第7話 業火と木霊 その1

文字数 3,715文字

 あれだけ雨に打たれてびしょ濡れだった緑祁だが、絵美がその湿気を空気中に逃がしてくれたおかげで、一瞬で渇いた。服に水分は少しも残っていない。

「背中は……ちょっと火傷してるわ」

 その傷も香恵が撫でると治る。

「よし緑祁? ちょっと休んだら僕と対戦だ」

 次の相手は、雛臥である。

「いいよ」

 と、緑祁は返事をした。

「疲れてるんでない? 休んだ方がいいと思うぞ?」
「今頃、紫電だって疲労返上して頑張ってるはずなんだ。僕だけが休息するわけにはいかないよ」

 戦うべき相手……紫電のことを考えると、心が熱くなる。

(彼は今、どうしてるんだろうか。時間が時間だから、寝ているんだろうかな? でも、競戦に備えているはずだ)

 自分がやるべきことをしているのだろう。それは修行や鍛錬かもしれないし、全く別のことかもしれない。
 ただ一つ言えることは、紫電は疲れたから休憩しているとは限らないということだ。休むことも時には重要だが、彼も決められた日の競戦へ向け、体を動かし精神を研ぎ澄ましているに違いない。

(負けられないよ、僕だって!)

 紫電のことを思うと、体の疲労なんて一瞬で吹き飛ぶ。

「さあ、雛臥! 始めよう!」
「まあ君がいいなら僕もいいけど……」

 緑祁は周囲を見回した。当然だが、辺りには火の気はない。

「その心配はいらないよ? 火事を起こすわけにもいかないし、自分で生み出した炎で十分! 君が心配すべきは、火傷の痕が目立ってしまわないかどうかだけだ」

 彼が自信満々なのには理由がある。

(刹那も絵美も、非常に惜しいところまで行った! 一押し足りないだけだった! あとほんの一歩なんだ……。それを満たせば勝てる!)

 刹那の敗因は、自分で生み出した空気の刃に当たったから。
 絵美の敗因は、緑祁にだけ雨を降らせたから。
 身も蓋もないことを言ってしまうと、二人とも自滅したようなものである。

(自分の霊障を過信してはいけないんだ。それさえ守れれば、自ずと勝利は僕の手に舞い込む! 余裕や楽勝とはいかないだろうけど、勝てる!)

 一方、勝つ意気込みでいるのは緑祁も同じ。

(刹那にも絵美にも勝てたんだ、雛臥にも勝てるはず! 自分の力を信じれば、乗り越えられない壁はない!)

 二勝したことがその心の根拠である。調子には乗らず、謙虚に。だから、

(堅実に戦おう。油断して惨敗なんてしたら、僕には紫電と戦う資格がないのと同じ! 最初から本気、全力でいくよ……!)

 今回の審判は刹那が務める。

「では、気高き者よ位置につけ。これより互いに持てる力を存分に比べよ――」

 緑祁と雛臥はお互いに向き合って、一度頭を下げてから、

「いざ行かん。ここに決戦の火蓋を切る――」

 勝負が始まった。


 意外にも、雛臥は後攻に回るつもりだ。

(緑祁とこうして向かい合うのは、初めてだなぁ。そう言えば戦ったことはなかった。そういう展開に発展したことないもんな。でも、勝ちは譲らないぞ? まずはジックリ観察して弱点を見つけ出す!)

 対する緑祁も最初は雛臥の出方を伺ったが、何も仕掛けて来ないので、

「よし、旋風だ!」

 手を振って風を出した。刹那のあの空気の刃を真似たのだ。流石に彼女のほどの切れ味はないだろうが、形はちゃんと出来ている。

「いけぇええ!」

 緑祁には、思い込みがあった。それは刹那の時に体験していたこと。
 風は炎を切り裂き、かき消してしまう。
 それだけではない。絵美との戦いで改めて感じたこともある。
 水は火を消す。
 この二つの事実が、彼に自信を過剰に与えてしまっていた。

「舐めるなよ、緑祁! 業火の恐ろしさ、その身を持って味わえ!」

 雛臥は両手を合わせた。その瞬間、大きな炎が彼のことを包み込み、そしてそれが広がった。

「う、うわあ?」

 まるで炎の波だ。その赤いうねりが緑祁のことを襲おうとしたから、彼は鉄砲水を出して自分の体を守った。

「………? 何だ今のは…」

 辛うじて体は無事だ。でも自分の前にあった鉄砲水は蒸発してしまった。空気の刃も、噴き出た炎にかき消されてしまったらしい。

「炎はただ燃えるとは限らない」

 手のひらを口元に添えて、雛臥は息を吹いた。その吐息が火炎放射のように火を吐き、吐き出された火が塊となる。そしてまるで生き物のように動き出すのだ。

「で、でも! 僕には鉄砲水が…!」

 すぐに放水し消火を試みる緑祁だが、水が炎にかかっても何ともないので驚かされた。

「どうして? 普通は消えるはずなのに!」
「その、常識じゃないのさ! いいか緑祁? 僕の業火は千度を越せる。でも君の鉄砲水はどうだ? 水はたったの百度で蒸発してしまうだろう? そんな低すぎる温度、少なすぎる量、痛くも痒くもない!」

