第9話 時間が来た その1
文字数 3,430文字
「だ、誰だ!」
出せるだけの大きな声を緑祁は上げた。それぐらい驚いたし、勝負に水を差されたのが気に食わなかったのだ。
「おいおい……。まさか君が私のことを知らないわけがないだろう? 今まで散々、邪魔をしてくれたんだから」
その男は、そう言い出す。そして、
「遅れたな、自己紹介をしよう。私は、天王寺修練。今、【神代】が勢力を挙げて捜索している霊能力者だ」
「何ですって、修練?」
香恵も驚愕。
「今、私は結構ムカついている。何しろ仲間がことごとく負け、捕まってしまったからな。これが心地いいわけがないだろう? そしてその落とし前を緑祁、君につけさせに来たのだ」
「でも、修練が動き出すのは明日……。あっ!」
腕時計を確認したら、午前零時を十五分ほど回っている。紫電との戦いの最中、日付変更線を跨いでいたのだ。
「そう。そして私は、太陽が天で輝いている時に活動をするとは言っていない。今、時間は来た。名前の知らない邪魔者はもう排除したし、事を始めさせてもらおう」
香恵の認識が甘かった。既に修練は青森に入っており、日付が変わると同時に作戦を実行する気だったのだ。
「させない…!」
もちろん緑祁は修練と対峙し、その野望を食い止めようとする。
「その目…。偽りのない灯が確かにある。お前のような純粋な心を持った霊能力者が、このご時世に、しかもこの青森にまだいるとはな……」
何やら意味深な発言をするが、緑祁も香恵も耳を傾けようとはしなかった。話があるならそれは拘束した後で聞けばいいからである。とにかく今は、目の前の謎の黒い影を処理することに専念だ。
「小手調べをしてやろう。迷霊 、行け!」
黒い影…迷霊はその命令を聞き入れ、緑祁のことを睨んだ。
「負けるもんか!」
緑祁は香恵の腕を掴んでその場から駆け出す。
「ギシャヨオオオオオ!」
力任せに迷霊は腕を振り下ろした。アスファルトが凹むほどの力だ。まともにくらったら、文句なく死ねる。
「香恵、あの幽霊のことを知ってるかい?」
「迷霊と言っていたわね。悪霊よりも強力だけど、特別な力はなかったはずだわ。ただ…」
「ただ?」
「自分を生み出した者に忠実。その人物の命令には絶対に逆らわないのよ。だから修練が私たちを殺せって指示したら、息の根を止めるまで動くわ」
その習性は厄介だ。
「でもさ……。要するに成仏させてしまえばいいんでしょ?」
もちろん、と香恵は頷いた。いくら強力であっても、所詮は幽霊。既にこの世から失われた魂だ。だから除霊させればいい。二人はそう考え、除霊用の札を取り出した。
「………一つ、忘れてたよ…」
問題は、かなりの力量を誇る迷霊にどうやって札を貼り付けるか、である。近づいただけで吹っ飛ばされそうなくらいの一撃が襲い掛かって来るのだ、簡単に済むはずがない。
ここで、緑祁は霊障を使う。鬼火を迷霊に向けて撃ち込んだ。
「ギィイシャアアアア!」
しかし、それは爪を振ってかき消されてしまったのだ。もっと大きな鬼火を作ってみたが、それも同様に消されて迷霊の本体に届かない。
「あの大きな腕と、そこから生える爪が問題だ…。どうにかして動きを封じないと、このままだと負ける…」
ネガティブな発想こそ生まれたものの、課題がわかったのは嬉しい収穫だ。
二人は夜の町に逃げ込んだ。もちろん迷霊も追うのをやめない。行く手を阻む自動車をひっくり返し、塀を崩しながら進む。
「どうするつもり、緑祁?」
「もちろん策はあるよ」
それは、結界を作ってその中に追い込むというもの。
「名案だわ。でも、立場に目を閉じれば、ね」
香恵がそう言ったのも無理はない。追われている緑祁たちが、追いかける迷霊を、どうやって結界の中に追い込むのか?
