導入 その1
文字数 3,378文字
天王寺修練の身柄は拘束された。手練れの霊能力者だったために捕まえるのに苦労するかと思われたが、作戦を看破されて大勢に囲まれるとあっけなく白旗を揚げた。
「実力者ほど、醜い最期は選ばん。それは修練も同じだ」
神代閻治はその報告を聞いた。
「でもまさか、本当に青森にいたとは驚きです」
付き人である緒方 が言う。彼は、修練は絶対に姿を現さないと読んでいたが、外れたのだ。
「そうか? アイツにとって青森は因縁の場所だ。いつかはケリをつけなければならん。そう考えれば、ごく自然なことだ」
対する閻治は、まるで最初からそこに行くことを見越したような発言をした。
「事件は解決した! 【神代】を裏切ろうなど愚の骨頂だ! それをわからせればいいだけのこと!」
しかし、問題もまだ山積みだ。
捕まえて、【神代】管轄の精神病棟に入れたところまではいい。だが、あらゆる取り調べに対し修練は沈黙を貫いているのだ。これでは何のために捕らえたのか…。
「ゆっくり白状させろ! 寧ろ向こうから言わせて欲しいと思わせれば終わりだ。だが、その道は難しいであろう……」
力のある者ほど、強情だ。だから焦る必要はない。時間をかけて、少しずつ、一つずつ明らかにしていけばいい。
この日、閻治と緒方は用事があってとある神社に向かっており、たった今着いたところだ。
「あ、閻治さん。予定よりも遅くなってしまいましたね……。今夜はもう遅い、休んでください」
「我輩は構わん。寧ろ寝る前の準備運動にちょうどいい。今から始めるぞ!」
用件は、除霊である。悪霊に取り憑かれた人物を祓うのだ。霊能力者なら誰にでもできることだが、【神代】の跡継ぎ……閻治は好んでこういう依頼をこなす。それが自分の実力の向上につながるとわかっているからである。相手としても折り紙つきの閻治が対処してくれるとなれば涙を滝のように流すぐらいに嬉しいことだ。料金も通常と何ら変わらないのもいいポイント。
「しかしです、意見を言わせてください!」
「何だ?」
「この、大河神社の者たちはもう寝てしまっています。今から起こして除霊を手伝わせるとなると気の毒な気がしてなりません…」
神主がそう言うと、閻治は腕時計の時間を確かめる。日付が変わるまで、あと二分。
「言えておるな。貴様が正しい。今日は我輩も体を休めるとしよう。緒方、車は町の駐車場に駐車しておけ」
エンジンの音もうるさいだろうと思った彼は、車を境内には入れず、付近に停めることを選ぶ。
「わかりました」
先に閻治が、客人用の離れ屋に入った。数分後、緒方も合流。
「では、寝るか。その前に一杯、飲むか?」
「駄目ですぞ、閻治様……。お酒は二十歳になってから。確か誕生日は、十三日でしたよね? 五月の」
新年度になってから閻治は自分の年齢を口にする時、二十歳と言っている。だが正確にはあとちょっと足りない。今年度で二十歳なのだからそれでいいだろう、という理屈だ。
「わかっておる。言ってみただけだ! この缶ビールは貴様にやろう」
しかし緒方も、明日以降の運転に支障が出るかもしれないので飲まない。仕方なく二人は、緑茶を飲んで眠った。
「フンッ! 我輩はそれで満足すると思うか?」
だがこの閻治という男、二時間後に目を覚ます。暗い離れ屋の中で寝間着のまま布団からゆっくりと起き上がり、そのまま用意されていた草履を履いて外に出る。
時刻は午前二時。丑三つ時だ。この時間帯は、悪霊が最も活発に動き回る呪いの時刻とも言われている。
彼が向かった先は、この神社の隣にある墓地だ。
「本来、墓場というのは神聖な場所だ。霊が供養されて埋葬されておるのだからな。だが、時にはその聖なる地を平然と踏みにじる不届き者もおる……」
この神社に来た時、既に見えていた。流れ着いた浮遊霊が、笑いながら墓地の方に行くのが。
閻治が踏み込むと、その浮遊霊も気づく。
「ああ、あああああ……!」
「うぬっ?」
違和感を抱いた。というのもこの浮遊霊は、墓地を荒そうと思っていない。現世に留まりたいとも思っていないのだ。
