第1話 罪悪の前奏曲 その2

文字数 4,063文字

 修練は気づけば、大学生になっていた。それまでの生活の中では、特に仲の良い友人などはいない。元々、素の自分を知らない人と心を通わせることができるとは思っていない彼だから、困っていることはない。一応、少しくらい日常会話をするくらいの距離感をクラスメイトたちと保っていた。
 飲み込みが早い方なのか、学業成績は良い方だった。運動神経も悪くない。しかし修練の活躍は決して表舞台ではない。影、表の人の目が届かない社会の裏側だ。だからなのか、好成績を叩き出しても、偏差値の高い学校に進学しても、あまり嬉しくなかった。

 しかし夜になれば彼の性格は一変する。

「鎌村さん、状況は?」
「おお、来てくれたか修練! 現状、あまりよろしくないんだ……」

 大学近くの森に今、二人は来ている。その森林は雰囲気が死んでいる。

「未知夫たちが先に入ったんだが、連絡が取れない」

 ポケベルの液晶画面を見る二人。

「将なら携帯電話を持っているんだが、この周辺には公衆電話がない! だから、穂香のポケベルに連絡を入れているが……」

 返答がない。これに焦りを感じ出した修練は、

「行きましょう! 鎌村さんと俺さえいれば、大丈夫なはずです!」
「そ、そうか……? まあ確かにここで待っているよりはマシか……」

 意を決し、この、常闇の森に入ることにした。

「うお! 幽霊だ!」

 一歩踏み入れただけで、大量の浮遊霊が、鳥が飛び立つように一斉に彼らから遠ざかった。

「未知夫たちは奥だな? 気をつけろ、修練!」
「はい!」

 前を歩くのは修練だ。昼間とは別人のように違う、新鮮さを感じさせる目を輝かせている。

「待て修練! あの木を見ろ、焦げている」
「どうやら穂香さんがここで霊障を使ったようですね……」

 ここまではあの三人も到達できたということ。
 そこからさらに一歩進むと、

「ジャマダ……。クルナ……」

 鈍い声が聞こえた。それは上の方から発せられたようで、反射的に顔を上げる。

「鎌村さん! いました! 上です!」
「これが………」

 今回、【神代】から除霊せよとの指示が出された悪霊だ。下半身の代わりに腕が生えた、ちょっとタコのような見た目をしている。

「修練、左を見てみろ。未知夫たちがいる!」

 三人とも、木の枝に引っかけられている。

「鎌村さんは救出を専念してください! 俺はこの幽霊を倒します」
「頼むぞ」

 悪霊が修練に向かって動き出した。腕はどうやら見た目以上に伸ばせるらしく、右手が彼に迫りくる。爪は鋭利な刃物のように伸びている。

「甘いな……」

 しかしその一撃は、修練には届かない。彼が放った鬼火で即座に燃え上がってしまった。

「キイイイィ……!」

 怒った悪霊は、左手を動かす。

「それもさせない」

 が、これも無意味。修練は旋風を繰り出し、肩からその腕を切断し無力化した。

「グイイイイィ…」

 両腕を失ってもまだ、悪霊は戦意を失わない。苦しそうな表情だが、修練を倒すことを選んだのである。最後に残った、体の下から生えた第三の腕。これは太さも強さも左右の腕よりありそうだ。

「ガアアアアア!」

 悪霊は宙に浮きながら、その第三の腕を使った。地面を握り、岩を掴み取ると、それを修練目掛けて投げた。

「礫岩か……! 厄介な霊障だがな、俺には効かないぜ!」

 相手が攻撃してくるのを、修練は待っていた。飛んで来る大きな岩に手のひらから鉄砲水を当てて押し返す。

「ギィ……?」

 投げたはずの岩が逆に自分の頭にぶつかった。

「グルルゥワ……!」

 岩は砕ける。悪霊の方にもかなりのダメージがあったらしく、顔面が赤黒い血で染まっている。

「トドメだ……」

 最後の一撃は、電霊放だ。ポケベルの電力を使い、黒い稲妻を撃ち出して悪霊を消滅させた。
 この間、一分にも満たない戦闘。隣にいた亨は、

(強くなったな、修練! 頼もしい!)

 未知夫たちを救出しながら、そう感じた。

 幸いにも未知夫、将、穂香は命までは失っていなかった。少し待てば勝手に意識を取り戻し、立ち上がる。

「助かったぜ、修練! まさか……初めて会った時、何もできなかったお前が、ここまで成長するなんてよ!」
「意外です。ですが、良い方の誤算ですよ。本当に心強い味方が現れた感覚です」
「ありがとうね、修練君!」

 感謝の言葉に対し、

「こちらこそ! あなたたちが俺に教えてくれなければ、今の俺はあり得ません」

 修練も頭を下げた。
 この森から出た時、修練は何かを感じた。

「どうした、修練?」
「今、何かが逃げませんでした?」
「何?」

 何かの気配、もっと言えば誰かがいた気がするのだ。それは幽霊ではなく人の気配だった。

「ただ通りかかっただけだろう。それかこの森は……自殺の名所だから、その目的だったのかもしれないな」

 自殺者を意図せず止めたらしい。この時の修練たちの認識はそんな程度だった。


 次の日に修練は大学の講義室で、話しかけられることになる。

「天王寺君、だよね?」
「……? そういう君は確か、山添さん、だったっけ?」

 同級生の名前は大体把握している。今話しかけてきた彼女は、山添(やまぞえ)智華子(ちかこ)。あまり目立つタイプの人じゃなく、修練と同じように大体は一人でいることが多い子だ。前髪が長くて目が隠れているため少々不気味な印象を抱きやすいが、根は優しい性格だ。ちょっと古めの簪で、後ろ髪をまとめている。

