第2話 過去からの解放 その1

文字数 3,803文字

 この二月は、激動の時期になりそうだ。それは永露緑祁にとっても、彼が想いを寄せる藤松香恵にとっても、そして二人と関係がある人たち……ひいては【神代】にとっても、だ。


「……うん、明後日なら僕も大丈夫だよ。試験は今日で終わったから…」

 緑祁は自室で電話をしていた。相手は香恵である。試験の出来はあまり良くなかったが、彼女の声が聞ければ鬱な考えも晴れる。

「香恵の方は何も予定はないの? 学校とかはどうなっているんだい?」
「それは秘密よ」
「………。で、えーと…。行きたい場所とかはある?」
「そうね。前回は結局観光できなかったから色々見て回りたい欲はあるわ。でもそれ以上に緑祁に頼みたいことがあるの」
「僕に?」

 困惑する緑祁。

「一体何を、だい? 僕じゃないといけないことって……?」
「【神代】からの依頼なんだけど。詳しくは行ってから話すわ」

 それ以上は何も答えてもらえなかった。緑祁は【神代】にアクセスすることも考えたが、そのデータベースを見ても腑に落ちる解答はなく、香恵の到着を待つことにした。


(まさか、もう来ないとか、そういうことじゃないよね……?)

 もったいぶられるとどうしてもマイナスな思考に襲われてしまう。彼は新青森駅にあるカフェで香恵を待つことに。

「あ、緑祁!」

 予定していた時刻に到着したようで何より。それ以上に彼女が暗い表情をしていなかったことにまず、胸をなでおろした。
 香恵も席に座って注文を済ませコーヒーが来ると、それを一口飲んでから、

「実は、こういう依頼があるのよ」

 カバンからクリアファイルを取り出し、緑祁に見せた。彼はその書類の一か所に目をやった。

「怨霊の除霊? これが、香恵が僕に頼みたかったことなの?」

 除霊の難易度こそ高めだが、霊能力者ならば誰にでもできそうなことだ。それをわざわざ、緑祁に持って来たのにはちゃんと理由があった。

「ここを見て欲しいのよ」

 香恵が示した箇所には、住所が記載されている。

大間町(おうまちょう)峯花寺(みねはなでら)……って、えええ? 僕がここに行って、除霊をするってこと?」

 それは本州の最北端の町。そして緑祁が生まれ中学まで育った町でもある。
 同時に、拭いたくても拭えない過去がある場所。

「緑祁の過去はわかっているわ」

 偽香恵に打ち明けた内容を以前緑祁は本物の香恵にも伝えていた。だから香恵が、彼の育った町に戻って仕事をすることを提案してくるだなんて思ってもみなかったのだ。

「で、でも……」

 香恵からの提案でも、流石にすぐに頷けない緑祁。嫌でも昔の記憶が鮮明に蘇ってしまう。

「嫌ならいいわ…。私は緑祁に、過去を克服してもらいたいって思ってたけど、振り返ることすら苦痛なら、無理はしない方がいいに決まってるわよ。そちらの心境や感情を最優先して」

 その問いかけに緑祁は首を縦に振って答えようと思った。

(待て……)

 しかし、待ったをかけたのは緑祁自身だ。

(僕はこのまま、逃げてていいのかな? 当時の同級生たちが全員、地元に残っているとは限らないしもう五年前の話なんだ。噂があっても廃れているだろう。それに……)

 まずは地元の事情を考える。未だに彼のことを邪険に思う人はもういないだろう。忘れている可能性だってあるのだ。

(それに、この機会を逃したら僕は、永遠にトラウマから抜け出せない気がする……。一々過去に縛られてたら、未来への道も見い出せないし歩めない! この先の人生、どこかで克服しないといけないんだ! そしてそれが、今、なんだ!)

 加えて、緑祁自身も昔のことを清算したかった。周囲の人を恐れて実家に帰れないという状況は、いくらなんでも辛すぎる。

「香恵、僕は行くよ……」

 緑祁は答えた。

「本当に、いいの? 無理はしないでよ」
「無理じゃないさ、これは義務! 僕はいつの日か、過去を洗い流さないといけないんだ。その予定が早まっただけだよ」

 実を言えば、周囲の人の目が怖い。だがそれでも行かなければいけないと感じた。
 二人はこの日の内に大間町に移動する。


 実家の玄関の鍵を開けるのは、本当に五年ぶりだ。お盆も年末も、緑祁は一度も帰省したことがなかった。両親からはいつでも帰って来いと言われているが、その気にいつまで経ってもなれなかったのである。

