第3話 屈辱の雪解け その3

文字数 3,484文字

 意気込みを聞いたら、先に仕掛けたのは彭侯だ。両手を合わせてから少し指を開き、その間から水を繰り出した。

「鉄砲水……」

 ありふれた霊障。これに対する緑祁の行動は、鬼火だ。

「あ、コイツ! 熱気でオレの鉄砲水を蒸発させやがった! こんな防御をしてくるとはぁ!」

 常識を知っていれば、火は水に負けると思いがちだ。しかしそこが盲点であり、緑祁の鬼火なら相手の激流ではない鉄砲水を蒸発させることはできなくはない。

「反撃開始だ、いくよ!」

 旋風を起こして、彭侯と山姫を襲う。二人とも吹き飛ばされそうになったので、お互いの腕を繋いで踏ん張った。

「駄目か……」

 二人分の体重となると、持ち上げるのは不可能の様子。

(ここは霊障の合わせ技で…!)

 旋風と鉄砲水を合わせた、台風。これで攻める。

「いっけえええ!」
「させないヨ!」

 しかし山姫が動いた。彼女が起こした礫岩が、地中から地面を貫いて岩を飛び出させたのだ。これが壁となって、台風は阻まれる。

「これが噂に聞く礫岩ね。地面と岩に関する霊障……」
「そうなのかい? じゃあ僕がさっき転んだり立ち上がれなかったりしたのは…」
「ええ。これのせいよ」

 緑祁の視線は無意識の内に下に行く。地面が不自然な動きを見せないかどうかを伺っているのだ。

(地割れとかもできたりするのかな……? だとしたら、危ない…!)

 式神の方を一瞬見る。まだ辻神のことを捕まえられていない様子。

(ここは僕が二人を倒す!)

 自分にならできると何度も言い聞かせる。鬼火と旋風を足した、火災旋風で攻めるつもりだ。生み出した風に鬼火を乗せて解き放った。

「こ、コイツは…! 霊障を組み合わせている! オレたちと一緒だ! 同じようなことをしているぞ、山姫!」
「でも心配はいらないワ。だったら彭侯の方が上だもん」

 彭侯は上に向かって鉄砲水を何度も放水した。それがシャワーのように降り注ぎ、上から火災旋風を消火したのだ。

(い、今……。彼は何て言ったんだ…?)

 緑祁には降り注ぐ鉄砲水よりも引っかかったことがあった。先ほど彭侯は確かに、

「オレたちと一緒」

 と言った。その後は、

「同じようなことをしている」

 と続いた。
 それはつまり、彼らも霊障を合体させているということ。

(でも、今までのやり取りの中で、それはいつあった……? どのタイミングで? そもそも、何と何を合わせていたんだ……?)

 もっと深く考えようと思ったその時、突然膝が崩れた。

「………!」

 悲鳴を上げようにも、喉が腫れていてできない。そして立ち上がろうにも、節々に痛みを感じて力を入れられない。

「ど、どうしたのよ緑祁?」

 数歩後ろで見ていた香恵ですら、理解ができないことが起きていた。

(あ、熱い…。頭も痛い。何だこれは、一体……? 何もしてないのに、悪寒がする。めまいがして吐き気も。何でいきなりこんなに具合が悪くなるんだろう……?)

 顔を真っ青にして緑祁は地面に倒れた。

「これがオレの霊障合体(れいしょうがったい)汚染濁流(おせんだくりゅう)だ! 今アンタの体は、例えるならばインフルエンザ並みの病に侵されている。放っておけば、死に至る!」

 それを聞いた香恵の頭の中に、真っ先に浮かんだ単語が一つ。

(毒厄……!)

 病を意図的に起こせる毒の霊障。それが緑祁の体を蝕んでいるのだ。
 だが、毒厄は数メートルでも離れた相手には影響を及ぼせない。早い話が直接触れないと術中に落とせないという、距離的なデメリットがあるのだ。
 それをクリアするために、彭侯は毒厄と鉄砲水を混ぜた。毒厄の効果を付与した鉄砲水に触れれば、発病するという寸法。そのギミックに緑祁はまんまとはまった。

「緑祁、緑祁!」

 彼の体をさする香恵。しかし思いとは裏腹に、緑祁の体調は悪くなる一方。

「無駄だぜ? オレが霊障を解かない限り、緑祁の病は治らない! それが毒厄って、アンタもわかってんだろう? 確実に死んでもらう!」

 彭侯は香恵にも汚染濁流を撃ちこもうとしている。だが、

「どわわ!」

 急に何かに弾かれたかのようにその体が吹っ飛んだ。

「[ライトニング]と[ダークネス]…! 来てくれたのね!」

 まるで主人の危機を察知したかのように二体の式神が、辻神との戦闘を中断して緑祁に駆け寄ったのだ。実は緑祁が式神の札を持っているから、汚染濁流が札にしみてしまい、緑祁ほどではないが[ライトニング]と[ダークネス]も病に苦しんでいたために戻って来たのである。
[ライトニング]が緑祁の体を、[ダークネス]が香恵を乗せると二体の式神は夜空に羽ばたいた。