「成仏できぬ事情持ち、か……」
そうだから、安息を求めて墓地に来たのだろう。この世に残ることは霊にとって、少なからず苦しいこと。それに耐えられないが故に、死してなお救いを求める魂。
「こっちに来い。今、極楽浄土に送ってやろう。安心しろ……」
閻治が手招くと、素直に浮遊霊は彼の前にやって来る。
「………………………」
【神代】独自の経典の読経だ。数種類あって、中には相手を地獄の底に突き落とすのもある。だが今閻治が唱えている経は、相手に苦しみを与えずにあの世へ導くもの。
「ああ、ありがとう……」
浮遊霊は最後にそう言い、その姿が煙のように薄くなって天に昇った。
「安らかな眠りを、貴様に…。貴様の魂は清められた」
この時に、霊の魂と多少交感するため何故成仏できなかったのかもわかる。
未練が一つ。あの浮遊霊には生前、家族がいた。だが不慮の事故で亡くなってしまう。残された家族のことが、死んだ拍子に欠如してしまった記憶の片隅から離れなかったから、この世に残ったのだ。
しかしその事故も、もう半世紀前の出来事。そして子孫は今、普通の生活が送れているに違いない。確証はないが、残留思念を読み取った結果、不幸な結末はないとわかったのだ。
「さて、これからが本番でもある」
これで終わりではない。閻治は墓地を訪れる度に行っていることがある。それは墓参りだ。自分の血縁の者ではないが、墓地を見かけたら必ず水を墓石にかけて拝むと決めている。それが死者への弔いで、この墓地を聖地として維持するための行為でもある。
この墓地はそこまで大きくなかった。だから四十分ほどで終わり、離れ屋に戻る。
「閻治様、またですか?」
「ぬぬっ、お、緒方?」
なんと緒方は起きていた。
(今回ばかりは確実にバレていないという自信があったのだが…!)
夜に勝手に出歩くと、大抵緒方に叱られる。跡継ぎとしての素行がなっていない、と。
「明日は速いですよ? さあ布団に戻りましょう」
だが今夜は説教が飛んで来なかった。毎度のことで呆れ果て怒る気力もないのか、ただ純粋に眠たいのか、それとも閻治のこの癖を認め咎める気がなくなったのか。
次の日の午前十時のことだ。
「例の人物が到着しました」
「ああ、聞いておる。確か土着の呪いに手を出した輩だったな?」
土地特有の伝承があるように、呪いも地方によって異なる。この若い不良は、絶対に覗き込んではいけないと言われていた井戸にタバコの吸い殻を捨てて、見事に呪われた。
「どれどれ……」
母屋に入るその不良を見て、閻治は思う。
「なるほどな。十分道を間違える素質がある。だが、今なら戻れる可能性もある。だから気に入った! 緒方、アイツに職を斡旋してやれ。ああいうタイプは軌道修正したら最後まで貫く」
「わかりました。試料によれば運転免許を持っているようなので、それを活かせる職を探しておきます」
母屋の大広間には、儀式に使う道具が一式揃っていた。
「貴様、自分の過ちはわかるか?」
座布団の上に涙を流しながら震えて座る不良は、
「あ、はい……」
とだけ返事をした。
「ではまず約束せよ。霊を祓ったら、二度と道を踏み外さぬことを」
何度も首を縦に振って頷いた。それを確認し、閻治は除霊を始める。
「その方、何故コイツを呪う?」
その質問に対し不良は、さっきまでの彼の声とは全く異なるトーンで、
「俺の水を汚したからだ!」
荒々しく答えた。これは彼の意見ではない。取り憑いている霊が体を借りて答えているのだ。
「その水は既に枯れておる。それをわかっての行いか?」
「枯れてるだと? 俺の井戸は清らかな水で満ちている! お前にはわからないだろうな!」
「ああ、わからん」
この霊は、贔屓にしている井戸の現状を知らないのだ。何世紀も前に、井戸としての役目は終わった。それは水が潰えたからだ。
「………………」
閻治は読経した。
「やめろ! ぐは、苦しい!」
不良の体を操って霊は、閻治に襲い掛かろうとしたが、閻治が塩を一摘み撒くと、それだけで防がれた。
