第8話 最後の恐怖の黄金 その1

文字数 3,240文字

「こっちだよ、香恵!」

 板倉東洋大前駅で電車を降りた緑祁と香恵。目的地である渡良瀬遊水地は、栃木、群馬、埼玉、茨城の四県にまたがっている。足尾銅山鉱毒事件の際に設けられた、鉱毒を沈殿させて無害化させることを目的とした、日本最大の遊水地である。
 何故二人はこんな夜にこの場所に来たのか? その理由は簡単で、

「今夜、ここに辻神が来るんだよね?」

 辻神が、緑祁に挑戦状を出したからだ。その指定の場所がここ、渡良瀬遊水地の第一調節池なのだ。

「緑祁、気をつけて! 辻神は電霊放の他にも蜃気楼を使えるわ」

 だから、もう既に着ているかもしれないし、これから攻撃が始まるかもしれない。念のために緑祁は、式神を召喚しておく。

「頼んだよ、[ライトニング]、[ダークネス]!」

 二体の式神が空を羽ばたき、遊水地を見回す。怪しい人物はまだいないらしい。

「これからどうするの、緑祁?」

 それは戦いのプランを聞いているのではない。辻神を倒し捕まえることができたら、その先はどうなるのかを尋ねているのだ。

「幸いにも、まだ彼らはそんな罪を犯しているわけではないよ。【神代】は何も被害を受けてないからね。だから、彼らを助けることができるんだ」

 緑祁の目的は、ただ三人を捕まえることではない。

「僕は救うよ。辻神に山姫、彭侯たちを! 過去のしがらみから、解放させるんだ!」

 今のままでは辻神たちは、いつかは【神代】への攻撃を始めてしまう。その後では手遅れだ。だからその日が来る前に。以前緑祁が香恵に対し言った通りのことをやってみせる。当然難しく険しい道のりだろう。でも彼は決して折れない。

(僕のように過去に苦しむ人を、放っておけないんだ!)

 その熱い思いを胸に、この夜に臨んだ。

「ねえアレ!」

 香恵が緑祁の肩を叩き、自分と同じ方向を向かせた。
 その視線の先には、男が一人、彼らに向かって歩いている。前髪が跳ね上がって冠のようになっている男性……辻神だ。

「つ、辻神!」

 緑祁は叫んだ。相手は堂々と、つまり周囲を警戒せずに迫ってくるのだ。
 すぐに[ライトニング]と[ダークネス]を呼び戻した。そして札にもしまう。今回、辻神と一騎打ちするつもりなので、式神の力は本当にどうしようも無くなった時にしか使わないつもりだ。
 式神が札に引っ込んだのを見ると辻神は、

「よくここまで来たな、緑祁、香恵。臆することなくこの場に立っていること、純粋に敬意を示したい」

 緑祁のことを褒めた。それに対して緑祁は、

「辻神……。そっちはこれからどうするつもりなんだい? 【神代】へ攻撃して、それでどうなるの? 忘れたい過去から解放されるのかい?」

 と、聞いた。緑祁は、【神代】への攻撃……つまりは暴力的な行為によってトラウマを克服できるとは思っていないのである。

「おまえには何もわからないだろうな、緑祁……。受け継いだ屈辱、それは同じく屈辱を味わったものにしか理解できない。おまえが何を言おうと、何も解決はしない」
「誰かを傷つけることが正義とは思えないよ僕には」
「おまえがわかる必要はない。私たちが解放されればそれで良いのだ。【神代】に過ちを認めさせ、無念の死を遂げた私たちの先祖に頭を下げさせる。それができるのなら私は命をいくらでも捧げる覚悟」
「そんなこと、させないぞ…!」
「そうか。ならば緑祁、力を示してもらおう。おまえが今ここにいるということは、それはおまえが【神代】の代弁者であるのと同じ! その【神代】が、私たちを止められるのか!」
「止めてみせる!」

 緑祁は構えた。いつでも霊障を使うことができる。

(電霊放の対策は常にしてある。だから蜃気楼にさえ気をつければ、大丈夫なはずだ……)

 香恵から蜃気楼の仕様は聞いてある。姿と少しの音を誤魔化せる、幻覚の霊障。でも存在を偽ることは不可能で、触れば本当にそこにあるのかそれともないのかがわかる。

(今、目の前にいる辻神が既に幻覚って可能性も捨てきれない……)

