第9話 沈黙の初対面 その2

文字数 2,893文字

「幸せ……?」

 その単語に、緑祁の心の中の靄が一気に排除された。

(そうだ。僕は何て自分勝手なことを思っていたんだ! 香恵が僕を選んでくれるかどうかが、行動の基礎になっちゃ駄目だ! 香恵の幸せを思うのなら、願うのなら、僕が助けるべきは………本物の香恵だ!)

 偽者は、寄霊が再現した紛い者に過ぎない。言い換えれば一度この世で失われた命が、未練という負のエネルギーのせいで現世に留まり、偽の香恵に取って代わってその未練を消化しようとしている……香恵のことを利用しているのだ。

(僕が許せないのは、それだ! どうして気づけなかったんだ!)

 緑祁は迷いを吹っ切った。

「僕も手伝うよ」

 刹那たちに加わり、除霊に参加。

(目覚めてくれ、香恵! 僕は必ず香恵のことを暗闇から救ってみせる!)

 何度も何度も読経した。
 だがそれとは裏腹に、一向に目覚める気配がない。

「どうして駄目なんだろう? 緑祁の時は上手くいったのに! 何が違うのよ?」
「時間か――」

 閃いたのは、刹那だった。

「あ、そうか!」
「どういうこと?」
「私たちが緑祁の除霊をしたのは、寄霊に取り憑かれた次の日のこと。でも香恵は一年間も眠っているじゃない? その時間の流れが、邪魔しているのかもしれないわ!」

 絵美の話は、仮説に過ぎない。だが同じく寄霊に取り憑かれた緑祁と比べてみて、香恵と異なる点は、こん睡状態の長さだけだ。

「そうなら、これ以上除霊をしても無駄ってことかい……?」
「いいえ、違うわ! 目覚めを阻害する何かを断ち切ればいいのよ!」

 その何かを、絵美は口にしなかった。でもこの場の誰もが、わかっていた。

「偽者の、香恵……」

 確証のある話ではない。だが、妙な説得力があるのだ。

「寄霊の性質なんて詳しくは知らないわ。でもきっと、それはこういうことなのよ!」

 無理矢理、式と式をイコールでつなぎ合わせる絵美。

「あり得る。寄霊が本物に取って代わるなら、本物に目覚められては困るはずだ。となると、緑祁のケースは時期が速かったがため偽者が登場しても救えたということ。香恵の場合は、その取って代わっている偽者を祓う必要がある。違和感はない――」

 そうとわかれば、やるべきことは一つだけだ。

「刹那! ささっと長崎に戻って偽者の香恵を探し出しましょう! そして祓うわよ!」
「了解した――」

 二人は病室を出ようとした。

「待ってよ!」

 緑祁が呼び止めると、

「あなたはここで待ってなさい!」
「ど、どうして…!」
「我らには、汝が偽者の香恵を討伐できるとは思えぬ――」

 言われてみれば簡単なことだ。香恵に特別な感情を抱いている緑祁が、たとえ相手が偽者であるとしても、刺せるわけがないのである。幸いにも香恵の戦闘能力は高くないので、刹那と絵美が二人で協力すれば十分だ。

「勝手に決めないでよ!」
「だって、そうじゃないの?」

 確かに緑祁、

(偽とはいえ香恵の姿を傷つけることは、あまり考えたくない)

 刹那と絵美の指摘通りの発想を抱いていた。しかし、

「僕が行くよ」

 それを強く主張した。

「できるわけないでしょ! 黙ってなさい!」
「黙れないよ! 僕がするべきなんだ!」

 緑祁は言う。寄霊との因縁はまだ終わっておらず、そしてそれは自分の手でピリオドを打つべきだ、と。

「一理ある――」

 刹那は理解を見せた。

「でもね、あなたにはできない! だって、相手は香恵の姿をしているし、思想発想も
同じなのよ? 甘い言葉を聞かされたら、絶対に躊躇うはずだわ!」
「ううっ……」

 可能性が高い。

「私からもお願いします」

 意外にも、意見をしたのは理恵だった。

「ちょっと黙っ……!」
「私は、緑祁さんのことを信じたいです。姉さんの幸せを願うことが、緑祁さんにはできると思います。それに万が一できなかったとしても、もうこの件は【神代】に報告してあるのですよね? 時間が経てば他の誰かが討伐に行くでしょうし、それに私は今すぐに姉さんを目覚めさせてとは言いませんよ」
「……あなたがそう言うなら」

