第1話 常闇の森 その1
文字数 3,324文字
四年前に東北新幹線が開通したおかげで、この青森にも東京から乗り換えなしで行けるようになった。そのためか、本州最北端のこの県にやって来る人も増えた。
「週末は、食べようぜ!」
そんな呑気なことを言う大学生も、首都圏からこの地方にある大学に進学したのだ。
「でも、どこで食べる? 大学周辺の飲み屋はもう制覇しちまったよ?」
彼らは今、二年生。最初の一年目は先輩の力を借りて酒を飲む。借りれないなら、仲間に浪人生を加えて年齢のラインを越える。そんなことを繰り返したためか、ほとんどの居酒屋で顔なじみとなった。
「いいところがあるんだ。イタリアンな店だ。多分美味い」
「何で多分なんだ?」
「俺がまだ行ったことがないからだ」
「どうせ、安いから選んだんだろう? お前、いっつも金欠だもんな?」
「ちげえよ! あの店は面白いぜ?」
誘う側は何とか説得を試みるが、誘われている方はその言動全てが怪しく聞こえる。仕方なく、タネ晴らし。
「大学の同期がそこでアルバイトしてんだぜ? だから行ってみたくなった!」
「それを先に言えよ! んで、誰?」
「永露…だったっけ? あの影が薄いヤツだよ!」
だが、決して悪いヤツではない。現にこの学生は去年の試験、彼から過去問をもらったことで乗り切ったぐらいだ。
「一匹狼って感じじゃないけど、ちょっとボッチだよね、彼」
そして大学内で、特定の誰かと一緒にいる姿はあまり目にしない。他の人と口を利くのは実験の時ぐらいだろうか。
「ま、行ってみようぜ!」
夕方のお腹が空く時刻を待って、この学生たちはそのイタリアンレストランに向かった。小さいが、大きなピアノが置いてあるレストランだ。店の雰囲気も外国的。美味しそうな匂いが漂っている。
「結構本格的だな。調理係なのか? それともレジ?」
「ここで働いてることは知ってる」
「でもよ……」
一人がレストランを見回して言った。
「それっぽい人はいねーぞ? 注文する時に聞いてみっか!」
「ああ」
テーブルに案内され、メニューを広げる。ここはパスタがおススメらしいので、これで決まりだ。ボタンを押せば、係が来る。
「ミートソースが一つ、マッシュルームが一つ、たらこ一つにアサリ仕立てが一つ。あと、ソフトドリンクは全員コーラで」
「はい、かしこまりました。以上で?」
「あ、あとさ! ここに永露という人ってバイトしてる? 見かけないけど、厨房にいるのかな?」
「彼のことですね。すぐにわかりますよ」
そう言って、係の人は戻ってしまった。
「どういう意味だ?」
料理が運ばれてくるまでの間、彼らはクエスチョンマークを頭の上に浮かべていた。
「あっ!」
一人が気がついた。
「あの、ピアノのところにいるぞ!」
そう。彼らが待っていた人物は、ピアノの演奏者の椅子に腰かけた。楽譜を広げ、鍵盤に指を置く。無言で演奏が始まった。
「………」
思わず聞き入ってしまうほど心地よい演奏だ。他の客の料理の香りが気にならなくなるほどである。何の曲を弾いているのかはわからないが、
「上手い…」
それだけはわかる。
一曲目を終えると同時に、彼らの席にパスタが運ばれた。
「舌も耳も肥えるな、これは!」
「しっ! 黙って食べろ!」
一曲終えると楽譜を開き直し、次の曲に移る。耳をつんざくような激しい曲は弾かれない。これは客に配慮しているからだろう。
一時間ほどすると、彼の番は終わり。次の演奏者にバトンを渡した。彼がスタッフの部屋に入ろうと歩いていると、
「おい、永露!」
呼び止められた。
「えっと、確か大学の……だよね?」
彼は自信なさそうに口を開いた。ピアノに向き合っている時はたくましく思える風貌だったのに、席を外すとどこにでもいるただの学生だ。
「すげーじゃん! 永露がこんなにピアノ上手いなんて知らなかったぜ!」
「オルガンもできるよ。ドラムや弦楽器も大丈夫。だけど、息を使う方は昔から苦手で…」
