第10話 報復の折れ刃 その2
文字数 3,604文字
ヤイバの手には、日本刀が握られている。これで橋ごと皐を切り捨ててもいい覚悟。だがその皐はなんと、先ほど肩に刺さった釘を自ら抜いた。
「……っ!」
それで手首を引っ掻いたのである。
血が、噴き出る。それは近づいていたヤイバの手にかかった。
「……ぐは?」
突如、指が赤く腫れ上がった。刀を持っていられないほど、痛みと熱が生じたのだ。
「しまった! これは毒厄……! コイツ、自分の血を使って無理無理矢理射程距離を伸ばしやがったのか!」
ヤイバを倒せるなら、自分の体はいくらでも傷ついて良い覚悟だ。
「死ね、ヤイバ!」
この血しぶきは利用できる。手首をつまんで勢いよく乱射させながら皐は前進した。
「クソっ! これは厄介だ……」
下がるヤイバ。今一歩後退するのに遅れていたら、顔に血がかけられていた。
「だが……墓穴を掘ったのはオマエの方だ!」
すかさず機傀で釘を発射するヤイバ。向こうから近づいて来るのだから、逃げる彼女を狙うよりも当てやすい。
「……承知の上に決まってる!」
胸や腹に釘が痛々しく刺さる。でも皐は痛みを感じない。毒厄で神経を鈍らせて、発せられた信号を遮断しているのだ。
(ん……?)
血の動きに目が行っていたために、さっきまで気にならなかったことにヤイバは気づく。
(この一か所だけ、色が褪せている……?)
踏んでみると、軋んだ。もしもっと体重を乗せたら、この部分だけ抜け落ちるだろう。最初は老朽化しているだけだったのだろうが、二人の戦いに吊り橋が耐え切れなくなり出したのだ。
そしてこの認識が、二人の運命を分けた。
いや正確には、色を判別できた方が生き残る権利を獲得した。ヤイバはまだ辛うじて、その色の違いに気づけた。だが、彼以上に裏で人を殺めているであろう皐は? 魂の穢れが色を損なわせ、識別できなくさせる。だからそこが、脆くなっていることに気づけなかったのだ。
「うきゃあ?」
後ろに下がるヤイバを追いかけている時、皐はその場所を踏んでしまった。すると底が抜け、彼女の体が橋から落ちそうになる。
「あ、ああぁううう!」
間一髪、橋を掴めた。だが体は今にも落ちそうで、ぶら下がっているのである。指の力だけで橋に掴まっている状態なのだから。
「く、クソ……! ヤイバのヤツ、既に橋に細工を? ずる賢い野郎だ……!」
すぐに這い上がろうとするが、
「ここから落ちたら、死ぬよな?」
ヤイバが彼女の指を踏みつけた。
「な、何をするの!」
今毒厄を使って指の感覚を麻痺させたら、確実に力が入れられずに落ちる。だからこの痛みは受けざるを得ない。
「今のオレの願いはただ一つ! 皐、オマエに死を与えることだ! そしてその長年待ちわびた時が、やっと訪れた!」
直接手は下さない。それは緑祁に言われたことでもある。彼に負けたヤイバは、その言うことに従うべきなのだ。これは男としてのプライドの問題。
「だが、オレが今からすることはただ一つだ……」
まるでRPGの中に登場するかのようなハンマーを機傀で生み出すと、駆け寄って来た照にそれを握らせる。
「ちちち、ちょっと! まさかそれでアタシを落とす気なの? 今にも落ちそうなアタシを突き落とすの? ま、待ってよ! ここは一旦冷静になって! お願いだから、復帰するまで……」
「石橋は叩いて渡るべきだが、吊り橋は? 叩けないワケはただ一つ……。オマエが落ちるからだ」
照は持てる力を全てだし、橋を思いっ切り叩きつけた。その衝撃はすさまじく、吊り橋全体が波打つように揺れる。この揺れに皐の指が耐えられるわけがない。
「ああっ……」
彼女の体は、橋の下……暗闇に落ちて行った。
「やった……。やったぞ………!」
気づくと指の腫れが引いている。毒厄から解放されたのだ。それはあることを教えてくれる。
「皐は死んだ! 復讐は晴らされたのだ!」
下を見ると、かなり暗い。ヤイバも照も灯りを生み出せる霊障は扱えないので正確に皐の死を確認したわけではないが、この高さから落ちたのなら、まず命はないとみていい。
「やったよ、ヤイバ……!」
照はヤイバの胸に飛び込んだ。彼女のことをヤイバは優しく撫でた。
