第9話 白刃取り その3

文字数 2,981文字

「ぐ、ぐおおおおお!」

 風圧で体が持ち上がり、吹き付ける水が体に傷を入れる。

「だ、だが! 思い通りに行ったのはオマエだけじゃないぞ!」

 体が浮くことを、ヤイバは待っていたのだ。すぐに砲丸をいくつも生み出し鎖をつけて自分の体に巻き付ける。そうすれば重さに耐え切れず、体は落ちる。その、位置関係が大事なのだ。

(これだ! コイツと式神の間! オレはこの位置が欲しかった!)

 そして緑祁の方を向けば完璧。式神は、隙だらけのヤイバの背中に攻撃をしてくるだろう。離れているからチカラを使うはずだ。

(その瞬間! オレがジャンプしてかわせば、逆にコイツを倒せる! さあ式神ども、やって来い、撃って来い!)

 その目論見通り、[ライトニング]が声を上げた。眩い光が迫ってくるのが、後ろを向いているヤイバにもわかる。

(今だ!)

 鉄棒を地面に突き刺し登って、その先端を蹴って上に飛んだ。すぐにその下を精霊光がかすめた。

(勝った!)

 ヤイバは思った。これが直撃すれば、いくら緑祁でも立っていられないだろう。
 だが、そう思ったのはヤイバだけではない。緑祁もなのだ。

「そういう発想は悪くないよ。でも! 僕はこの精霊光を攻略したことがあるんだ!」
「何だと…?」

 精霊光が緑祁に迫る。しかし驚くことに、それは軌道を変えてヤイバの方に向かった。
 既に鬼火で空気を熱していた。そして旋風で空気の流れを操作し、陽炎を生んだ。それが光を屈折させ、精霊光の進む向きを百八十度曲げたのである。

「そういうことか! ならばオレも!」

 ヤイバは今起きたことを冷静に理解した。精霊光は霊気が込められていても、所詮は光。ならば鏡を用いてさらに反射できるはず。

「やはりオマエがそれをくら……」

 だが、背中に衝撃が走る。
 堕天闇だ。この隙だらけの絶好のタイミングを、[ダークネス]が逃すはずがない。[ライトニング]を傷つけられて彼女はご立腹だ。だから堕天闇を放った。それがヤイバに当たり、彼の態勢を崩したのである。その手から、鏡がすっぽ抜けた。

(ま、まさか……! 意志が強いのは、オレじゃなくてアイツの方なのか……? こんなことが、あり得るのか………?)

 直後に精霊光が、ヤイバの体に命中し激しい光を放った。

「ぐうううおおおおおおおおおっ…………!」

 ヤイバは着地に失敗し、地面に落ちた。


「や、やった……?」

 式神には予め、ヤイバを殺さない程度にチカラを使うよう指示してある。だから死んではいないはず。でも、もう起き上がれるほどの力も残っていないだろう。ヤイバは既にボロボロだ。いわば、刃こぼれして切れ味を失った状態。

「………ぐ、うっ!」

 しかし緑祁の予想とは裏腹に、ヤイバは起き上がった。

「もうやめろ、やめるんだ! そんな体ではこれ以上の戦闘は無理だ。その体の持ち主の、そっちが一番わかっていること!」

 見ただけでもヤイバが受けたダメージは甚大だ。何せ、あの精霊光と堕天闇をほぼ同時に受けたのだから。手加減してあったとはいえ、それでももう戦える体力はどこにも残っていないはず。

「う、うるせえ………! オレの意見は違う…。まだ、だ! こんな程度で諦めてたまるか…! 今のオレの願いはただ一つ……! オマエを倒し、その向こう側に隠れている皐を、殺すことだ…!」

 意志が折れていない。だからヤイバは立ち上がり、構える。機傀を使って日本刀を握りしめるが、体の状態が反映されているのか、その刃はもうズタボロ。式神どころか、人ですら切れるかどうか怪しい。立っているのがやっとの様子……いいや、もう既にふらついている。