「いいじゃねえかよ! 俺なんて下手くそすぎて軽音楽部やめたぐらいだぜ? 今度、コツを教えてくれよ!」
「ああ、今度ね。今は早く行かないといけないから……」
そう言って強引に会話を打ち切ると、彼はスタッフオンリーの通路に消えた。
「いやあビックリしたね。永露君、君にちゃんとした友達がいるとは」
「友達、ですかね? ちょっと自信がありません。講義室で顔を会わせてるだけですし」
十一時になると、店は閉まる。店長が彼のことを呼び止めて、適当な席に着いて話す。
「それより、掃除しましょうよ。一日の閉めは綺麗であるべき、っていつも言ってるじゃないですか」
「あ~実は、君にお客さんがいてね」
「はい?」
店長の目線が、彼から外れた。その方向を追うと、こちらに背を向けて座っている女性が一人。従業員ではないのは、ここで毎晩演奏している彼がよくわかっている。閉店時刻にもかかわらず、その客人は優雅にコーヒーを飲んでいた。
「相手をしてきてくれ。どうやら重要な話が君にあるようだ」
「は、はぁ…」
店長が先にテーブルから立った。それから彼も席を移った。
「あ、あのう…」
二人用の席なので、真正面に座るしかない。恐る恐る椅子を動かし腰かける。赤いジャケットを着た、腰まで伸びる黒く長い髪が特徴の女性だ。
「お上手だわ」
目が合った途端にその女性は、拍手をした。
「ピアノは幼い頃から習ってたから。中高生の時は合唱祭でも演奏したし。でも、息は全然続かないんだ。泳ぐことには困らないけど…」
「そうじゃなくて、そちら…。素性を隠すのが、って意味よ」
「どういう?」
すると彼女はバッグからとある冊子を取り出しテーブルの上に置いた。
「永露 緑祁 …。青森県下北郡大間町生まれ。今は青森市内の大学生で、親の仕送りで生活している…」
なんと彼女は、緑祁の素性を読み上げたのだ。
「それが噂に聞く、霊能力者ネットワークってヤツかい? 僕はまだ持ってない、けど…」
「持ってないんじゃなくて、この様子じゃ受け取ってないんだわ。そちら、表立っての活動はほとんどないみたいだから」
図星だ。
ここで彼女の話は本題に入る。
「探すのに苦労したのよ。何せ、現住所が全然。この市内にいるのはわかってるけど、どこに下宿してるかまでは誰も知らなくて。手伝ってほしいことがあるの」
「僕に、かい?」
緑祁は首を傾げた。自分よりも優れた霊能力者なんて、探せばいくらでもいるのだ。なのにどうして自分にたどり着いたのか、が全然見えてこないのだ。
「そちらに、よ。腕の良さは聞いてるわ」
「聞く?」
「ええ。緑祁、そちらのことは実はよく知ってるの。何で故郷からこっちに出て来たかもよ?」
「それは……」
緑祁が青森市に来た理由は、故郷で暮らせなくなったからである。経済的な意味ではない。
「お化けが見えるのは、お化けの仲間だって。そう思われていると苦しくてね。小さい田舎だったし、みんなが白い目で見るんだ」
それに耐えられなかったからだ。
「でも、人混みの中ならへっちゃらだよ。大学では誰も、見えることを気にしない」
だから、今の環境は居心地がいい。
「話がそれちゃったね。要件は何だっけ? それは、僕じゃないといけないことなの?」
「今ね、とある理由で腕のいい霊能力者の力を借りれないのよ。だからそちらに頼ろうと。ちょっと私と一緒に森でピクニックしましょ?」
普通に聞いていると、彼女の誘い文句はただのデートにしか聞こえない。だが緑祁は、
「森に何か、いるんだね。それを僕に祓わせるってことか」
正直言うと、断りたい。面倒なことはごめんだからだ。でもこの依頼をこなせばそれなりの金額を受け取れることと、彼女が引き下がる気配を見せないことを考え、引き受けることになった。
「ありがとう。感謝するわ、緑祁」
「そっちの名前を聞かせてくれない?」
「香恵。藤松 香恵 よ。よろしくね」
香恵は緑祁にメモ用紙を渡し、この日は帰った。
「どうだった、永露君? 君はああいう美人に弱そうでとても心配だ…。まさか、引き抜きのご案内じゃないだろうね?」
