第3話 遭遇した その1

文字数 3,724文字

 時刻は夜中の二時半。こんな時間に外を歩いているのは、終電を逃した酔っ払いか相当な物好きな人間だろう。だが、刹那と絵美はそのどちらにも属さない。

「こっちを真っ直ぐ」

『橋島霊軍』の慰霊碑は、その道を進んだ先にある断崖の上だ。【神代】に属するのを屈辱と感じた多くのメンバーが、そこから身を投げて自決したらしい。また、近くにはウシやブタ、ニワトリといった食用の動物の骨を埋葬して供養する(ちく)供養塚(くようづか)もある。当然そちらも獄炎が代表だった傀儡時代に【神代】によって設けられた。

「安らかに眠れ。汝たちの血や肉は、我らが有難くいただいている――」

 塚にある石碑の前で線香をつけて拝み、それから道に戻る。一旦林の中に入り、そしてそれを抜けると、そこが、かつて『橋島霊軍』が拠点としていた場所だ。小さな村であったらしいが、今はその存在を後世に伝える慰霊碑が一つ、突っ立っているのみ。その石碑も、

「うわっ……」

 バラバラに砕け散っている。
 これが、緑祁の犯行であるらしい。
 刹那は散らばった石の欠片を拾い上げた。

「この鼓動、かつて味わったことがある――」

 紛れもなく、その破片から感じ取れるのは緑祁の霊気だ。指紋が誤魔化せないように霊紋も嘘をつかない。

「どう?」

 絵美の問いかけに刹那は、力なく頷いた。

「そう、なのね……」

 この受け入れがたい現実。いざそれを目の前にすると、無理矢理納得する以外に選択が残っていない。

「あり得ないはずなのに……。動機がないじゃない! 緑祁がこんなこと、する? 青森で起きた霊界重合を鎮めて、修練も捕まえた人が! 【神代】に逆らう真似なんて、できっこないはずだわ!」
「同感である。彼は隣接世界の住人を式神に変えることで、その命・魂をこの世に繋ぎとめた。そのような優しさ溢れることができる人が、何故慰霊碑を破壊したのであろうか――」

 こうなると【神代】はおそらく、動機をでっち上げるだろう。何か適当な理由で石碑を損壊させたことにして、それから緑祁を裁く。それでメンツが保てるのだから。

「もうちょっとよく見てみない?」

 もはやただの悪あがきだ。それでも刹那と絵美は緑祁の無実を信じ、崩壊した石碑の周りを歩いた。
 だが、それをすればするほど、緑祁の霊気を強く感じるのだ。

「早急にやめよう。これ以上ここにいても、彼の潔白には繋がらない。他の方法を模索するべきだ――」

 刹那のその提案を、絵美はのんだ。だから二人は一度ホテルに戻ることにし、来た道を戻った。

 その時である。

「あ、あれは……?」

 畜供養塚の前に一つの人影があった。暗いが、誰なのかよくわかる。何故なら、知っている人物だからだ。

「あり得ぬことが、今、目の前で起きている――」

 目を疑ったのは、絵美だけではない。刹那も一度瞬きをして、再度目をよく凝らして見た。だがそれはどう見ても、

「緑祁……?」

 本人としか思えない顔立ち、背格好なのだ。

「待って……」

 話しかけようと前に出た刹那のことを、絵美は腕を掴み静かに耳元で呟いて止めた。

「だって、あり得ないじゃないの! 緑祁は今、病院にいてそこから抜け出せないのよ? ここにいるはずがないわ!」
「しかし、あれは誰がどう見ても、正真正銘の緑祁――」

 生霊の場合もあるかもしれないが二人は、それにしては姿がハッキリとし過ぎているためにその可能性を捨てた。そもそも、こんな思い入れのない場所に生霊は出現しないはずだ。

「確かめる方法が一つだけあるわ」

 スマートフォンを取り出した絵美は、聞いていた緋寒の番号にかけた。

「もしもし、緋寒?」
「違う。わっちは紅華(こうか)。緋寒の四つ子の妹じゃ。この時間帯、緑祁の監視はわっちの当番なのじゃ」

 皇家の霊能力者は、多胎児である。流石に一人で二十四時間見張ることは体力的にも精神的にも不可能なので、四人の姉妹がいることを利用し、一人につき六時間で仕事を分担しているのだ。

「こんな夜中に何か? そなたたちは『橋島霊軍』の慰霊碑に向かったと聞くが、発見でも?」
「緑祁が、いたわ……。畜供養塚に………」
「ううぬ? そんな馬鹿なことはないぞ?」