「の、呪ってやる! お前のことも! 俺の水、水、みずみずみずみずみず………」
力を失ったのか、不良の体は床に倒れた。
これで除霊は完了だ。
「実力者ほど、醜い最期は選ばん。それは修練も同じだ」
神代閻治はその報告を聞いた。
「でもまさか、本当に青森にいたとは驚きです」
付き人である
「そうか? アイツにとって青森は因縁の場所だ。いつかはケリをつけなければならん。そう考えれば、ごく自然なことだ」
対する閻治は、まるで最初からそこに行くことを見越したような発言をした。
「事件は解決した! 【神代】を裏切ろうなど愚の骨頂だ! それをわからせればいいだけのこと!」
しかし、問題もまだ山積みだ。
捕まえて、【神代】管轄の精神病棟に入れたところまではいい。だが、あらゆる取り調べに対し修練は沈黙を貫いているのだ。これでは何のために捕らえたのか…。
「ゆっくり白状させろ! 寧ろ向こうから言わせて欲しいと思わせれば終わりだ。だが、その道は難しいであろう……」
力のある者ほど、強情だ。だから焦る必要はない。時間をかけて、少しずつ、一つずつ明らかにしていけばいい。
この日、閻治と緒方は用事があってとある神社に向かっており、たった今着いたところだ。
「あ、閻治さん。予定よりも遅くなってしまいましたね……。今夜はもう遅い、休んでください」
「我輩は構わん。寧ろ寝る前の準備運動にちょうどいい。今から始めるぞ!」
用件は、除霊である。悪霊に取り憑かれた人物を祓うのだ。霊能力者なら誰にでもできることだが、【神代】の跡継ぎ……閻治は好んでこういう依頼をこなす。それが自分の実力の向上につながるとわかっているからである。相手としても折り紙つきの閻治が対処してくれるとなれば涙を滝のように流すぐらいに嬉しいことだ。料金も通常と何ら変わらないのもいいポイント。
「しかしです、意見を言わせてください!」
「何だ?」
「この、大河神社の者たちはもう寝てしまっています。今から起こして除霊を手伝わせるとなると気の毒な気がしてなりません…」
神主がそう言うと、閻治は腕時計の時間を確かめる。日付が変わるまで、あと二分。
「言えておるな。貴様が正しい。今日は我輩も体を休めるとしよう。緒方、車は町の駐車場に駐車しておけ」
エンジンの音もうるさいだろうと思った彼は、車を境内には入れず、付近に停めることを選ぶ。
「わかりました」
先に閻治が、客人用の離れ屋に入った。数分後、緒方も合流。
「では、寝るか。その前に一杯、飲むか?」
「駄目ですぞ、閻治様……。お酒は二十歳になってから。確か誕生日は、十三日でしたよね? 五月の」
新年度になってから閻治は自分の年齢を口にする時、二十歳と言っている。だが正確にはあとちょっと足りない。今年度で二十歳なのだからそれでいいだろう、という理屈だ。
「わかっておる。言ってみただけだ! この缶ビールは貴様にやろう」
しかし緒方も、明日以降の運転に支障が出るかもしれないので飲まない。仕方なく二人は、緑茶を飲んで眠った。
「フンッ! 我輩はそれで満足すると思うか?」
だがこの閻治という男、二時間後に目を覚ます。暗い離れ屋の中で寝間着のまま布団からゆっくりと起き上がり、そのまま用意されていた草履を履いて外に出る。
時刻は午前二時。丑三つ時だ。この時間帯は、悪霊が最も活発に動き回る呪いの時刻とも言われている。
彼が向かった先は、この神社の隣にある墓地だ。
「本来、墓場というのは神聖な場所だ。霊が供養されて埋葬されておるのだからな。だが、時にはその聖なる地を平然と踏みにじる不届き者もおる……」
この神社に来た時、既に見えていた。流れ着いた浮遊霊が、笑いながら墓地の方に行くのが。
閻治が踏み込むと、その浮遊霊も気づく。
「ああ、あああああ……!」
「うぬっ?」
違和感を抱いた。というのもこの浮遊霊は、墓地を荒そうと思っていない。現世に留まりたいとも思っていないのだ。
「成仏できぬ事情持ち、か……」