彼女が店から出て行ったのを見て、店長が緑祁に話しかける。
「そうであって、でもそうではないっぽいです…」
緑祁もこの日は自宅に帰ることにした。
「週末は、食べようぜ!」
そんな呑気なことを言う大学生も、首都圏からこの地方にある大学に進学したのだ。
「でも、どこで食べる? 大学周辺の飲み屋はもう制覇しちまったよ?」
彼らは今、二年生。最初の一年目は先輩の力を借りて酒を飲む。借りれないなら、仲間に浪人生を加えて年齢のラインを越える。そんなことを繰り返したためか、ほとんどの居酒屋で顔なじみとなった。
「いいところがあるんだ。イタリアンな店だ。多分美味い」
「何で多分なんだ?」
「俺がまだ行ったことがないからだ」
「どうせ、安いから選んだんだろう? お前、いっつも金欠だもんな?」
「ちげえよ! あの店は面白いぜ?」
誘う側は何とか説得を試みるが、誘われている方はその言動全てが怪しく聞こえる。仕方なく、タネ晴らし。
「大学の同期がそこでアルバイトしてんだぜ? だから行ってみたくなった!」
「それを先に言えよ! んで、誰?」
「永露…だったっけ? あの影が薄いヤツだよ!」
だが、決して悪いヤツではない。現にこの学生は去年の試験、彼から過去問をもらったことで乗り切ったぐらいだ。
「一匹狼って感じじゃないけど、ちょっとボッチだよね、彼」
そして大学内で、特定の誰かと一緒にいる姿はあまり目にしない。他の人と口を利くのは実験の時ぐらいだろうか。
「ま、行ってみようぜ!」
夕方のお腹が空く時刻を待って、この学生たちはそのイタリアンレストランに向かった。小さいが、大きなピアノが置いてあるレストランだ。店の雰囲気も外国的。美味しそうな匂いが漂っている。
「結構本格的だな。調理係なのか? それともレジ?」
「ここで働いてることは知ってる」
「でもよ……」
一人がレストランを見回して言った。
「それっぽい人はいねーぞ? 注文する時に聞いてみっか!」
「ああ」
テーブルに案内され、メニューを広げる。ここはパスタがおススメらしいので、これで決まりだ。ボタンを押せば、係が来る。
「ミートソースが一つ、マッシュルームが一つ、たらこ一つにアサリ仕立てが一つ。あと、ソフトドリンクは全員コーラで」
「はい、かしこまりました。以上で?」
「あ、あとさ! ここに永露という人ってバイトしてる? 見かけないけど、厨房にいるのかな?」
「彼のことですね。すぐにわかりますよ」
そう言って、係の人は戻ってしまった。
「どういう意味だ?」
料理が運ばれてくるまでの間、彼らはクエスチョンマークを頭の上に浮かべていた。
「あっ!」
一人が気がついた。
「あの、ピアノのところにいるぞ!」
そう。彼らが待っていた人物は、ピアノの演奏者の椅子に腰かけた。楽譜を広げ、鍵盤に指を置く。無言で演奏が始まった。
「………」
思わず聞き入ってしまうほど心地よい演奏だ。他の客の料理の香りが気にならなくなるほどである。何の曲を弾いているのかはわからないが、
「上手い…」
それだけはわかる。
一曲目を終えると同時に、彼らの席にパスタが運ばれた。
「舌も耳も肥えるな、これは!」
「しっ! 黙って食べろ!」
一曲終えると楽譜を開き直し、次の曲に移る。耳をつんざくような激しい曲は弾かれない。これは客に配慮しているからだろう。
一時間ほどすると、彼の番は終わり。次の演奏者にバトンを渡した。彼がスタッフの部屋に入ろうと歩いていると、
「おい、永露!」
呼び止められた。
「えっと、確か大学の……だよね?」
彼は自信なさそうに口を開いた。ピアノに向き合っている時はたくましく思える風貌だったのに、席を外すとどこにでもいるただの学生だ。
「すげーじゃん! 永露がこんなにピアノ上手いなんて知らなかったぜ!」
「オルガンもできるよ。ドラムや弦楽器も大丈夫。だけど、息を使う方は昔から苦手で…」
「いいじゃねえかよ! 俺なんて下手くそすぎて軽音楽部やめたぐらいだぜ? 今度、コツを教えてくれよ!」