 思い込みの次は常識を破壊しにきた。

「いいよ……! それでいい! 紫電だって何度も当たり前を打ち壊しているはずなんだ! だったら僕も!」

 しかし緑祁は驚かない。寧ろ逆で、嬉しい表情だ。
 今度繰り出したのは、旋風である。小さな渦巻く風が、炎の塊を描き切ろうと吹いた。

「させないぞ! 業火放射!」

 何と炎が火を噴いたのである。その熱い空気の壁のせいで、旋風は散り散りに。熱波は緑祁のことも襲う。

「ひ、ひえっ!」

 まともに近づくことも、炎を消すこともできない。

(観察していたおかげだ。緑祁の弱点がわかった)

 そう。雛臥は確信している。緑祁には、この炎塊は消せない、と。

(貧弱ってわけじゃない。でもな! 鉄砲水や旋風程度の威力なら、業火の上を行くことがない! 三つの霊障を操れるがそれらが極まっていないのが、緑祁の欠点だ!)

 駄目押しにもう一つ、雛臥は炎を噴き出して塊を生み出す。

「に、二個も!」

 生き物のようにうねり、そして火を吐き出すことができる赤い塊。それが二つも。

「さあ緑祁! 突破できるかな?」
「してみせるよ!」

 彼は即答した。
 炎の塊が、また火炎放射をしてきた。

「鉄砲水……!」

 先端の火は消せる。でもそれだけだ。肝心の火炎放射本体は消火できない。すぐに炎が迫りくる。緑祁は旋風に乗って、後ろに逃げた。

「逃げてばかりじゃ勝てないぞ? いいかい緑祁、僕は君とは戦ったことはない。でも海神寺を襲った、隣接世界からの霊能力者とは対峙したことが二度ある! そして二度も負けた!」

 雛臥は四月の出来事を思い出す。悔しいことに、鹿子花織と並星久実子の霊障にはまるで歯が立たなかった。あれは完全に彼の負けである。

「でも君は、二人に勝っただろう? だったらこんな体たらくな実力じゃないはずだ!」
「……ガッカリしてるのかい?」
「違うよ。君ならもっと上に行けるはずだと思ってるんだ。僕が倒せなかった人を倒せたんだから、当たり前だろう?」

 雛臥自身、自分でも何を言っているのかわかっていない。彼は勝つつもりでこの勝負に臨んでいるはずなのに、試合の最中に相手を激励するのは不可解な行動だ。

(見てみたいんだ。紫電も、隣接世界の式神を破壊してみせた。それは僕ができなかったこと! 僕に不可能だったことを可能にした、二人の戦い……こんなに熱い組み合わせはないぞ!)

 心のどこかで緑祁のことを羨ましがっているのだろう。だから相手に失望したくないのだ。

「わかったよ。僕は雛臥……そっちを突破してみせる!」

 その熱い想いは、緑祁にも伝わった。
 緑祁は旋風で渦巻く風を作り出すと、それに鉄砲水を乗せた。

「台風、だ!」

 小型の台風がグラウンドに誕生し、水と風をまき散らしながら進む。

「どうなる、はたして?」
「頼むよ!」

 炎の塊がそれにぶつかる。火も水も風も散り、激しくうねる。

「飲み込め! 業火の炎塊!」
「台風なら貫けるはずだよ! いけええ!」

 お互いに譲らない。そのためか台風と炎の塊は相殺されて消えた。

「相打ちか、拮抗しているな? 霊障を組み合わせると、僕の業火にも匹敵できるってわけだ。これは勝負が見えなくなってきたぞ……?」
「いいや! 最初から見えてるよ……僕の勝ちが!」

 二人とも自信満々だ。だからこそこの勝負は熱いのである。

「ようしもう一発…!」

 緑祁は再び台風を生み出そうと霊障を操る。風に水を乗せるという複雑な動きが必要なため、すぐには出せない。対して雛臥の方は、一息吐くだけで同じ炎の塊を出現させることが可能。速さが違う。

「あっ!」

 現に緑祁が台風を二つ出したと思って雛臥の方を見ると、彼は炎の塊を五つも新たに繰り出している。しかもそれぞれが意思を持っているかのように動くのだ。

(台風では、数で負けてしまうんだ……。そうなると雛臥本体を直接叩けなくなる!)

 この時、ある戦法が緑祁の中に生まれた。

(駄目だ、危険すぎる! それはでき……)

 できない、そう思おうとした瞬間だった。

「笑っちまうぜ」

 紫電に馬鹿にされた気がしたのだ。臆することは何も恥ずかしいことではないが、それは命を守るための感情であって、勝利を掴み取るために危険を冒すことへの言い訳にはならない。

(そうだね、紫電……。もしも僕が紫電だったら、迷わず実行しているはずだよ。雷は勝利に向かって真っ直ぐ落ちるからね。紫電に勝つつもりなら、僕も負けていられない!)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み