第7話 精神への一撃 その1

文字数 2,933文字

 人間は数値化できる。成績表というものがあるのだから、誰が優秀で劣等かの判断は簡単だ。磐梯(ばんだい)洋次(ようじ)は本気でそう思っている。
 彼は子供の頃から、頭が良かった。運動もできた。顔立ちも整っていた。だから親がおらず孤児院で暮らしているということが周囲にバレても、いじめや嫌がらせは受けなかった。しかし、だからと言って特別仲の良い友人はいない。理由は簡単だ。

「劣悪な人間と一緒だと、こちらにもその醜悪さが伝染する」

 と言って、遊んだり一緒に勉強したりということを極力避けたのだ。
 この、歪んだ感覚を少なくとも小学生の頃から、洋次は抱いていた。

 こんなエピソードがある。彼が四年生の時、給食でゼリーが出た。七夕限定のメニューだ。洋次はこのゼリーが美味しいとわかっていた。去年も出たからである。しかしこの日、欠席の児童はいないし、給食は余らないようになっている。だからどうやっても、一人一個しか食べることはできない。

「お前のを俺に寄越せ」

 といい、彼は同じ班の児童のゼリーを横取りした。

「そ、そんな! 返せよ、洋次!」
「お前には必要ない」

 盗られた児童は先生を呼んだ。こんな不当な行為が許されていいわけがないのだから。先生はまず、何が起きているのかを尋ねる。

「洋次が僕のゼリーを奪ったんだ!」
「何も問題のないことだ」

 これを受け先生は、迷うことなく洋次を叱ることを選ぶ。

「洋次君! どうして君はこんなことをしたの? みんなこのゼリーを楽しみにしているんだよ?」

 すると、

「コイツのテストの点数、知ってますか? 前の国語のテストでは、七十二点。その前はもっと酷かった。他の教科の話もしましょうか? 対して僕は、この小学生に入ってから、一度も一点もこぼしたことがないです。小テストですら、満点以外は取ったことがない」

 洋次はいかに自分が優秀で、相手の児童の成績が悪いかをアピール。

「この世の中では、幸せになれるのはたった三パーセントって言われているようですよ? だったらコイツはその幸せを、優秀な僕に献上するべきです」

 自分は優秀なのだ、優秀な自分は優遇されて当たり前。そういう考えを持っていた洋次。しかし先生がそんな歪な思考に頷くわけもなく、

「確かに洋次君の成績は、学年で一番良いよ。でもね洋次君、それが横暴を働く理由にはならないの! 人の価値は成績では決まらない! そして幸せは、みーんな平等! 助け合いが社会を回しているんだよ」

 だからそのゼリーを返却しろ、と。

「……」

 洋次は言葉を失った。先生の言っている意味が理解できなかったのだ。

(どうして、馬鹿を擁護するんだコイツは? そんなことをしても何も生まれない……いや、社会に不利益しかないのに)

 結果、洋次は学年が変わるまで不登校を決める。
 この性格は中学に上がってもずっと変わらない。だから衝突することも多かった。

「調子に乗るなよ、洋次!」
「お前が控えればそれで解決するだけの話だ」

 時には相手が暴力に訴えてくることもあったが、その面でも洋次の方が上で、全員返り討ちにしてやった。その度に、職員室に呼び出される。

「君はもっとこう……なんていうか……? すぐに手を出さないこと!」
「先に仕掛けてきたのは向こうです。僕は正当防衛をしただけで、真の被害者は僕の方ですよ?」
「屁理屈言うんじゃない!」

 主張は何も通らない。洋次は優等生ながら問題児扱いされることに。

(どいつもこいつも、間違っているだろう。正しいのはこっちだ)

 だがそれでも洋次は自分の考えを曲げなかった。あくまでも優秀な自分が正しく、劣等な相手が間違っていると信じていた。
 唯一の救いは、非行には一度も走らなかったところだろうか。そういうことは馬鹿のやることと考えていたためである。ただし教師の指導を聞き入れないという点は、褒められない。

 学校ではそんな感じである。では孤児院ではどうだったのか。

「先輩、その問題集を貸してくれませんか」
「ああ、いいぜ。でもお前、まだ中学生だろう? この二項定理の本は早すぎるんじゃねぇのか?」
「そうでしょうかね? やってみないとわからないものですよ」
「そうか。じゃ、解いてみな!」

 学校ほど横暴な態度はしていない。自分を磨き上げることに専念しており、年齢に不相当な学習をいくつもしている。しかしその片鱗はたまに見かける。

「おまえのクッキーはわたしがもらった」
「えええ? 食べちゃったの?」

 主な被害者は寛輔であった。成績の面で完全に優劣つけられていた寛輔は、洋次に対し何も反論できなかったのだ。それを見ている周りの子供たちも、助けない。いいや助け舟が出せない。賢い洋次に突っかかっても、反論されてねじ伏せられるからだ。
 完全に除け者にされていたかと言うと、そうではない。寧ろ逆で誘われても断る。

「たまには外で遊ぼうぜ、洋次!」
「馬鹿馬鹿しい。勝手にやっていろ」

 自分は優秀であるということを鼻にかけているのは、学校とは変わらなかった。だから陰で、

「偉そうに威張って!」

 と言われていた。その愚痴を聞こえるように呟かれても、

「馬鹿は非難することしかしない。それだから自分が劣悪になることを一生認識できない」

 逆に悪口を返すほどだ。

 改善できるキッカケはいくらでもあったはずなのだが、洋次は考えを改めなかった。理由は環境にある。
 学校では、成績が全てだ。いくら下級生に優しくしても上級生の言うことを聞いても、そんなことは入試で自分の売りにはできない。点数……言い換えれば数値化された成績が全てなのだ。
 洋次自身、何度もそれを見てきた。自分で体験したのではない。同じ孤児院の先輩たちのことである。毎年三月が近づくと、

「落ちた……」
「駄目だった……」

 受験に失敗した子供が出てくる。その大量の負の先行体験をしてきたからこそ、学力が一番大事であると思っているのだ。
 そして彼は、高校受験に成功。大学も都内の国立大学を受けたが、難なく突破した。

「わたしは優秀なのだから、当然の結果だ」

 聞こえだけは謙虚に思えるかもしれない。しかしその言葉の台座には、

(馬鹿は何をやっても失敗する。わたしは優秀だから、何事も困ることなく成功した)

 という発想があることは無視できない。
 だがそんな彼にもコンプレックスがあった。

(わたしは優秀。それはもう覆しようがない事実。なのにどうして、特別じゃない?)

 この世には、優秀さを武器にしない人がいる。アスリートやアーティストなんかがそうだ。別に憧れているわけではないのだが、そういう特別な才能を持っている人を見るたびに思う。

(どうしてわたしは、賢いだけなんだ?)

 本屋で適当に買ってきた問題集を出されても、すぐ最後の問題まで解答できるだろう。だがそれだけだ。言ってしまえば洋次は、頭が良いだけの一般人でしかない。だから何か、特別な能力が欲しかった。

「欲しいのなら、あげられるよ? どうだい?」

 センター試験前に激励に来た霊能力者、豊次郎が彼にそう声をかけた。

「霊能力者になれる。幽霊が見えるんだ。霊障も使えるようになるよ」

 こんな怪しい誘い、普通なら蹴るだろう。しかし洋次にとっては魅力的だった。だから頷いたのである。
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