「ああ、今度ね。今は早く行かないといけないから……」
そう言って強引に会話を打ち切ると、彼はスタッフオンリーの通路に消えた。
「いやあビックリしたね。永露君、君にちゃんとした友達がいるとは」
「友達、ですかね? ちょっと自信がありません。講義室で顔を会わせてるだけですし」
十一時になると、店は閉まる。店長が彼のことを呼び止めて、適当な席に着いて話す。
「それより、掃除しましょうよ。一日の閉めは綺麗であるべき、っていつも言ってるじゃないですか」
「あ~実は、君にお客さんがいてね」
「はい?」
店長の目線が、彼から外れた。その方向を追うと、こちらに背を向けて座っている女性が一人。従業員ではないのは、ここで毎晩演奏している彼がよくわかっている。閉店時刻にもかかわらず、その客人は優雅にコーヒーを飲んでいた。
「相手をしてきてくれ。どうやら重要な話が君にあるようだ」
「は、はぁ…」
店長が先にテーブルから立った。それから彼も席を移った。
「あ、あのう…」
二人用の席なので、真正面に座るしかない。恐る恐る椅子を動かし腰かける。赤いジャケットを着た、腰まで伸びる黒く長い髪が特徴の女性だ。
「お上手だわ」
目が合った途端にその女性は、拍手をした。
「ピアノは幼い頃から習ってたから。中高生の時は合唱祭でも演奏したし。でも、息は全然続かないんだ。泳ぐことには困らないけど…」
「そうじゃなくて、そちら…。素性を隠すのが、って意味よ」
「どういう?」
すると彼女はバッグからとある冊子を取り出しテーブルの上に置いた。
「
なんと彼女は、緑祁の素性を読み上げたのだ。
「それが噂に聞く、霊能力者ネットワークってヤツかい? 僕はまだ持ってない、けど…」
「持ってないんじゃなくて、この様子じゃ受け取ってないんだわ。そちら、表立っての活動はほとんどないみたいだから」
図星だ。
ここで彼女の話は本題に入る。
「探すのに苦労したのよ。何せ、現住所が全然。この市内にいるのはわかってるけど、どこに下宿してるかまでは誰も知らなくて。手伝ってほしいことがあるの」
「僕に、かい?」
緑祁は首を傾げた。自分よりも優れた霊能力者なんて、探せばいくらでもいるのだ。なのにどうして自分にたどり着いたのか、が全然見えてこないのだ。
「そちらに、よ。腕の良さは聞いてるわ」
「聞く?」
「ええ。緑祁、そちらのことは実はよく知ってるの。何で故郷からこっちに出て来たかもよ?」
「それは……」
緑祁が青森市に来た理由は、故郷で暮らせなくなったからである。経済的な意味ではない。
「お化けが見えるのは、お化けの仲間だって。そう思われていると苦しくてね。小さい田舎だったし、みんなが白い目で見るんだ」
それに耐えられなかったからだ。
「でも、人混みの中ならへっちゃらだよ。大学では誰も、見えることを気にしない」
だから、今の環境は居心地がいい。
「話がそれちゃったね。要件は何だっけ? それは、僕じゃないといけないことなの?」
「今ね、とある理由で腕のいい霊能力者の力を借りれないのよ。だからそちらに頼ろうと。ちょっと私と一緒に森でピクニックしましょ?」
普通に聞いていると、彼女の誘い文句はただのデートにしか聞こえない。だが緑祁は、
「森に何か、いるんだね。それを僕に祓わせるってことか」
正直言うと、断りたい。面倒なことはごめんだからだ。でもこの依頼をこなせばそれなりの金額を受け取れることと、彼女が引き下がる気配を見せないことを考え、引き受けることになった。
「ありがとう。感謝するわ、緑祁」
「そっちの名前を聞かせてくれない?」
「香恵。
香恵は緑祁にメモ用紙を渡し、この日は帰った。
「どうだった、永露君? 君はああいう美人に弱そうでとても心配だ…。まさか、引き抜きのご案内じゃないだろうね?」
彼女が店から出て行ったのを見て、店長が緑祁に話しかける。
「そうであって、でもそうではないっぽいです…」
緑祁もこの日は自宅に帰ることにした。