「おい、待て! 逃げるのかよ! クッソーこいつめ! 降りてきて戦えってんだ!」

 彭侯が怒鳴ったが、香恵は逃げることを優先した。

「スー、スー。はっ、どうするよ、彭侯? 逃げられちゃったヨ…?」
「ヤバいぜ……! オレの毒厄は確実に緑祁を死に至らしめるが、もう一人に逃げられちまったら……」

 嫌な汗が首筋に流れるのが、二人にはわかった。
 だが、

「気にすることはない、山姫、彭侯。いずれは【神代】にもバレてしまうことだ、その時期が早まったと考えろ」

 と、辻神は言う。

「計画が乱れはしたが、求める結果は変わらない」

 では、彼らは一体【神代】に何を求めているのだろうか?

「私たちの先祖が味わった屈辱、その謝罪。【神代】に頭を下げさせることが私たちの目的であって、無念を抱いて死んでいった先祖への供養でもある」

 ただ、謝って欲しいのだ。
 彼らの先祖は【神代】のせいで『月見の会』を裏切ってしまった。その屈辱の血と魂を受け継いでいる三人は、【神代】を崩壊させることは目論んではいない。それは確実に失敗するとわかっているからである。
 だからこそ、今まで待った。【神代】の前の代表である標水が死んで三年、処刑や粛清などと言った物騒な単語が全く交わされなくなった……【神代】が弱い姿勢を見せるようになった時まで。今の【神代】の体制なら、むやみに自分たちを抹殺することは選ばないはず。逆に事態を重くして交渉のテーブルにさえつければ、こちらの言い分を通しやすくなるのだ。

「いいか、彭侯、山姫。今晩は特別な夜になった。今日から私たちと【神代】との戦いが始まったのだ。厳しい道になるだろうが、必ずついて来い!」
「そのつもりだヨ!」
「今更そんなこと言うな!」

 覚悟が決まっているのは辻神だけではない。山姫も彭侯もだ。雪辱の雪は、解け始めているのである。


「全然良くならないわ……」

 香恵たちは葛西臨海公園まで逃げていた。その先で緑祁の手当てを行おうとしたのだが、怪我がどこにも見られないのだ。[ライトニング]と[ダークネス]は不安そうな顔をする。

「私の慰療では、怪我や物理的な損傷は治せても病気には手を出せないの……」

 悔しいことに、それはできない。仮にできていたら彼女自身、寄霊に取り憑かれた際に自力で昏睡状態から脱出できているはずだ。一応式神の方は毒厄に汚染されたのが札だったため、そちらが渇くと苦しみは消えたようではある。
 ますます状態が悪くなる緑祁に何もできないことを改めて認識すると、自分に対する怒りで涙がポロポロと零れる。

「どうして私はこんなにも無力なの? 緑祁のことを助けてあげられないのよ? 緑祁や紫電は成長しているのに、どうして私だけが取り残されて……」

 しかしその時、彼女の脳裏にあるものがチラついた。
 それは大間町で見た、迷霊を祓った後に出現した光の球体だ。

「新しい霊障が発現するかもしれないぞ?」

 確かにあの時、住職はそう言った。彼女はそれを思い出したのだ。

「お願い! 神よ聖霊よ、私の願いを聞いて! 緑祁のことを、治して! 私にそれができるだけの力を貸して!」

 そう願った瞬間、想像していた光のオーブが頭の中で弾けた。すると少しの高揚感が香恵を襲う。

「できる……?」

 緑祁の頬を撫でた。するとどうだろう、さっきまで死んだように青い顔をしていた緑祁の顔に、血の気が蘇ったのだ。

「これは、薬束……?」

 毒厄とは真逆の、毒を浄化し病を治す霊障だ。香恵はそれに今、覚醒したのである。

「いけるわ、緑祁! もう緑祁を苦しませないわよ……!」

 そうとわかれば体全身をさする。彼の体調が良くなるまで、何度も何度も。

「う、う~ん……」

 ついに緑祁が目を覚ましてくれた。

「緑祁っ!」

 嬉しさのあまり香恵は彼のことを抱きしめる。

「わわっ。どうしたの急に! 香恵……?」

 驚いて緑祁は変な声を出した。でも自分が無事であることと、香恵が治してくれたことを直感したために、彼の方からも香恵のことを抱きしめた。
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