「逃げながら盛り塩や札を配置すればいいんだよ」
近くの電信柱にまず札を一枚貼る。
「次はこっち……」
少し離れたところのマンホールの上に、もう一枚。これで結界の一辺が出来上がった。そう思って緑祁は電信柱の方を向いた。
「ギョシュシャアアアア!」
だがこの目論見はすぐに泡となる。何と迷霊は、その電信柱の根元をぶっこ抜いたのだ。抜かれた柱は乱暴に、道路に捨てる。この一撃で札は効力を失い、ただの和紙になって地面に落ちる。
「………これ、本当?」
信じられない光景だ。香恵も、
「ここまで強いとは思わなかったわ……」
絶望を口にした。
作戦は頓挫。結界を張ろうにも、それを成すための札があのようにされては作れない。
「ならば、真っ正面から立ち向かうよ」
緑祁は逃げる足を止めた。そして反転し迷霊に向き直る。
「待って緑祁。あれは屍亡者とはわけが違うわ。無謀よ、それは」
「香恵、それは僕もわかってるつもりだ。でもこれしかないんだ。あの霊を止めて、さらに修練を捕まえるには!」
決意は固い。だから香恵は緑祁の意志を尊重し、黙る。
「勝負だ、迷霊! 僕の命を奪いたいんだろう?」
「ガッシュウウワワワ!」
改めて見ると牙も鋭い。咆哮が空気を揺らし、その振動を肌で感じる。
「強いことに間違いはない。でも!」
ここで引くわけにはいかない。そう考えると闘志が湧き出てくる。
「せいっ!」
旋風を解き放った。当初はこれも通じないかもしれないと思ったが、何と爪を一本、えぐった。
「僕の風の方が、その黒い爪よりも鋭いらしいね」
「グッジャアアアアア…!」
もう一発くらわせる。だが迷霊も対策を編み出し。腕を組んで体でそれを受け止める。重く構えているために、迷霊の体は動じない。風をやり過ごしたら腕を広げ、爪で切りつけてくる。
「うわっ、危ない!」
避けるのがあと少し遅れていたら、側の街路樹のように真っ二つにされていただろう。
「緑祁、あの爪を先にどうにかした方がいいわ!」
後ろにいる香恵が叫ぶ。確かにその通りで、アレがあるかないかで危険度がかなり変わってくる。
「そんなにチンタラしてられないよ。コイツを速くやっつけて、修練のところに戻らないといけないんだ!」
だが緑祁は、その作戦を選ばない。正面から突破するつもりなのだ。
「でも、どうやって……?」
「今思いついたんだ」
彼は手のひらに鬼火を出現させた。
「でも炎はあの爪のせいで届かないわ……」
「これだけなら、そうだろうね」
さっき、迷霊は木を切り裂いた。緑祁のターゲットは迷霊ではなく、その切り倒された街路樹の方だ。それを燃やす。
「これでいいんだ。後は炎を消さずにアイツにぶつければ……」
旋風で運ぶのだが、それが上手くいかない。重すぎて風で持ち上げられないのだ。
「うんぬううううぅ!」
できる限りの風を起こしても、ちょっと動くかどうか。
「緑祁!」
香恵が叫ぶと同時に、彼の体を突き飛ばした。そして二人が立っていた場所に、迷霊の爪が振り下ろされた。コンクリートを貫き、周りの地面に亀裂が走っている。
「あ、ありがとう……。香恵、こっちに隠れるんだ」
「こっちって、この燃えてる街路樹の裏に?」
後ろに回っても、これでは丸見え。
「でもそれがいい。迷霊は見失わないでこっちにくる。それでいいんだ」
彼の言葉通り、迷霊の顔は燃えている木の後ろにいる緑祁たちに釘付けだ。
「ガリャアアアア!」
今度は両腕で襲い掛かって来る。
「今だ、香恵! 飛んで!」
一緒に後ろに飛ぶ二人。着地することを全く考えない跳躍だったので、地面に転げ落ちた。
「グアアア? ギィシャアアア!」
当然、爪の当たった街路樹はバラバラに砕け散っただろう。だがその木は、緑祁の鬼火をまとっている。それがバラバラになって破片が宙を舞っている。
「今なんだ!」
ここで旋風を起こす緑祁。その巻き起こる小さな竜巻が、燃える木クズを巻き込んで大きく赤くなる。その渦の中心部に迷霊がいる。抜け出そうと爪を出したが、風が運ぶ炎に当たると燃え出してしまい、逃げられない。
「グッパオオオオオリャアアア!」