 電話の向こう……紅華は今、緑祁の病室の椅子に腰かけている。目の前にはベッドで寝ている緑祁の姿がある。だから絵美の言葉が信じられない。

「入れ替わることは不可能じゃ。監視を引き継ぐ時ですら、目は離さぬ」

 しかし、何かと入れ替わっているかもしれない。それを確かめるために、就寝した相手に申し訳ないのだが、彼女は緑祁の体を揺さぶって起こした。

「う…ん? もう朝、かい?」

 目を擦りながら緑祁は起きた。だが室内は紅華の持つスマートフォンの光しかなく、暗い。だから夜が明けたわけではないことを彼は察する。

「どうして起こしたの?」
「絵美とやらが、言っておるのだ」
「何を…?」
「緑祁が、件の慰霊碑近くにある畜供養塚におる、と…」
「まさか…。僕はずっとここにいるじゃないか。紅華がそれを正銘してくれるよね?」
「ああ。きっと絵美たちが変な嘘を言って無実に仕上げたいんじゃろうな」

 そんなことをしてもマイナスだ、しかも刹那や絵美の評価が下げられることだってある。
 しかし、

「信じてよ! 本当にいるのよ、緑祁が!」
「しつこいぞ? ならばテレビ電話に切り替え、その姿を見せよ!」

 けれども紅華が機能を切り替えた瞬間、電話はブツリと切れた。

「……やっぱり、嘘であったな。そんな適当なブラフでは、わっちら皇の四つ子は欺けぬ。浅い知恵じゃ!」

 紅華は鼻で笑った。一方の緑祁は、

「ねえ紅華? その、畜供養塚ってどこにあるの?」

 疑問を捨てきれていない様子だ。


 電話が切れたのには、理由がある。

「あ、ああ………」

 絵美の手に、スマートフォンがない。

「誰と電話をしていたんだい?」

 緑祁だ。彼が後ろに回り込んで取り上げ、画面を押して切ったのだ。

「酷いじゃないか、刹那に絵美。もしかして僕のことを尾行していたのかい?」

 声も口調も、緑祁のものだ。間違いなく本物。それに刹那たちの名前も知っている様子。

「汝は誰だ? この問いかけに答えよ――」
「僕だよ。緑祁! 一緒に軍艦島に行って、仕事したじゃないか! その前には……」

 記憶も本人のもので間違いない。ならば緑祁本人が目の前にいるのでは?
 しかし、そうは思えない。

「あり得ぬ答えである。緑祁は今、病院に閉じ込められているのだから――」
「事故に遭っちゃったからね。でも思ったより軽症で助かったよ」

 この時、絵美が閃いた。

(今、刹那と緑祁の会話が一瞬だけどかみ合ってなかったわ…!)

 刹那は言った。病院に閉じ込められている、と。それに対し緑祁は、事故に遭ったから、と答えた。

(それがおかしい!)

 緑祁が病院から出られないのは、容疑者になってしまっているからであって事故のせいではない。だが目の前にいる人物は、そういう口ぶりじゃない。

(と、いうことは……。偽者?)

 何故、どうしてそんな存在がいるかは、わからない。だがこの時絵美は本能で直感した。だから、

「ねえ緑祁? [ライトニング]と[ダークネス]を見せてよ。あの美しい姿を、さ」

 言った。

(もしも本物なら、式神を出せるはず。でもそうじゃないなら……)

 行動パターンは一つしかない。

「ごめん。今は持ってきてないんだ」

 その行為を拒否するはずだ。

「刹那! コイツは緑祁じゃないわ!」
「何故そう言い切れる――」
「緑祁なら、大切な式神をどこかに置いて来るなんてしないはずよ!」

 偶然持ち合わせていないことはあり得ない。絵美は雛臥と骸から、緑祁が二体の式神を入手した経緯を聞いていた。それを考えれば、出歩く際には必ず持っていないと変だ。

「そもそもさ、今は丑三つ時よ? 悪霊が一番、活発になる時間。そんな時間に一人でほっつき歩いて、しかも式神の札は持ってない? 不自然を通り越してあり得ないわ!」

 緑祁は自分の実力を誇張するような人物ではない。だから式神もなく一人で夜中に出歩くはずがないのだ。
 それをわかってくれた刹那は、

「偽者――」

 振り向きざまにそう呟いた。しかし直後に彼女の体が宙を舞った。

「え?」

 緑祁が霊障を引き起こして弾き飛ばしたのである。地面に叩きつけられた刹那の意識は飛んだ。

「酷いことを言うんだね、そっちらは……。そんな人だとは思わなかったよ…」

 この時、絵美の頭には二つのことが駆け巡った。

(コイツは、緑祁の恰好をしているけど、緑祁じゃない! そして本物とは違って、暴力的な人物!)

 この二つのことが正しければ、一連の事件にも頷けるのだ。
 緑祁のフリをした暴力的な何者かが、『橋島霊軍』の慰霊碑を破壊した。
 それを証明するためには、一つの手法が。

(コイツを捕まえて重之助と長治郎のところに連れて行けば、緑祁の無実が証明できるわ!)

 絵美は構えた。それを見た偽者の緑祁……すなわち(ニセ)緑祁(りゅうけ)は、

「ああ、絵美もそんな態度を取っちゃうんだね。悲しいよ、僕……」

 冷たい目で絵美のことを睨み、構えた。抵抗するつもりなのである。

(バレたら、目撃者は消す……わよね、普通? そういうことをしようとしている時点で、やっぱり緑祁じゃないわ!)
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