「ああ、やったぞ照! これで皐は死んだ。オレの奪われた八年間も、オマエの殺された両親も、報われた……」
長居は無用。二人はすぐにアパートに戻る。
しかし今まで通りの生活に戻れるわけではない。【神代】が全力で調べればヤイバはすぐに見つかるだろうし、照が散霊を病棟に放ったことだってバレるだろう。だから二人は、この復讐が終わった時のことを考えて荷造りを済ませていた。
「流石の【神代】も海の向こうまで手は出せない。照、この国を出るぞ。もうこの国には、オレたちの居場所はない」
亡命先に選んだのは、欧州。そこまで逃げ、【神代】に脅かされない生活を送るのだ。
復讐を遂げることができた二人だが、それが正しい行いとは限らない。
「準備はいいよ、ヤイバ。じゃあもう行こうか」
朝一番の飛行機に乗り込んだ二人。今までの恨みにまみれた人生はこの日本に捨てていく。もう思い残すことはない。ヤイバには親戚がいないし、照は両親の位牌を近くの神社に置いてきた。
「じゃあね、さようなら、父さん、母さん。私は死んだら地獄に落ちると思うけど、許してね。父さんと母さんの命を奪った皐は、もう葬ったから……」
やがて飛行機は時間が来たので、空に向かって飛んで行った。
だが実は、これで終わりではない。
時計の針を少し遡らせよう。
ヤイバと照に落とされた皐。闇に落ちていく中、
(嘘、死ぬのアタシが? 嘘嘘嘘…! これは夢だ! 夢なんだ! アタシがあんなヤイバごときのクズに殺されるなんて……あり得ない!)
ひたすら現実逃避をしていた。
バシャン、と川に落ちた彼女。
「う、うう……」
しかし奇跡的に、生きていたのだ。もう左腕は動かせないレベルに重症だが、命は助かった。
「や、ヤイバに照……、殺す……。待ってなさい、今すぐに戻って必ず、息の根止めてやるんだから……!」
ボロボロの体に鞭を打って無理矢理動かし、川から出ようとしたその時、
「ぎぎゃああああ………!」
体に電気が走った。
「な……に……?」
どうやら後ろから、何かに放電されたらしい。振り向くとそこには、紫電がいた。
「し、紫電……。アンタ、どこに行ってたの? ちょうどいい、今すぐあの橋の上に……」
「黙れ、この嘘吐きめ!」
だが彼は、皐の言うことを聞く気がない様子。再びダウジングロッドを構えて電霊放を撃ち込んだ。
「が、ああ…!」
川の中に倒れこむ皐。
「よし、いいぞ紫電。後は俺と雛菊に任せろ。日影皐、過去に貴様がやらかした話を聞かせてもらうぜ……。身柄を拘束する!」
「カンネンして」
範造と雛菊が川に入り、手錠を皐にかけようとする。
「来る……な…! ゴミカスども……」
最後の悪あがきをここで皐が見せる。四つん這いになって反対側を逃げようとしたのだ。
だが、
「んむむ、わちきは緋寒じゃ」
「うぬぬ、わっちは紅華じゃ」
「ひょれ、わたいは赤実じゃ」
「あんれ、わたしは朱雀じゃ」
そっちには、皇の四つ子がスタンバイしていた。
もう皐の逃げ道はどこにもない。
「そ、そんな……!」
七人の霊能力者に囲まれ、ようやく観念した皐。諦めたのが態度に出て、頭がガクッと下がる。
「……わかったよ、教えてくれてありがとう」
朝になって皐確保の知らせを受けた緑祁。当初はヤイバを見逃したことを後悔しており最悪の事態まで覚悟したが、そうはならなかったので一安心だ。また、皐の口からヤイバのことも出て来たために、彼が彼女に返り討ちになったこともなかった。
「でもヤイバはどこかに行ってしまったんでしょう?」
「心残りはあるけど、ヤイバがしたいのは無差別殺人じゃなくて復讐だからね。他の人に危害を加えるようなことはしないよ。そもそもが善人だったんだ。人を殺したことには変わりないけど、きっと更生できると僕は信じてるよ」
恨みは誰もが抱く感情だ。言い換えれば人は、常に誰かの恨みを買いながら生きている。晴らさず我慢できる人もいるだろう。だが中にはヤイバのように、それができない人もいるのだ。
「復讐なんてするべきじゃない。許すことが大事だ」
中にはそう言う人がいるだろうし、それが今のこの世界では正しいのだろう。事実仇を討っても失われた時間や人は戻って来ない。
だが、忘れられることが傷つけられた人に簡単にできるだろうか?