「オレが、ここで折れる、わけにはいかない……んだっ……!」

 心だけで動いているのだ。

「ヤイバ……」

 緑祁は思った。そして意外なことに、[ライトニング]と[ダークネス]を手元に呼ぶと、彼女らを札に戻してしまう。

「ん何だ? ここにきてオレを舐めやがって……。式神ごと、かかって来い………! ぶった斬ってやる…!」

 復讐をやめるつもりがないのは、言葉にも表れている。
 そして緑祁は衝撃的なことを言い出した。

「もう、いいよ。僕はやめる」
「何だと……?」

 霊障すらもう使う気はない。
 緑祁は感じたのだ。

(ヤイバ……。もし僕が彼だったら、どうだろう? 香恵や[ライトニング]、[ダークネス]が傷つけられたら、謝られても許せないはずだ。きっと彼と同じく復讐を選ぶんだろう。それが正しいか間違っているかに関わらず、僕が許せないから。それはヤイバも同じだ。ヤイバも皐が許せない。【神代】が処罰を下してもそれが、心の傷を満たすとは思えない。彼はもう、復讐を成し遂げることでしか救われない……。少なくとも今僕がここでヤイバを捕まえたら、彼は病棟に逆戻りだろう。そうしたらまたいつの日か、復讐を企てるに違いない。怨みの連鎖が途切れないんだ、それでは……。僕が同じ立場だったら、どんなことがあっても復讐を諦めないと思う)

 だから、ヤイバに好きにやらせようと。自分でも危険な発想を抱いていることは承知している。

(でも、僕がやるのとヤイバがやるのは、何が違うの? 僕だから許されて、ヤイバだから許されないの? そんなことない。僕もヤイバも、一緒なはずだ)

 それは、復讐に関わらず人を傷つけたら処罰を受けることを意味しているのではない。
 この時の緑祁には、ヤイバの姿が自分に見えた。

(彼は、復讐という手段で自分の過去に落とし前をつけようとしているんだ)

 緑祁にも、苦い過去がある。未だに足を引っ張っているほど、思い返したくない過去だ。それはヤイバも同じ。信じていた仲間に裏切られ、八年間も病棟に幽閉された。種類は違えど苦しく悲しい過去。それを緑祁もヤイバも背負っている。

(僕は、ヤイバが羨ましい。それで過去を清算できるなら………。嘆きの記憶に終止符を打てるなら、どれだけ楽になれるか……)

 自分と重なったから、緑祁は戦いの手を止めたのである。

(僕の負けだよ、ヤイバ……)

 戦いには勝った。でも精神では敗北した。

「ヤイバ、僕はもうそっちに関わらないよ。今日だって見なかったことにする。皐に復讐をして、それで過去から救われるなら…! でも一つ約束してくれ。どんなに相手が憎くても、命だけは奪わないでくれ……!」

 と言い残し、緑祁はその場を去ったのだ。


 香恵の下に戻った緑祁。自分がしてしまったことを彼女に打ち明ける。復讐の是非が問われているが故に、緑祁にとってもかなり苦しい判断だった。

「そう……」

 としか香恵は言わない。彼女も緑祁の過去を、この間民宿で聞いた。同じ過去に暗部を背負っている者同士にしかわからないことだろう。だから香恵は、

「情が移ってしまったのね。それは仕方がないことだわ……」

 緑祁を慰めることに徹する。

「ううん、香恵……。僕のことを叩いていいよ。寧ろ叱って欲しい。僕は間違った判断をしたんだ、今頃後悔するぐらいに」

 指名手配された相手を打ち負かしたのに見逃すなんて、許される話ではない。

「いいのよ、それで。怨みを昇華させるには、晴らさせるしかないわ。だから緑祁の行為は、何も間違ってはいないわよ」

 二人は一応【神代】に、大学近辺でヤイバを見かけたと報告は入れた。だがそれ以上のことはしない。式神の傷を治すためにも足早に民宿へ戻った。
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