そうだから、安息を求めて墓地に来たのだろう。この世に残ることは霊にとって、少なからず苦しいこと。それに耐えられないが故に、死してなお救いを求める魂。
「こっちに来い。今、極楽浄土に送ってやろう。安心しろ……」
閻治が手招くと、素直に浮遊霊は彼の前にやって来る。
「………………………」
【神代】独自の経典の読経だ。数種類あって、中には相手を地獄の底に突き落とすのもある。だが今閻治が唱えている経は、相手に苦しみを与えずにあの世へ導くもの。
「ああ、ありがとう……」
浮遊霊は最後にそう言い、その姿が煙のように薄くなって天に昇った。
「安らかな眠りを、貴様に…。貴様の魂は清められた」
この時に、霊の魂と多少交感するため何故成仏できなかったのかもわかる。
未練が一つ。あの浮遊霊には生前、家族がいた。だが不慮の事故で亡くなってしまう。残された家族のことが、死んだ拍子に欠如してしまった記憶の片隅から離れなかったから、この世に残ったのだ。
しかしその事故も、もう半世紀前の出来事。そして子孫は今、普通の生活が送れているに違いない。確証はないが、残留思念を読み取った結果、不幸な結末はないとわかったのだ。
「さて、これからが本番でもある」
これで終わりではない。閻治は墓地を訪れる度に行っていることがある。それは墓参りだ。自分の血縁の者ではないが、墓地を見かけたら必ず水を墓石にかけて拝むと決めている。それが死者への弔いで、この墓地を聖地として維持するための行為でもある。
この墓地はそこまで大きくなかった。だから四十分ほどで終わり、離れ屋に戻る。
「閻治様、またですか?」
「ぬぬっ、お、緒方?」
なんと緒方は起きていた。
(今回ばかりは確実にバレていないという自信があったのだが…!)
夜に勝手に出歩くと、大抵緒方に叱られる。跡継ぎとしての素行がなっていない、と。
「明日は速いですよ? さあ布団に戻りましょう」
だが今夜は説教が飛んで来なかった。毎度のことで呆れ果て怒る気力もないのか、ただ純粋に眠たいのか、それとも閻治のこの癖を認め咎める気がなくなったのか。
次の日の午前十時のことだ。
「例の人物が到着しました」
「ああ、聞いておる。確か土着の呪いに手を出した輩だったな?」
土地特有の伝承があるように、呪いも地方によって異なる。この若い不良は、絶対に覗き込んではいけないと言われていた井戸にタバコの吸い殻を捨てて、見事に呪われた。
「どれどれ……」
母屋に入るその不良を見て、閻治は思う。
「なるほどな。十分道を間違える素質がある。だが、今なら戻れる可能性もある。だから気に入った! 緒方、アイツに職を斡旋してやれ。ああいうタイプは軌道修正したら最後まで貫く」
「わかりました。試料によれば運転免許を持っているようなので、それを活かせる職を探しておきます」
母屋の大広間には、儀式に使う道具が一式揃っていた。
「貴様、自分の過ちはわかるか?」
座布団の上に涙を流しながら震えて座る不良は、
「あ、はい……」
とだけ返事をした。
「ではまず約束せよ。霊を祓ったら、二度と道を踏み外さぬことを」
何度も首を縦に振って頷いた。それを確認し、閻治は除霊を始める。
「その方、何故コイツを呪う?」
その質問に対し不良は、さっきまでの彼の声とは全く異なるトーンで、
「俺の水を汚したからだ!」
荒々しく答えた。これは彼の意見ではない。取り憑いている霊が体を借りて答えているのだ。
「その水は既に枯れておる。それをわかっての行いか?」
「枯れてるだと? 俺の井戸は清らかな水で満ちている! お前にはわからないだろうな!」
「ああ、わからん」
この霊は、贔屓にしている井戸の現状を知らないのだ。何世紀も前に、井戸としての役目は終わった。それは水が潰えたからだ。
「………………」
閻治は読経した。
「やめろ! ぐは、苦しい!」
不良の体を操って霊は、閻治に襲い掛かろうとしたが、閻治が塩を一摘み撒くと、それだけで防がれた。
「の、呪ってやる! お前のことも! 俺の水、水、みずみずみずみずみず………」
力を失ったのか、不良の体は床に倒れた。
これで除霊は完了だ。