

 個室を選んだので、閻治も釣られるように個室にした。決して贅沢がしたかったわけではない。三人一緒に雑魚寝なら心配ないのだが、一人では防犯上の問題があると判断したためだ。金銭や物は盗る方が悪いが、自衛もしなければいけないのである。
 個室の冷蔵庫に入れてある麦茶を取り出し、蓋を開けてゴクゴクと飲んだ。潮で乾いた喉が一気に潤される。
 適当にベッドに腰かけてから、リモコンを手で取ってテレビをつけた。当然、こんな水平線の上では放送局の電波は拾えない。だから特別番組や映画、ドラマやアニメを放送している。もちろん【神代】が力を貸しているので、内容はほとんどがオカルト系だ。それ以外には【神代】の表の顔の、教育系や学術系の番組。

「まあ見ておくか」

 港を出たのは朝九時。今、午後二時頃だ。到着までは二十四時間かかるので、良い暇つぶしになる。当然スマートフォンは圏外なので、他に時間を費やせそうなのは備え付けのパンフレットか持ち込んだ携帯ゲーム機ぐらいしかない。閻治は時計を改めて確認し、夕食までの時間を確かめると、

「……少し寝るか」

 ベッドに潜り込んで瞼を閉じた。

 ピンポーンとインターフォンが鳴った。どうやら慶刻が起こしに来た様子。閻治はその音で目が覚める。幸い髪型と服は乱れてなかったので、一回うがいをして部屋を出た。

「飯の時間か」
「ああそうだ。早くしないと良い席が取れないぞ」

 太平洋に浮かぶ夕日を眺めながらの夕食だ。窓際は争奪戦になるだろう。慶刻は閻治のことを部屋から連れ出すと、法積の部屋のインターフォンを鳴らした。

「ん、何だ? 法積も寝てるのか?」

 だが、返事がない。中から物音も聞こえない。

「メッセージアプリは確認したのか?」
「この海の上じゃ、メールすら届かん。……多分先にレストランに行っているんだろう」

 このメンバーの中で食欲に一番忠実だったのは法積であった。

「まあいなかったら、どこか……風呂にでも入ってるんだろう。俺たちが待とうぜ」

 二人はレストランに向かった。入り口を通ると奥の方の席に、法積が座っていた。コップに注がれた水を飲みながら、メニュー表と睨めっこしている。

「お、やっと来たか!」
「悪くないセンスの席だ。これなら飯も美味くなる」

 ちょうど西側の窓に面した四人掛けのテーブル。夕焼けで赤く照らされた海面を見ることができる。

「航海は予定通りだ。明日の朝には神蛾島に着くだろう」
「しっかし、どうして閻治は神蛾島に? 去年の今頃に行ったばっかりだろう? そんなに用事がある島じゃないって、前にも言ってなかったか?」
「そうなんだがな………」

 事実だ。【神代】の発祥の地と言えば聞こえはいいかもしれないが、今は本拠地は本土にある。閻治や【神代】の血筋の者がここに用事があるのは、ハッキリ言ってしまえば人生での大きなイベントの時……冠婚葬祭くらいである。

「是非とも会いたい人物がいるんだよ」
「神蛾島にか?」
「いや、そうじゃない。今、島に来ているから会いに行く!」
「それ、ただの手間じゃないか……」

 法積は言う。【神代】の情報網を使えば、閻治が会いたい人物くらいいつでもすぐに呼び出せるはずだ。どうしてそれをしないのか、

「俺も気になるな」

 慶刻もクエスチョンマークを頭の上に出した。

「儀式を執り行う、重要な役目がある人物だ」
「そんな大物なのか!」

 違う。【神代】においてはそこまで重要な人物ではない。

「じゃあ何でだよ? 片道一日! 往復で二日もかけてまでどうして島に行く?」
「特例だ……!」

 閻治が会いたい理由。それは特例が許された人物なのだ。

「どんなことを考え、感じるのか。人柄は? それを測るためにも会う。そしてそれは、その儀式が行われる神蛾島が相応しいだろう」

 島で行われる儀式が特例なのだ。
【神代】には、禁霊術がある。あまりにも危険、または道徳や倫理に反することなので、全面的に禁止されている。今のところは四つある。その内の一つが、厳重な監視や準備もあるが、許可が下りたのだ。
 前例がないことなので、【神代】の内部でも衝撃が走った。でも現代表の神代富嶽は、ゴーサインを出したのだ。