答えは緑祁がその身を持って知った。
「できないだろうね。同じ立場なら僕だってするさ。でも無意味とは思わないよ。復讐は自分の過去と魂へのケジメのつけ方だと、僕は思うんだ」
この、ヤイバに関する一件を彼はこれで閉じた。
「緑祁、新しい仕事が入ってるわ。向かってくれる?」
「もちろん!」
緑祁と香恵はいつも通りの日常に戻る。
「……っ!」
それで手首を引っ掻いたのである。
血が、噴き出る。それは近づいていたヤイバの手にかかった。
「……ぐは?」
突如、指が赤く腫れ上がった。刀を持っていられないほど、痛みと熱が生じたのだ。
「しまった! これは毒厄……! コイツ、自分の血を使って無理無理矢理射程距離を伸ばしやがったのか!」
ヤイバを倒せるなら、自分の体はいくらでも傷ついて良い覚悟だ。
「死ね、ヤイバ!」
この血しぶきは利用できる。手首をつまんで勢いよく乱射させながら皐は前進した。
「クソっ! これは厄介だ……」
下がるヤイバ。今一歩後退するのに遅れていたら、顔に血がかけられていた。
「だが……墓穴を掘ったのはオマエの方だ!」
すかさず機傀で釘を発射するヤイバ。向こうから近づいて来るのだから、逃げる彼女を狙うよりも当てやすい。
「……承知の上に決まってる!」
胸や腹に釘が痛々しく刺さる。でも皐は痛みを感じない。毒厄で神経を鈍らせて、発せられた信号を遮断しているのだ。
(ん……?)
血の動きに目が行っていたために、さっきまで気にならなかったことにヤイバは気づく。
(この一か所だけ、色が褪せている……?)
踏んでみると、軋んだ。もしもっと体重を乗せたら、この部分だけ抜け落ちるだろう。最初は老朽化しているだけだったのだろうが、二人の戦いに吊り橋が耐え切れなくなり出したのだ。
そしてこの認識が、二人の運命を分けた。
いや正確には、色を判別できた方が生き残る権利を獲得した。ヤイバはまだ辛うじて、その色の違いに気づけた。だが、彼以上に裏で人を殺めているであろう皐は? 魂の穢れが色を損なわせ、識別できなくさせる。だからそこが、脆くなっていることに気づけなかったのだ。
「うきゃあ?」
後ろに下がるヤイバを追いかけている時、皐はその場所を踏んでしまった。すると底が抜け、彼女の体が橋から落ちそうになる。
「あ、ああぁううう!」
間一髪、橋を掴めた。だが体は今にも落ちそうで、ぶら下がっているのである。指の力だけで橋に掴まっている状態なのだから。
「く、クソ……! ヤイバのヤツ、既に橋に細工を? ずる賢い野郎だ……!」
すぐに這い上がろうとするが、
「ここから落ちたら、死ぬよな?」
ヤイバが彼女の指を踏みつけた。
「な、何をするの!」
今毒厄を使って指の感覚を麻痺させたら、確実に力が入れられずに落ちる。だからこの痛みは受けざるを得ない。
「今のオレの願いはただ一つ! 皐、オマエに死を与えることだ! そしてその長年待ちわびた時が、やっと訪れた!」
直接手は下さない。それは緑祁に言われたことでもある。彼に負けたヤイバは、その言うことに従うべきなのだ。これは男としてのプライドの問題。
「だが、オレが今からすることはただ一つだ……」
まるでRPGの中に登場するかのようなハンマーを機傀で生み出すと、駆け寄って来た照にそれを握らせる。
「ちちち、ちょっと! まさかそれでアタシを落とす気なの? 今にも落ちそうなアタシを突き落とすの? ま、待ってよ! ここは一旦冷静になって! お願いだから、復帰するまで……」
「石橋は叩いて渡るべきだが、吊り橋は? 叩けないワケはただ一つ……。オマエが落ちるからだ」
照は持てる力を全てだし、橋を思いっ切り叩きつけた。その衝撃はすさまじく、吊り橋全体が波打つように揺れる。この揺れに皐の指が耐えられるわけがない。
「ああっ……」
彼女の体は、橋の下……暗闇に落ちて行った。
「やった……。やったぞ………!」
気づくと指の腫れが引いている。毒厄から解放されたのだ。それはあることを教えてくれる。
「皐は死んだ! 復讐は晴らされたのだ!」
下を見ると、かなり暗い。ヤイバも照も灯りを生み出せる霊障は扱えないので正確に皐の死を確認したわけではないが、この高さから落ちたのなら、まず命はないとみていい。
「やったよ、ヤイバ……!」
照はヤイバの胸に飛び込んだ。彼女のことをヤイバは優しく撫でた。
「ああ、やったぞ照! これで皐は死んだ。オレの奪われた八年間も、オマエの殺された両親も、報われた……」
長居は無用。二人はすぐにアパートに戻る。
しかし今まで通りの生活に戻れるわけではない。【神代】が全力で調べればヤイバはすぐに見つかるだろうし、照が散霊を病棟に放ったことだってバレるだろう。だから二人は、この復讐が終わった時のことを考えて荷造りを済ませていた。
「流石の【神代】も海の向こうまで手は出せない。照、この国を出るぞ。もうこの国には、オレたちの居場所はない」
亡命先に選んだのは、欧州。そこまで逃げ、【神代】に脅かされない生活を送るのだ。
復讐を遂げることができた二人だが、それが正しい行いとは限らない。
「準備はいいよ、ヤイバ。じゃあもう行こうか」
朝一番の飛行機に乗り込んだ二人。今までの恨みにまみれた人生はこの日本に捨てていく。もう思い残すことはない。ヤイバには親戚がいないし、照は両親の位牌を近くの神社に置いてきた。
「じゃあね、さようなら、父さん、母さん。私は死んだら地獄に落ちると思うけど、許してね。父さんと母さんの命を奪った皐は、もう葬ったから……」
やがて飛行機は時間が来たので、空に向かって飛んで行った。
だが実は、これで終わりではない。
時計の針を少し遡らせよう。
ヤイバと照に落とされた皐。闇に落ちていく中、
(嘘、死ぬのアタシが? 嘘嘘嘘…! これは夢だ! 夢なんだ! アタシがあんなヤイバごときのクズに殺されるなんて……あり得ない!)