大きな叫び声だ。しかしいくら声が大きくても、風を止めるまでには至らない。だからこれは、起死回生の掛け声ではなく、断末魔。黒いはずの体が、赤い炎に侵食されている。
「もっと大きく、する…!」
指先から火炎放射器のように鬼火を出し、さらに燃やす。
「…………」
やがて、口を大きく開けていることはわかるが声が聞こえなくなった。同時に迷霊の体は焼け落ちて灰塵に変わる。吹雪いた風がそれを散らした。
「よし……!」
思わずガッツポーズをした緑祁。香恵も、
「よくやったわ、緑祁」
褒めてくれた。
出せるだけの大きな声を緑祁は上げた。それぐらい驚いたし、勝負に水を差されたのが気に食わなかったのだ。
「おいおい……。まさか君が私のことを知らないわけがないだろう? 今まで散々、邪魔をしてくれたんだから」
その男は、そう言い出す。そして、
「遅れたな、自己紹介をしよう。私は、天王寺修練。今、【神代】が勢力を挙げて捜索している霊能力者だ」
「何ですって、修練?」
香恵も驚愕。
「今、私は結構ムカついている。何しろ仲間がことごとく負け、捕まってしまったからな。これが心地いいわけがないだろう? そしてその落とし前を緑祁、君につけさせに来たのだ」
「でも、修練が動き出すのは明日……。あっ!」
腕時計を確認したら、午前零時を十五分ほど回っている。紫電との戦いの最中、日付変更線を跨いでいたのだ。
「そう。そして私は、太陽が天で輝いている時に活動をするとは言っていない。今、時間は来た。名前の知らない邪魔者はもう排除したし、事を始めさせてもらおう」
香恵の認識が甘かった。既に修練は青森に入っており、日付が変わると同時に作戦を実行する気だったのだ。
「させない…!」
もちろん緑祁は修練と対峙し、その野望を食い止めようとする。
「その目…。偽りのない灯が確かにある。お前のような純粋な心を持った霊能力者が、このご時世に、しかもこの青森にまだいるとはな……」
何やら意味深な発言をするが、緑祁も香恵も耳を傾けようとはしなかった。話があるならそれは拘束した後で聞けばいいからである。とにかく今は、目の前の謎の黒い影を処理することに専念だ。
「小手調べをしてやろう。
黒い影…迷霊はその命令を聞き入れ、緑祁のことを睨んだ。
「負けるもんか!」
緑祁は香恵の腕を掴んでその場から駆け出す。
「ギシャヨオオオオオ!」
力任せに迷霊は腕を振り下ろした。アスファルトが凹むほどの力だ。まともにくらったら、文句なく死ねる。
「香恵、あの幽霊のことを知ってるかい?」
「迷霊と言っていたわね。悪霊よりも強力だけど、特別な力はなかったはずだわ。ただ…」
「ただ?」
「自分を生み出した者に忠実。その人物の命令には絶対に逆らわないのよ。だから修練が私たちを殺せって指示したら、息の根を止めるまで動くわ」
その習性は厄介だ。
「でもさ……。要するに成仏させてしまえばいいんでしょ?」
もちろん、と香恵は頷いた。いくら強力であっても、所詮は幽霊。既にこの世から失われた魂だ。だから除霊させればいい。二人はそう考え、除霊用の札を取り出した。
「………一つ、忘れてたよ…」
問題は、かなりの力量を誇る迷霊にどうやって札を貼り付けるか、である。近づいただけで吹っ飛ばされそうなくらいの一撃が襲い掛かって来るのだ、簡単に済むはずがない。
ここで、緑祁は霊障を使う。鬼火を迷霊に向けて撃ち込んだ。
「ギィイシャアアアア!」
しかし、それは爪を振ってかき消されてしまったのだ。もっと大きな鬼火を作ってみたが、それも同様に消されて迷霊の本体に届かない。
「あの大きな腕と、そこから生える爪が問題だ…。どうにかして動きを封じないと、このままだと負ける…」
ネガティブな発想こそ生まれたものの、課題がわかったのは嬉しい収穫だ。
二人は夜の町に逃げ込んだ。もちろん迷霊も追うのをやめない。行く手を阻む自動車をひっくり返し、塀を崩しながら進む。
「どうするつもり、緑祁?」
「もちろん策はあるよ」
それは、結界を作ってその中に追い込むというもの。
「名案だわ。でも、立場に目を閉じれば、ね」
香恵がそう言ったのも無理はない。追われている緑祁たちが、追いかける迷霊を、どうやって結界の中に追い込むのか?