「だがその儀式、今日だったんじゃ?」

 慶刻の言う通りである、こうして閻治たちが海の上を進んでいる間にも、その儀式は終わった。閻治たちは間に合わなかったのである。

「まあ我輩はその儀式には興味なかったし。あくまでも知りたいのは行ったヤツのこと!」

 メニュー表を見ながら法積が、

「会ったことはないのか、ソイツには?」
「ああ、そうだ。メール一通、電話一本も交わしたことはない」

 名前も今回、初めて聞く。

「人間だよな? 一応、生きてはいるんだよな?」
「当たり前だ!」

 とりあえず注文を先に決めたい。

「俺はラーメンでいいや」
「カレーライスにしよう」

 閻治はいつも食べているエビフライの定食にする。店員を呼んで注文を伝え、料理が出来上がるのを待つだけだ。先にジュースは用意された。瓶のオレンジジュースをコップに注ぎながら、

「海を見ているといつも思うことがある」

 語り出す閻治。

「何を?」
「半世紀も前、この海に散って行った人たちがいた。その者たちは成仏できておるのだろうか。敵も味方も関係ない。未練と後悔で海を彷徨っておるのではなかろうか……」

 平和に溺れ、傷つくことを捨て、日常を送るだけの日々。それが、戦争で亡くなられた人たちが望んだ未来なのだろうか。

「わからない。でも一つだけ言えることがある」

 慶刻は、

「争いがない世界こそが、人類が目指すべき平和なんじゃないかな? そういう意味では現代人はちゃんと理想を築けてるとは思うよ」

 今日明日を確実に生きることができる今の時代こそ、彼らが望んだものだと言った。

「俺たちは今の時代に胡坐をかいていればいいんさ。生きていれば勝ち、だろう?」

 そう言うのは法積だ。戦争を知らない自分たちにできることはあと、

「霊を慰めること、だ。拝んで祈って、その命の尊厳とする」

 それくらい。でもそれが大事で、欠かしてはいけないこと。

 料理がまもなく運ばれてきた。

「また! お前はどうしてアレルギーを無視して甲殻類を食べるんだ! 見ていると冷や冷やする! それをこっちに寄越せ!」
「何度も言うが別に心配する必要はないぞ、法積! 我輩の薬束を使えば、アレルギーなんぞ無視できる!」

 エビフライにソースをかけてから、大きな口で食べる閻治。舌がヒリヒリする食感だ。

「美味いな! ビリビリくる!」
(ただのアレルギーだろう、それは……)

 ラーメンをすする法積はまだ心配そうな眼差しを閻治に向けているが、慶刻は安心し切った表情でカレーを食べている。
 夕食を済ませた三人は、それぞれの個室に戻る。その前に閻治は売店により、おにぎりを一個買った。

「まだ食べるのか?」
「そうではない。これは海に散った全ての命に捧げる」

 それを聞いた慶刻と法積も、違う味のおにぎりを一個ずつ購入。そのまま閻治について行って甲板に出る。

「もう暗いな。夜の海って怖くないか? 水平線に無限に広がる闇! って感じだ……」
「言えてるぜ……」

 顔を上に向ければ、星々が光り輝いている。その一つ一つが、戦没者の魂なのだと感じた。

「じゃ、捧げるか……」

 包装を破いたおにぎりを海に向け、黙祷。心の中で読経をする。二分くらい経つと、

「受け取れ!」

 閻治がまず、おにぎりを海に投げ入れた。

「成仏しますように…」

 続いて慶刻が、最後に、

「安らかに永らくお眠りください……」

 法積がおにぎりを海に投げ入れる。フェリー自体が動いていること、夜の波もあってあっという間に見えなくなった。

「海の魚が食っちまうかもな…」

 普通に考えればそれが当たり前だ。でも閻治は確信している。捧げた食べ物は絶対に死者のところに届いているはずだ、と。

「戻るか。夜の海の風は冷たいな」
「ゲームしようぜ! 今回は三人分、持って来たから!」
「でも慶刻の部屋、研究資料でいっぱいじゃないの? だったら俺の部屋の方がいいよ。てか、論文は大丈夫なのかよ?」
「息抜きは本番より大事だぞ?」

 彼らは霊能力者である。甲板の上では確かに不思議な雰囲気を醸し出していた。でも同時に、普通の人間でもある。船内に戻れば、ごまんとありふれたただの若者だ。

 上陸まであと十六時間くらい。途中、伊豆諸島の他の島にも寄る。彼らを乗せたフェリーは夜の海を静かにゆっくりと、でも確かに進んでいた。
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