 逆を言えば、緑祁が触れるか霊障を撃ち込み手応えを感じない限り、自分の目を信じるのは危険だ。

「最初に褒めてやると言ったのは、この付近に霊能力者がいないことを私が確認済みだからだ。【神代】が重い腰を上げて私たちを捜索しようと、そこまではいっていないのがわかった! だから今、この遊水地には私たちとおまえたちしかいない」
「もちろんそうだよ。人員は借りれなかったし、そもそもいらない! 僕が辻神、そっちと真っ向勝負をする!」


 二人の勝負が始まろうとした時、雲に隠れていた月が出てきた。その明るさが遊水地を照らし出す。

「いくぞ、緑祁!」

 先に動いたのは、辻神だ。やはり両手にドライバーを握っている。

(電霊放を使ってくる!)

 それはわかっている。だから問題はない。

(辻神を鉄砲水でびしょ濡れにしてしまえば、電霊放は自分の体に流れてしまう! それで無力化可能だ! だから……)

 だから鉄砲水をメインに使う、と心の中で決めようとした際に、信じられないことが起きた。

「うおおお!」

 何と辻神が三人に分身したのだ。

「こ、これが……蜃気楼か!」

 三人とも同じ格好で、呼吸の速度や心拍数のテンポすらも一緒。

(これで僕を惑わす作戦か! でも電霊放を撃って来るのは、本物だけだ! それを見極めれば……)

 しかしこの考えも甘かった。

「くらえ、電霊放!」

 黄色に輝く稲妻が、三人の辻神のドライバーから出現した。

「ぐっ! て、鉄砲水!」

 すぐに水でガードをする。そしてこの時感じた手応えもおかしい。

「こ、こんな…! あり得ない! そんなことって…?」

 三方向から撃ち込まれた電霊放、そのどれもが本物なのだ。それを鉄砲水の防御で感じた。もしもどれかが偽物なら、鉄砲水を通過するはずだ。それすらも蜃気楼で誤魔化せるとしても、感触までは操作できない。だからこれは、あり得ない。

「辻神が三人いないと、これは……!」

 混乱する緑祁。ここで香恵が彼の腕を握り、言った。

「落ち着いて緑祁。電霊放だけは本物なのかもしれないわ」
「どういうこと?」

 香恵が言うには、

「蜃気楼を使って自分の分身を出した。そこまではいい? そしてその後よ。もしも辻神が電霊放の扱いに、紫電以上に慣れているとしたら? 僅かな電気を分身から飛ばしている可能性があるわ」
「そ、そうか!」

 つまり幻覚の二人の辻神から、電霊放が出ているように見えるだけ、ということ。電気の中継も蜃気楼で見せなくさせることだってできるのだ、それくらいしてきてもおかしくはない。

「厄介な霊障だ、蜃気楼! でも本物の辻神はただ一人! それさえわかれば、対処はできる!」

 旋風を起こす緑祁。風なら電霊放には干渉されないから、これを吹き付けるのが一番手っ取り早いのである。

「それぇ!」

 風が吹いた。その風は三人の辻神に迫るが、突如吹雪いた大気にかき消されてしまった。

「く……! 運や天は辻神の味方か!」

 緑祁の旋風が突風だったら、そういうことにはならず逆に自然な空気の流れすらも操れた。今大きめの風が吹いたのは、本当に運が悪かったとしか言いようがないのだ。

(でも、本当にそうなの? 緑祁の霊障なら、少しは抗えてもおかしくはないはずだわ……)

 しかし香恵は、疑念を抱く。でも今はそれを確かめる術がないので、彼女の中でそれは留まった。

「こうなったら!」

 前に彭侯がしたように、鉄砲水を天に向かって撃つのだ。まずは大きな水の玉になるまで力を貯める。

「降り注ぐ雨なら、全部を電霊放で撃ち落とすことは不可能だ! これで」
「そうはさせない」

 だが、この動きは辻神に見えている。三人とも電霊放を撃ちこみ、その水の玉を弾けさせた。

「くう!」

 こうなると、危険だが近づいて触れてみるのも一つの手だ。しかし緑祁が誰か一人に近づくと、ソイツは遠ざかり残る二人が電霊放を撃ちこんでくる。ターゲットを変えても同じ結果になってしまうのだ。

「くらえ!」

 また電霊放が飛んできた。
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