「た、ただいま……」

 今日中に帰る連絡は入れてある。

「緑祁、お帰りなさ……」

 まず最初に彼を迎え入れたのは、母だった。久しぶりに息子の顔を見た母は、懐かしさを感じたに違いない。けれどもそれは、緑祁の隣にいた人物のせいで吹き飛んでしまった。

「藤松香恵です、よろしくお願いします」

 ホテルを予約する手間を省くことになったために、香恵は緑祁の実家に宿泊することを選ぶ。そしてそのことを恥ずかしがって緑祁は親に伝えていない。

「う、嘘でしょ緑祁? こんな綺麗なお嬢さんを連れて? 戻って来たの? まさかまさか!」

 嬉しそうにスリッパを用意し、

「さあ香恵ちゃん、上がって! 緑祁と一緒って疲れるでしょう? さあさあ、急いで客間を掃除するから、リビングで待っててちょうだい!」
「ありがとうございます」

 ここでは緑祁は質問攻めにはならなかった。だから夜は覚悟している。
 母が部屋掃除をしている間、緑祁と香恵はリビングのソファーに腰かけた。

「家族とは上手くいっているの?」
「まあまあかな? 両親は僕が霊能力者であることについては半信半疑なんだけど。でも一人暮らしについては反対はされなかったよ」

 事実定期的に仕送りをもらっているし、緑祁もお礼にバイト代を送金している。家族の間には確執はない。

「問題は、かつての同級生なんだ………」

 自室に戻った緑祁は卒業アルバムを引っ張り出した。一応自分も写っているが、他の人たちの顔は全然記憶にない。特に親しかった友人すらいないのである。

「彼らは今、どうしているんだろう? この町に残っていたりするのかな?」
「流石に一般人の履歴は【神代】でも追えないわね」

 二人は時計を見た。まだ二時半。今からでも依頼には遅くない時間帯だ。でも緑祁は、外に出ることを渋った。

「日が落ちたら、にしない? 峯花寺にはすぐに到着するから、そんなに遅くはならないと思うよ」
「それでいいわ。じゃあ私はそれまで緑祁のお母さんのお手伝いでもしようかしら?」


 午後九時になった。本当は二時間前に出発する予定だったのだが、両親が緑祁と香恵にニヤニヤ質問を投げつけてきたために遅れたのだ。

「あそこまで聞くかい、普通……?」
「だって初めてだったんでしょう? じゃあ仕方ないわよ」

 件の寺院は、緑祁も一度だけ訪れたことがある。彼が霊能力者であることを見抜き、その名前を霊能力者ネットワークに登録した場所だ。
 でもそのせいで自分と他人の間に壁を作ってしまった。だからそこもあまり思い出したくない所である。

「よく来てくれた! いやあ私だけでは解決できなさそうなので困っていたところなんだ!」

 ちなみに住職は緑祁の存在に気づいていない様子だ。ただ彼の場合、その方が居心地がいい。昔のことを一々思い出さなくて済むからである。

「マンションの建設予定地での怪奇現象、よね? 怨霊の仕業って言ってたけど」
「そうなんだ。私の霊能力は雑魚過ぎて、あれほどの幽霊を祓うことはできない。だから募集したんだよ。君たちがやってくれるのかい?」
「そうですね。いけますよ。僕だけでも十分です」

 自信はある。だから緑祁はハッキリと、できると答えた。

「ならば明日……」
「いいえ今からで!」
「急いでいるのかい? 何も今日中にする必要はないぞ? 外は雪だ、止んでからでも遅くはないよ」
「急がせてください……」

 深いワケを言わなかったが、住職は納得してくれた。

「でも少しだけ時間をくれ。除霊に必要なアイテムを準備するから」

 支度ができたのは、一時間後であった。マンションの建設予定地は、緑祁がここにいた時代は普通の公園だった場所。

「建設会社の人によるとな、勝手に物が落ちたり壊れたり起きるそうで……。一か月前に作業員が足場から落ちて、入院中。その事故以降、工事は止まっているんだ。私が霊視したら、ハッキリと怨霊の姿が見えたよ。これは間違いなく、この場所に思い出がある幽霊の仕業だ」
「思い出、ですか……」

 緑祁は違和感を抱いた。
 その幽霊にはこの場所に思い出があるのだ。対する自分は、そんな愛着のある場所ではない。いつも学校の帰り道で、遊具やボールで遊んでいる同級生のことを見ていた。それに混ざれなかったのは、楽しそうにしている子供たちの周りに幽霊がいたから。見えなかったら気にせず友人たちの輪に入れたはずだ。

「さっさと始めましょう」

 緑祁は除霊を進行させる。蝋燭に火を灯し、鈴を振って幽霊に話しかける。今それは、プレハブの屋根に腰かけ足をばたつかせている。

「この世ならざる者、どうしてこの場所にこだわる? どうしてこの世に留まろうとする?」
「うるさいうるさい」

 会話は一方的に打ち切られる。怨霊は緑祁のことを睨み、

「あっちにいけ、あっちにいけ」

 と繰り返す。

(同情しちゃ駄目だ。あれはここにいてはいけない存在なんだから! 祓うんだ!)

 心を強くして、念仏を唱える。すると怨霊は苦しみだして、言葉にもなっていない悲鳴を叫んだ。

「私も手伝うわ」

 香恵も読経してくれたので、除霊自体はスムーズに進んでいる風に見えた。
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