ひたすら現実逃避をしていた。
バシャン、と川に落ちた彼女。
「う、うう……」
しかし奇跡的に、生きていたのだ。もう左腕は動かせないレベルに重症だが、命は助かった。
「や、ヤイバに照……、殺す……。待ってなさい、今すぐに戻って必ず、息の根止めてやるんだから……!」
ボロボロの体に鞭を打って無理矢理動かし、川から出ようとしたその時、
「ぎぎゃああああ………!」
体に電気が走った。
「な……に……?」
どうやら後ろから、何かに放電されたらしい。振り向くとそこには、紫電がいた。
「し、紫電……。アンタ、どこに行ってたの? ちょうどいい、今すぐあの橋の上に……」
「黙れ、この嘘吐きめ!」
だが彼は、皐の言うことを聞く気がない様子。再びダウジングロッドを構えて電霊放を撃ち込んだ。
「が、ああ…!」
川の中に倒れこむ皐。
「よし、いいぞ紫電。後は俺と雛菊に任せろ。日影皐、過去に貴様がやらかした話を聞かせてもらうぜ……。身柄を拘束する!」
「カンネンして」
範造と雛菊が川に入り、手錠を皐にかけようとする。
「来る……な…! ゴミカスども……」
最後の悪あがきをここで皐が見せる。四つん這いになって反対側を逃げようとしたのだ。
だが、
「んむむ、わちきは緋寒じゃ」
「うぬぬ、わっちは紅華じゃ」
「ひょれ、わたいは赤実じゃ」
「あんれ、わたしは朱雀じゃ」
そっちには、皇の四つ子がスタンバイしていた。
もう皐の逃げ道はどこにもない。
「そ、そんな……!」
七人の霊能力者に囲まれ、ようやく観念した皐。諦めたのが態度に出て、頭がガクッと下がる。
「……わかったよ、教えてくれてありがとう」
朝になって皐確保の知らせを受けた緑祁。当初はヤイバを見逃したことを後悔しており最悪の事態まで覚悟したが、そうはならなかったので一安心だ。また、皐の口からヤイバのことも出て来たために、彼が彼女に返り討ちになったこともなかった。
「でもヤイバはどこかに行ってしまったんでしょう?」
「心残りはあるけど、ヤイバがしたいのは無差別殺人じゃなくて復讐だからね。他の人に危害を加えるようなことはしないよ。そもそもが善人だったんだ。人を殺したことには変わりないけど、きっと更生できると僕は信じてるよ」
恨みは誰もが抱く感情だ。言い換えれば人は、常に誰かの恨みを買いながら生きている。晴らさず我慢できる人もいるだろう。だが中にはヤイバのように、それができない人もいるのだ。
「復讐なんてするべきじゃない。許すことが大事だ」
中にはそう言う人がいるだろうし、それが今のこの世界では正しいのだろう。事実仇を討っても失われた時間や人は戻って来ない。
だが、忘れられることが傷つけられた人に簡単にできるだろうか?
答えは緑祁がその身を持って知った。
「できないだろうね。同じ立場なら僕だってするさ。でも無意味とは思わないよ。復讐は自分の過去と魂へのケジメのつけ方だと、僕は思うんだ」
この、ヤイバに関する一件を彼はこれで閉じた。
「緑祁、新しい仕事が入ってるわ。向かってくれる?」
「もちろん!」
緑祁と香恵はいつも通りの日常に戻る。