 絵美も渋々了承。でも黙って行かせる気はなく、緑祁の懐に手を突っ込んで、

「うわ、何するんだ?」

 札を二枚、取り上げた。[ライトニング]と[ダークネス]の札だ。

「これらは預かっておくわ。あなたがちゃんと偽者の香恵を倒せたら、返却する」

 土壇場で引き返させないための、苦肉の策。絵美も緑祁本人ではなく式神に任せてしまえば簡単に終わるとわかっているが、他に人質にできそうな物がないので仕方がない。

「いいよ。でも、ちゃんと返してよ?」
「わかってるわ。あなたが偽者の香恵を倒せば、ね?」

 私物にする気はないので、絵美も式神の札を緑祁に返却できることを願っている。


 近くのビジネスホテルに移った三人。ます緑祁のシングル部屋に集まり、

「皇の四つ子に連絡をしましょうか。まだ長崎にいるでしょう?」
「でも、偽者の香恵がそこに留まっているかどうかはわからないよ…」
「言えている。寄霊の習性を我らは詳しく知らない。故に既に九州どころか、日本にすらいない可能性だって十分あるのだ――」

 その最悪の場合を考えると、背筋が凍る。【神代】は日本を牛耳ってはいるが、それは海外まで勢力は伸ばせていない、と言い換えられる。もし出国されたら、完全に逃げられたということだ。

「スマホ、鳴ってるんじゃないの?」

 絵美が指摘した。緑祁のスマートフォンが、マナーモードで鳴っている。

「あ、緋寒からだ……」

 タイミングがいい。しかしそれは何か、向こうでも動きがあったということだ。会話の内容を刹那と絵美にも聞かせるために、スピーカーホンに切り替える。

「もしもし?」
「ああ、緑祁か? どうじゃ、本物とは会えたか?」
「ああ、会ったよ。確かに香恵は今、あの病院で眠ってる」
「そうか。こっちは順調じゃぞ」
「何が?」

 聞くと、二度と緑祁や香恵のような被害者を出さないためにも、既に重之助が軍艦島に上陸し、結界を張ったらしい。維持のためにやはり定期的にメンテナンスの必要はあるが、寄霊が寄り着くことはまずなくなったと言える、と。

「それと、凄く変なことを聞く」
「何だい?」
「……本物の香恵は、そっちにおるのじゃよな?」

 その問いかけに、はい、と言って頷くのは簡単だ。だが三人は、あることを察する。

「偽者の香恵を見かけたの?」
「そうじゃ…」

 そして、察知した通りだった。

「今妹たちに見張らせておるが、あれは香恵で間違いないはず」

 皇の四つ子は香恵と会ったことはない。だが、興信所の報告書に顔写真が載っていたのですぐにわかったのである。

「どうする?」

 この発問の意味は、緋寒たちが偽者を倒していいかどうか許可を仰いでいるのではない。逆に保護するかどうかを尋ねている。

「緑祁、偽者だが香恵は今、わちきらの目の前におる! ここは……」
「そのまま目を離さないで! 僕がすぐそっちに戻るよ」
「ほう?」

 そして、

「本物の香恵を救うために、偽者の香恵を僕が倒す!」

 ホテルを飛び出し緑祁は羽田空港に戻ると、長崎行きの便に乗った。到着は夜になる。

「終わらせるんだ! 寄霊との因縁を、僕の手で!」
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