「何か、俺に用かい?」
「昨日さ、あの森にいたでしょう? 私、天王寺君のことを見たよ」

 智華子はそう言った。修練は、昨日見かけた人影は彼女だったことに言われて気づいた。

「だったら、何だ?」

 見ただけでわかる。彼女は霊能力者ではない。そんな智華子と話すことはあまりないのだが、彼女は、

「この大学のキャンパス内にさ、曰く付きの部屋があるんだよ。本当かどうか、確かめてみない?」
「ん?」

 サークルや部活に所属していないから、修練はそういう情報に疎かった。どうやらその辺については智華子の方が詳しいらしい。

「夜中にさ、幽霊が現れるって話! ねえ、聞いてる?」
「すまん、ボーっとしてた」
「もう! とにかく、今日の午前零時に部室棟に来て! 私も行くから!」

 強引に決められた。修練は面倒だとまず感じたが、

(山添さんの言うことが本当なら、それはそれでマズいことになりかねないな……)

 無視するわけにもいかず、予定の時間にキャンパスに戻る。

「わ、本当に来たんだ……」

 部室棟は三階建ての古い建物だ。入り口の木の影に智華子がいた。

「早速、見てみよう」

 この建物の二階の奥に、件の部屋がある。

「どんな曰くがあるの?」
「昔……。本当に昔の話らしいけど、そこで自殺者が出たって。その後も部屋は使われていたけど、利用者から気が狂う人、いきなり重病になる人、自殺を選ぶ人が続出……。もうかなり前から、鍵がかかってて使われていないよ」

 今電気をつけると、守衛さんに侵入が気づかれてしまう。だから二人とも懐中電灯で足元だけ照らしながら廊下を進んで階段を登り、その部屋の前まで来る。

「どう?」
「………」

 修練は目を瞑った。耳や鼻に頼るのもやめた。第六感だけを働かせ、探る。

(どうやら山添さんの話は嘘じゃないらしいな。いる。しかも強いぞ……!)

 ドアノブに手を伸ばせばもっとわかりやすい。

「引き返した方がいい」
「え?」

 忠告をする修練。素人の智華子には危険過ぎる。でも、

「確かめないと。私、そういう話結構好きだから……」

 オカルト系が大好きな智華子は、帰ろうとしない。修練も、

(まあ鍵はかかっているし……)

 扉を開けられないので、大事にはならないだろうと思っていた。だがドアノブから手を離そうとした時だ、

「おや?」

 おかしなことに、回った。しかもギギィと音を立てながら、ドアが少し開いた。

「え、嘘? 昼間に相撲部の先輩が三人がかりでも開かなかったのに!」
「霊の方から、招いているんだ。きっと、もっと人の命を奪いたい。多くの人を不幸にしたい。そんな邪悪な願望を感じるよ。だから、今からでも遅くない。帰った方が……」

 喋っている最中に突如、ドアが大きく開く。まるで部屋の中から押し開けられたかのような強さだ。

「きゃひいいいい!」

 その部屋の中に、一つの人影が見える。

「ミタナ……?」

 それは天井から伸びるロープで首をつっている、女の幽霊だった。全身が赤い血で染まり、目は無くなり、歯も全て折れている。おぞましい。智華子が悲鳴を上げたのにも納得できる。

「コッチニコイ……!」

 その幽霊が、智華子に手を伸ばした。道連れにしようとしているのだ。

「させるか。俺がいる前で……!」

 早急に対処した方がいい。そう思った修練は、鬼火と鉄砲水と旋風を同時にその幽霊に叩き込む。

「ナニ……!」

 いきなりの反撃に対応できない幽霊。伸ばした腕が消し飛ばされた。

「ウウグ! コイツ、ナンダト……!」

 さらにそこに、電池を投げる修練。電霊放を遠隔で操作する。稲妻が電池から飛び出し、部屋全体を明るく黒く染めて飲み込んだ。

「アギャギャギャギャオオオオオオオ……………………!」

 断末魔の悲鳴が終わると、そこにはもう何もいなかった。

「え? 何がどうなったの?」

 状況について行けていない智華子。修練が、

「この部屋の邪気を祓った。霊障を使えば簡単だった! 念のために持って来た札を貼って塩も撒いておこう。そうすれば、リフォームすれば使える部屋になるはずだ」

 安全になったことを伝える。目の前で霊障を使ったことから彼は智華子に、ドン引きされると思っていた。何せ、普通の人とは明らかに違うのだから。
 しかし、

「す、凄いよ天王寺君! 本当に霊能力者なんだね!」

 智華子の反応は、思っていたのとだいぶ違った。肯定的な態度を見せたのだ。

「そ、そう?」

 意外な言葉に対し、返す言葉を中々見つけられない。少し照れてしまう。

「もっと教えてよ! 幽霊や霊能力者のことを!」

 この日以降、智華子は修練によく話しかけるようになった。修練も、それに応じる。不思議と、嫌な感じがしないのである。
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