「逃げながら盛り塩や札を配置すればいいんだよ」
近くの電信柱にまず札を一枚貼る。
「次はこっち……」
少し離れたところのマンホールの上に、もう一枚。これで結界の一辺が出来上がった。そう思って緑祁は電信柱の方を向いた。
「ギョシュシャアアアア!」
だがこの目論見はすぐに泡となる。何と迷霊は、その電信柱の根元をぶっこ抜いたのだ。抜かれた柱は乱暴に、道路に捨てる。この一撃で札は効力を失い、ただの和紙になって地面に落ちる。
「………これ、本当?」
信じられない光景だ。香恵も、
「ここまで強いとは思わなかったわ……」
絶望を口にした。
作戦は頓挫。結界を張ろうにも、それを成すための札があのようにされては作れない。
「ならば、真っ正面から立ち向かうよ」
緑祁は逃げる足を止めた。そして反転し迷霊に向き直る。
「待って緑祁。あれは屍亡者とはわけが違うわ。無謀よ、それは」
「香恵、それは僕もわかってるつもりだ。でもこれしかないんだ。あの霊を止めて、さらに修練を捕まえるには!」
決意は固い。だから香恵は緑祁の意志を尊重し、黙る。
「勝負だ、迷霊! 僕の命を奪いたいんだろう?」
「ガッシュウウワワワ!」
改めて見ると牙も鋭い。咆哮が空気を揺らし、その振動を肌で感じる。
「強いことに間違いはない。でも!」
ここで引くわけにはいかない。そう考えると闘志が湧き出てくる。
「せいっ!」
旋風を解き放った。当初はこれも通じないかもしれないと思ったが、何と爪を一本、えぐった。
「僕の風の方が、その黒い爪よりも鋭いらしいね」
「グッジャアアアアア…!」
もう一発くらわせる。だが迷霊も対策を編み出し。腕を組んで体でそれを受け止める。重く構えているために、迷霊の体は動じない。風をやり過ごしたら腕を広げ、爪で切りつけてくる。
「うわっ、危ない!」
避けるのがあと少し遅れていたら、側の街路樹のように真っ二つにされていただろう。
「緑祁、あの爪を先にどうにかした方がいいわ!」
後ろにいる香恵が叫ぶ。確かにその通りで、アレがあるかないかで危険度がかなり変わってくる。
「そんなにチンタラしてられないよ。コイツを速くやっつけて、修練のところに戻らないといけないんだ!」
だが緑祁は、その作戦を選ばない。正面から突破するつもりなのだ。
「でも、どうやって……?」
「今思いついたんだ」
彼は手のひらに鬼火を出現させた。
「でも炎はあの爪のせいで届かないわ……」
「これだけなら、そうだろうね」
さっき、迷霊は木を切り裂いた。緑祁のターゲットは迷霊ではなく、その切り倒された街路樹の方だ。それを燃やす。
「これでいいんだ。後は炎を消さずにアイツにぶつければ……」
旋風で運ぶのだが、それが上手くいかない。重すぎて風で持ち上げられないのだ。
「うんぬううううぅ!」
できる限りの風を起こしても、ちょっと動くかどうか。
「緑祁!」
香恵が叫ぶと同時に、彼の体を突き飛ばした。そして二人が立っていた場所に、迷霊の爪が振り下ろされた。コンクリートを貫き、周りの地面に亀裂が走っている。
「あ、ありがとう……。香恵、こっちに隠れるんだ」
「こっちって、この燃えてる街路樹の裏に?」
後ろに回っても、これでは丸見え。
「でもそれがいい。迷霊は見失わないでこっちにくる。それでいいんだ」
彼の言葉通り、迷霊の顔は燃えている木の後ろにいる緑祁たちに釘付けだ。
「ガリャアアアア!」
今度は両腕で襲い掛かって来る。
「今だ、香恵! 飛んで!」
一緒に後ろに飛ぶ二人。着地することを全く考えない跳躍だったので、地面に転げ落ちた。
「グアアア? ギィシャアアア!」
当然、爪の当たった街路樹はバラバラに砕け散っただろう。だがその木は、緑祁の鬼火をまとっている。それがバラバラになって破片が宙を舞っている。
「今なんだ!」
ここで旋風を起こす緑祁。その巻き起こる小さな竜巻が、燃える木クズを巻き込んで大きく赤くなる。その渦の中心部に迷霊がいる。抜け出そうと爪を出したが、風が運ぶ炎に当たると燃え出してしまい、逃げられない。
「グッパオオオオオリャアアア!」
大きな叫び声だ。しかしいくら声が大きくても、風を止めるまでには至らない。だからこれは、起死回生の掛け声ではなく、断末魔。黒いはずの体が、赤い炎に侵食されている。
「もっと大きく、する…!」
指先から火炎放射器のように鬼火を出し、さらに燃やす。
「…………」
やがて、口を大きく開けていることはわかるが声が聞こえなくなった。同時に迷霊の体は焼け落ちて灰塵に変わる。吹雪いた風がそれを散らした。
「よし……!」
思わずガッツポーズをした緑祁。香恵も、
「よくやったわ、緑祁」
褒めてくれた。