第3話 誕生秘話 その1

文字数 2,764文字

 一九九四年の四月十日に、その赤ん坊は産声を上げた。父親は医者、疾風(はやて)。母は看護婦の桜花(おうか)。元気な男の子が、親族の経営する病院で誕生したのだった。
 その子は物心つく前から、不思議な行動をよくするようになる。誰もいない方を見て笑ったり、泣いていたのに何もしないで泣き止んだり。当初両親は疑問を抱いたが、

「見えているだけだ、気にするな」

 疾風の父、陣風(じんぷう)はそう言った。

「私と同じだ、霊感があるのだろう。こんな幼い時期からとは、才能がある。【神代】に連絡しておこう」

 彼は医者であり、同時に霊能力者でもあった。曰く、どこが悪いのか臓器と会話ができた、らしい。しかしこの十年後に亡くなったためにその術式の真偽は不明。
 だが、その赤子について言った内容はすぐに正しかったことがわかる。七五三の際、その子は立派に霊を見て会話ができた。

「かわいそうだよ、父さん。この子、五歳になる前に死んじゃってる。一緒に祝ってあげようよ」

 これが彼の行った、最初の除霊だ。未練を抱いていた子供の霊を自分の奉告祭に参加させることで、成仏させたのである。
 彼はよく親族が経営する病院を訪れた。だが病弱だったからではない。

「ここが一番、いるんだ。僕が話相手になってあげるんだ」

 霊との交流が目的だ。素人が聞くと危険に思えるかもしれないが、陣風は許可した。

「それがいい。霊感を磨き霊力を上げるには、それが一番の近道だ」

 彼は思ったのだろう。孫は自分を越えられると。それは医学の分野でなくていい。この世ならざる経験が必要とされる場所で。またこの時、陣風は普段自分が懇意にしている、八戸にある陸奥神社に紫電を向かわせ、霊障が扱えるかどうかを見てもらった。

「電気の霊障ですね、おそらく」

 この時彼は、自分が電霊放の才能に恵まれていることを知る。


 幼稚園を出ると彼は近所の小学校に通う。家が金持ちだったので、やってみたい習い事は何でも通わせてもらえた。水泳やスポーツ、習字、英会話は六年生の三月まで続けられたが、ピアノやヴァイオリンは一か月も経たずに投げ出した。

「僕には合わないよ。リコーダーと鍵盤ハーモニカで十分!」

 でも音楽の才能が全くなかったわけではない。吹くタイプの楽器の演奏は、同級生のブラスバンド部に所属する友人並みに行えた。
 家庭教師がいたこともあって、学校の成績は悪くない。

「将来はどうするんですか?」

 家に仕えている執事の一人がある時に言った。というのも医者の後を継がせるのなら、うんと勉強してもっと偏差値の高い中学に上がらないといけないと思っていたからだ。

「好きなようにさせよう。医者の子が必ず医学の道を歩まねばいけない決まりはない」

 疾風がそう答えた。まだ存命だった陣風も異議はない。

「孫の人生なんだ、好きなように歩ませる。それこそ疾風、お前の時みたいに。ただ、医者になりたいとお前のように言ったのなら、面倒は最後まで見ろ。必ず医師免許を授けさせるんだ」
「わかってるよ、親父……」

 これは小学校の早い段階で決まったので、教育方針もある程度自由。だからその子は幅広い分野に興味を抱けた。時に恐竜であったり魚であったり、霊であったり鉄道であったり。誰も文句は言わないので、好奇心の赴くままに突っ走る。


 しかしある日、それは起きた。

「お祖父ちゃんが死んだんだ……」

 小学四年の冬である。陣風がこの世を去った。それは平日の出来事だったので、彼は忌引きで学校を休んだ。
 登校した際は担任の先生が、生と死について説いた。彼への慰めだったのだろう。死という現実から逃げ出させたくないという思いもあったのかもしれない。でも彼にとって死は、ありふれた日常的なもので、そこまで哲学的な思考はない。何故なら死んだ幽霊を見ることができるから。それが当たり前になってしまっているからである。

 子供というのは、時に残酷である。これは相手の心を読めない……気遣えないことに起因している。

「お前のじいちゃんは霊感商法してたから、祟られて死んだんじゃねえのか?」

 些細な喧嘩からそんな暴言が飛び出した。当時、彼が霊能力者であることは学年の誰もが知っており、それが気に食わない児童もいた。

「何だと?」
「ちゃんと手術で治せるなら、死なないだろう? でも死んだ! はいこれ、お前のジジイがヤブ医者だった証拠!」

 祖父を侮辱されたのに、不思議と彼は怒らなかった。

「だったら、僕…いや俺が、メスを握れるようになってやる!」

 ただ、決意した。祖父や父と同じ道を進むことを。


「本当にいいのか?」

 疾風は息子に、その意志を問い直した。

「構わないよ」

 二つ返事で発言したのでもう一度聞いた。だが答えは変わらない。

「医学を究極することは、今お前が思っている以上に大変だぞ? お前の学年、何人いる?」
「百……十一人だよ、確か。一クラスが大体三十人前後」
「お前が医者になるというのなら、他の百十人はそれになれない」

 それは選ばれた者しかなれないことと同時に、あることも意味している。

「学校の他の誰よりも賢くて成績が良くないといけないってことでしょう、父さん?」
「そうだ」

 医学とは、人の命をこの世に繋ぎとめる学問だ。陣風がよくそう言っていた。そして医学は今が最新。言い換えるなら、日々進化していく科学の先端に位置する学問。疾風はそう思う。

「だから、大変なんだ。見方一つで病気が変わる。出す薬が違ったら、病気を悪化させかねない。指の動かし方が一ミリも違えば、手術の成否も分かれる。もしもお前が術中に人を死なせたら、訴えられる。そうなった場合、今まで積み上げて来たものは全て水泡に帰す。日々進歩する中で、新しい病気が発見され、治療法までガラリと変わる。まさにあらゆる面で絶対がない学問だ。それでもいいのか?」

 まるで、行かせたくないニュアンスだ。でもこれは疾風なりの優しさ。自分が感じ、歩んできたいばらの道をたった一人の息子にまで追って欲しくないという思いやり。

「それも覚悟の上だよ、父さん。俺はなりたい、祖父さんと父さんの誇れる職に」

 疾風は息子に一週間与えた。

「次の木曜日までに心が少しも揺らがなかったら、もう一度父さんに声をかけなさい」

 今ならまだ戻れる。だからその猶予の中で、考え直して欲しかったのだ。

「父さん、俺はやっぱり医者になりたい」

 でも息子の心は思ったよりも強固だった。

「いいだろう。そこまで言うのなら、父さんも容赦しない」
「じゃあ、まず何をすればいいの?」
「簡単なことだ。五年に上がったら、卒業するまで学年トップを譲らないこと。今のお前に求めるのはそれだけ」

 医学的な知識は与えない。そもそも今の段階の勉強で躓くようでは、医学部に入ることすら不可能。

「ああ、確かに簡単だね」

 これも二つ返事だった。
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