第1話 月を見た人たち その1

文字数 4,391文字

「誰か医者はいないか!」

 上総の国のとある城下町を、忙しそうに人々が走る。なんでも藩主の息子が病で倒れたのだとか。

「熱が下がらない。血も吐いた! 誰か手当てができる人を! 誰でもいいから早く!」

 身分の違いなど、この緊急事態には問わない。本当に、病を治せるのなら誰でもいいのだ。しかし運の悪いことにこの時期の町では、医者は不在だった。

「このままでは……」

 絶望に包まれる役人。いつ主の息子が死ぬのか、それとも助かる見込みがあるのかどうかすら不明だ。
 ここで名乗り出た人物がいた。

「私に任せてください」

 その人物は、見るからに医者ではない。

「お前が? 何の冗談だ?」
「いいから、見せてくだされ。必ず期待に応えてみせましょう」

 しかし自信満々に、言うのだ。自分ならどうにかできる、と。

「もしも役立たずだったら、首を撥ねるぞ! それぐらいの覚悟はあるか、お前!」

 そう言われるとすぐにその人物は刀を取り出し、

「なんなら腹でも切りましょうか、治らなければ」

 精神面の強さを見せた。


 彼はすぐに御殿の一室に連れてこられた。布団の中に件の息子が眠っている。

「薬草は効かないのです……。熱は下がらず、食欲もなくて日に日に弱っていくばかり……。一体どうすれば?」
「まずは見せてください」

 そう言うと彼はうなされている息子に語り掛けた。

「どうだい? どこが痛む? 何か欲しい物はある?」
「はあ、はあ……」

 どう見ても会話ができているようには感じないが、ここで彼は、

「そうかそうか。そこか。すると、もうちょっと腹の下あたりも痛んでいるのではないかな?」

 まるで誰かと話しているかのような言葉を交わすのだ。
 彼は息子の服をめくると、患部と思わしき部位を優しく撫でた。
 すると、驚くべきことが起きる。今の今まであれだけ高熱と痛みでうなされていた息子が、すごく爽やかな表情を浮かべているではないか。

「お前、これは……?」

 はあ、はあという息は今、スースーに変わっている。全然苦しんでいるようには見えない。

「どうです、治りましたよ。しばらくは安静にして栄養のあるものを食べさせてください。そうすれば彼はすぐに元気になりますよ」

 これを見ていた人たちは、理解ができなかった。薬も使わず処置もしないで彼は、その子の病を治して見せたのだ。これは後に【神代】において薬束(やくそく)と呼ばれる霊障だった。

「まだありますね」

 今度は足の方をめくる。小さな切り傷が化膿している。

「いつの間にか、切っていたようです。おそらくこれが原因で、悪化したのでしょう。ここも処置を」

 そこも撫でると、傷が塞がっていく。これは慰療という霊障だ。
 この間、三十分もかかっていない。たったそれだけの短い時間で、完治させたというのだ。

「お前、名前は?」
月見(つきみ)太陰(たいいん)と言います」

 太陰は褒美をもらうこともなく、会釈すると無言で御殿を去った。


 この不思議な力を持つ人間の噂は、江戸まで伝わった。時の将軍すら、

「一度会ってみたい」

 と望んだほど。そして太陰はそう懇願されたので、江戸に赴く。

「その方、不可思議な力を持つというのは本当か?」

 旗本に尋ねられたので太陰は、その期待に応える。

「ちょっと腕を切ってみてください」
「腕を? 少しでいいのか?」
「血が出る程度にです」

 そう言われたので指先を歯で噛み切ってみる。乱暴に顎を動かしたので、皮膚が切り裂かれ肉が露わになった。

「いつつ……。やり過ぎちまった!」
「では、貸して…」

 その赤く染まった指に太陰が手をやると、指が元通りに戻った。

「これは一体どういう現象なのだ?」
「これ自体の名前は知りませんが、私はこういうことができるのです」

 旗本は他にも太陰から話を聞く。

「幽霊が見える、だと?」
「はい」

 にわかには信じがたいことに彼は首を縦に振るのだ。

「それと今の指の治癒、どう関係している?」
「お恥ずかしいことに、それは詳しくは知らないのです。ただ私は怪我や病を治せ、そして幽霊や妖の類を見ること感じることができるのです」
「では、詳しく調べてみたこと試してみたことはない、ということか」
「そうですね」

 ここで旗本は考える。

(この力……。実に奇怪だ! 怪しいまじないかもしれん。しかし、これが幕府のためになる可能性もある。だとしたら究めさせるのはどうだろうか? 案外、良い成果を上げるかもしれないぞ)

 そして太陰のその力を将軍に報告し、彼の技術の向上を図ってみてはどうかと問いかけた。

「具体的には何を? どういう計画がある?」
「太陰と同じ力を持つ者がいるはずです。彼らを一か所に集めましょう」

 まずは人員の確保から。そうと決まれば幕府の行動は速い。秘密裏に関八州中に人員を派遣し、探した。

「俺は死者と会話ができるぞ?」
「私は死んだ父の霊をよく見ます」
「河童と友達になったことがある」

 嘘か本当かは、太陰に判断してもらえばいい。だから片っ端から、そういう人物を集めた。


 太陰は、自分の故郷からあまり離れたくない様子だったので、彼らは房総半島のとある場所に案内された。幕府の資料にも残っていない所だ。

「みんな、よく来てくれました」

 中には嘘を吐いて混じった人もいたが、特に太陰はそれを責めたりしなかった。寧ろ来るものは誰も拒まなかったぐらいだ。

「心霊的な本能としての力を持つ者……。だから私たちは、霊能力者と名乗りましょう」

 太陰の意見には誰も異を唱えなかった。そして同時に、

「だったら俺たちは、月見の性を名乗ろう!」

 そういう声もあった。最初太陰は紛らわしくなりそうだから却下しようと思ったが、彼らが本当の苗字は捨てないことと太陰への忠誠心の見せ方として相応しいことを説いたので納得して受け入れた。

