第2話 生じた歪み その2

文字数 3,730文字

「今日君たちをこの海神寺に呼んだのは他でもない儀式のためだ。だがその儀式というのはお祓いや厄除けといった簡単なものではない。まず、基本知識を与えよう」

 何やら小難しい話の予感。

「よく、パラレルワールドという言葉を聞いたことはないかな? 創作物において頻出する単語だ」

 四人は頷いた。

「ありますね。ちょうど今僕が読んでいる本が、それをテーマにしたSFですよ」

 雛臥は言う。そしてそれを受け、

「この世界と全く同じ世界もあるかもしれないが、全然違う世界があってもおかしくはない。そしてそこには私や君たちもいるのだろう。そういう考えだ」
「じゃあ、今日はそれについての調査ですか?」

 骸が聞くと、

「いいや、違う」

 否定された。

「私は、平行世界と似て非なる、隣接世界について今研究している」
「何ですそれは?」
「先ほど述べたように平行世界は、例えば自分がスイッチを押すか押さないかで分岐する。が、隣接世界はそうではない。君たちのいた客間で例えてみよう」

 客間は二つある。一つは緑祁と香恵がいる部屋。もう一つは雛臥と骸の部屋。緑祁たちが自分の部屋で何かをしても、雛臥たちには関係ないし影響はない。他の世界とは無関係なのだ。それこそ、隣にある家庭のように。

「平行世界を語る時、よく、「その世界の自分は…」というフレーズを耳にする。だが、隣接世界にはそれはない。マンションの隣の部屋に自分がいないのと同じだ。私と同一の存在は、その世界にはいないだろう。それから…」

 ここで彼は、四人が話について行けていないことに気づく。

「……まあ早い話、その隣接世界を覗いてみようというのが儀式の内容だ」

 パチン、と指を鳴らすと、ドアが開いた。増幸の自室に、道雄と勇悦が入って来た。

「実を言うとね、この二人はこの世界の住民ではない。私が隣接世界から呼び寄せた人たちなのだよ」
「……嘘だろ?」

 骸が反発する。当然だ。いきなり言われて、はいそうですか、と頷ける方がおかしい。

「ちょっと厄介なルールもあってね、それも調査したいんだ」
「それよりも、先に二人がこちらの世界ではないことを証明する方が先ですよ…。だって、目と鼻の先にいるじゃないですか!」

 雛臥が言うと増幸は、

「二人は霊能力者。確かに霊障を操れる。だが、こちらの世界の霊魂を見ることはできないんだ」

 と言い、机の上に置いてあったガラス瓶を取って蓋を開けた。その中には弱い幽霊が封じられており、この部屋の中に飛び出した。増幸も、緑祁たちもその動きを目で追うが、

(本当に、見えてない?)

 道雄と勇悦には認識できていない模様。決してポーカーフェイスを維持しているのではない。本当に見えないのである。
 この小さな霊は増幸の指の合図で、瓶の中に戻る。

「まあ二人がそうでない、と思うなら仕方がない。私の研究は突拍子もないことばかりで信じられる方がおかしいかもしれないからね。他にもいくつか壁がある」

 幽霊を見ることができないのは、この世界に完全に魂を持って来れていないためと増幸は考えている。だからなのか、隣接世界からこっちにやって来た人は、死ぬと霊魂が消滅し、幽霊になることもあの世に行くこともできない。

「それは早い段階で、ネズミを用いた実験で明らかになった。だから二人は原則、この寺院から外には出ない。外出先で事故に遭われると困るのでね」

 そしてやっと、儀式のことに触れる。

「今日は、その隣接世界から新たな霊能力者を呼ぼうと思っている。隣接世界について知るには、もっと人材や情報が必要なんだ」
「すると、増幸さん。俺らの役目はこういうことでいいんだな? その隣に接する世界への扉を開く…」
「そうだ」

 増幸の研究内容についてはいまいちよくわからない。

(それがどうして生死感と結びつくんだろう?)

 だが、呼ばれたからにはその責務を果たす必要がある。これに関しては緑祁や香恵も同じ認識だ。


 儀式は、この寺院にある特別な間で執り行われる。旅館の宴会場程度の広さだ。既に海神寺の者たちによって必要な物は揃えられ、あと足りないのは強力な霊能力だけだ。

「先に言っておくが、ここで見たこと聞いたことは、他言しないように! 他の研究家に先を越されたくはないのでね、いいかい?」
「はい」

 了解が確認できたところで、いよいよ始まる。
 床には魔法陣が描かれており、一番外側の円の上には蝋燭が等間隔で立てられている。まず増幸がその中心部に移動し、それらか火を灯す。

「照明を消せ!」

 電気が切れると、間は闇に包まれた。蝋燭の灯だけが弱々しく瞬いている。

「では、みんな。私が合図したらこの魔法陣に集中してくれ」

 そのサインとは、増幸が指を切って血を滴らすこと。彼もそれをした後は足元に気をつけて魔法陣から出る。

(う……。何だ、重い…?)