 幕府には、霊能力者という単語、及び彼らの集落が誕生したことだけを報告。ここから『月見の会』の歴史は本格的に始まる。


 最初に太陰が行ったこと、それは霊能力の制御だった。

「抑えることができるはずです。やってみましょう」

 というのもこの時代は幽霊の善悪の区別のつけ方がなく、悪霊に話しかけてしまって取り憑かれ、あの世へ連れていかれる者も少なくなかった。だからまず、生者と死者の差を研究。そして生気の概念を彼らは発見する。

「さあ鵜沢(うざわ)、生気を持つ者を判別してごらん」
「あの人と、あとあっちの人だけですね」

 彼らの目には十人ほど映っているが、生きているのはたったの二人だけ。

「正解です、よくやりました!」

 それをクリアすると、いよいよ霊障の探求だ。人によってできることは様々であり、

「僕は雷を落とせます」

 原崎(はらさき)という霊能力者が言えば、

「私は火を起こせるのです」

 と久世(くぜ)

「風を起こしてそれに乗ることができますよ」

 と一条寺(いちじょうじ)

「氷を作れます」

 と稲屋(いなや)
 人によって様々ではあるが、色々な霊障がそこに存在した。

「これは私たち霊能力者と一般人を隔てる壁、霊的な障壁ですね。霊障(れいしょう)と名付けましょう」

 当時としては偉大な発見である。霊障の概念はここで生まれたのだ。ただし、ありとあらゆる事象を霊障と呼んだために、種類ごとの区別はなかった。
 太陰は様々な発見や命名をしては、幕府に報告を入れた。その見返りとして、米をはじめとする食料が送られてくる。『月見の会』の集落は当初、この幕府による支援が土台となっていた。
 でもそれだけではいけないと誰もが感じた。だからなれない農作業を行い、畑を作った。数年後には自給自足の生活が送れるほど、そっちの技術も洗練された。
 だが一つこなせば、また一つ心配事が。

「やはり人員ですね。幕府の役人が連れてきてくれる人の中には、一般人が多い。でもそれは、霊能力者と一般人を見分ける術がないから仕方がないことです。言い換えれば、私が行けば必ず判別できるという意味でもあります」

 霊能力者の数の、絶対的な不足。ただでさえ健康や衛生面が整っておらず寿命が短い時代、人員の不足は致命的だった。

「太陰様が行かれるのですか? もっと若い衆に任せてみては?」

 会の長である太陰が一時的でもいなくなることは、集落にとって恐怖である。だが、

「私がいない場合でも、心霊研究は進めてください。寧ろ私というご意見番がいない方が自由に進むかもしれません」

 信頼関係を築けていたので、不在でも会のことを託せたのだ。

「では、行ってきましょう。まだ見ぬ私たちの同胞、きっといるはずです。彼ら彼女らを見つけ、私は必ずここに戻ってきます」

 荷物をまとめると、太陰は一人で馬に乗り旅立った。


「こんにちは。私は巡礼をしている者なのですが……」

 こう言うと、太陰を泊めない村はなかった。

「どうぞ! 何もない辺鄙な村ですが、ゆっくりしていってください」

 最初の日は決まって、聞くことがある。

「この村では、不思議や奇怪な現象は起きたりしていますか?」
「言い伝えでは、人をくらう蜈蚣が森にいるとか? でも見たものはいません」
「そう……ですか」

 しかし、村長は首を傾げて、

「でも、変な子はいますよ」
「と言うと、どのような?」
「何でも、死んだ人を見ることができると言うんですよ」

 その答えに太陰はピンとくる。

(おや、いるようですね)

 その子はどうやらいじめられているらしく、いつも泣いているのだとか。
 村の中を進むと子供たちが遊んでいる。どうやら四、五人が一人を取り囲んで騒いでいるのだ。

「また泣いた! やいやーい!」

 石を投げる子、木の棒で突く子など様々だ。中には己の拳で殴る子もいた。そんないじめっ子たちだが、太陰が近くに来ると蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。

「うう、ん…」

 一人残された女の子は片目が腫れ上がってお岩さんのような顔になってしまっている。

「目、痛むかい?」

 太陰が優しくその目を撫でると、元の鮮やかな色を取り戻した。

「え、これは……」

 驚いているその子に対し太陰は問いかける。

「君は、幽霊が見えるんだって?」
「誰も信じてくれない。だから毎日叩かれるの。でも私には本当に見えてるんだ」

 どうやら霊能力がいじめの原因であるらしい。

「私は君の言葉を信じるよ」
「嘘吐き! そんな人、この世にはいないよ。誰も私のことをわかってくれない。父も母も、村長もみんな」
「でも私は君の目の怪我を治してみせた。これは霊障と呼ばれる現象だ。君に幽霊が見えるのなら、何かできるはず。どうだい?」

 すると少女は足元の地面を指差した。そうしたらそこに穴が開いた。

「こういうことができるよ」
「なるほど、そういう霊障もあるのか」

 また新しい発見をした太陰は、その子を『月見の会』の集落に招こうと考える。彼女も、厄介者として扱う今の村に嫌気がさしていたのでその提案を受け入れた。

「そうだ君、名前は?」
手杉(てすぎ)…」

 苗字だけを名乗った。

「手杉さん。では行こうか、私たち霊能力者の集落へ!」
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