 この時緑祁は、いや儀式に参加しているみんなが感じた。ただ、念を送っているだけなのに、逆に飲み込まれそうな力が流されている感覚なのだ。

「今だ! 道雄、勇悦!」

 増幸が頃合いであることを教えた。すると道雄は、ガラス瓶を床に落ちた血目掛けて投げ入れる。同時に勇悦は読経をする。

(聞いたことがないお経だ…。どの宗教にも属してない呪文……やはり彼らは、こっちの世界の人じゃないんだ……)

 瓶に封じ込められていた霊が解き放たれた瞬間、床に描かれていた魔法陣が光り出した。

「う、うお!」

 間が、地震でもないのに揺れ出す。エアコンもないのに風が生じる。明らかに何かが起きている。でもその何かが、目には見えない。

「もっと強く念じてくれ!」

 増幸が叫んだ。気づけば床に落ちたはずの血がひとりでに浮き上がり、空中で輪を成している。その輪の中心部の空間が、歪んでいる。向こう側の景色が上下左右に反転しているのだ。

「もっとだ!」

 苦しいことに変わりはないのだが、それでも緑祁たちは増幸の言う通りにしようと努力した。だが、急に揺れが収まり魔法陣の光も消える。浮かび上がった血は、黒ずんで固まり、床に落ちると塵に変わった。

「………どうだ?」

 だが、何も起きていないことは誰の目にも明らかである。緑祁たちは立っていられず床に倒れている。

 儀式に失敗したのだ。

「………!」

 この場で一番悔しいのは間違いなく増幸だ。けれども彼はそれを表に出すことはなく、

「もういいだろう。君たちは頑張った。今日はどうやら、隣の世界の調子が悪いらしい」

 原因は、血の量が足りなかったことや魔法陣が歪だったことなど色々と考えられる。

(しかし、四人分の霊能力なら十分成功するはずだったのだが…?)

 必ず成功する実験などはない、と思うことで成長の糧にするのだ。

「すみません。僕たちが無力なせいで…」

 責任を感じた緑祁が謝った。それが皮切りとなって、香恵も雛臥も骸も、謝罪し頭を下げる。しかし、

「いいんだよ。こうやって試行錯誤しながら研究っていうのは進むんだから。よく言うじゃないか、失敗は成功の基、って。今夜のおかげで、何が足りなかったのか、いけなかったのか、考えるキッカケが生まれた! それはそれで収穫なのだ」

 その意味ならば、今日のこの儀式も失敗ではない。だが、緑祁たちが霊力を使い過ぎて酷く疲労してしまっているのも事実。四人は客間に戻された。


「結局、何だったんだろうね?」
「きっと、私たちでは役不足だったんだわ」

 やはり落ち度が自分たちにある、二人はそう思っている。

「でも疲れはハッキリと残ってるんだよね。失敗したっていうのに、酷いや…」

 夜遅くまで雑談している余裕すら二人にはなかった。それは隣の部屋の雛臥たちも一緒で、彼らも静かである。

「ここは回復するために、早めに就寝しましょう」

 だからまだ九時前だが、二人は寝ることにした。


 果たして、儀式は本当に失敗だったのか?

 海神寺から離れた場所に、倉橋島がある。その島のとある森林での出来事だ。
 なんと、その木々の間の空間が歪んでいる。まるで陽炎でモヤモヤしているみたいに。かと思うと、突然亀裂が生じてその場の空間が砕け散る。穿かれた穴から、腕が伸びたと思うと、それは穴を広げて身を乗り出し地面に足をつけた。

「ふう、助かりましたね……」

 女性である。呼吸が乱れており、窮地を抜け出してきた様子だ。片方の手は穴と繋がっており、

「よいしょっと」

 もう一人をこちらの世界に連れ込んだ。

「ありがとう、助かった」

 二人目の女性が来た途端、穴は塞がってしまった。

「これで戻る道はなくなったか…」
「ということは、突如生じた穴の中に逃げ込めたのは、わたくしと貴方だけみたいですね」
「あたしはそれで十分だと思うが? あんたさえいれば、他はどうだっていい」
「それはわたくしも同意見ですよ」

 海神寺での儀式は、見方を変えれば成功していた。現にこの二人の女性は、いくつかある内の一つの隣接世界から、たった今やって来たのである。

 だが、やはり視点を変えると失敗だ。何故ならこの二人は、こっちの世界に来るべき人物ではないのだから。

 こうして招いていない来訪者がこちらの世界に踏み入れたことを、緑祁は知らない。増幸も把握しておらず、その日のレポートには、失敗、と書き残している。
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