第5話 敵を学べ その2
文字数 4,179文字
夕飯を食べ終え風呂も済ませ、後は寝るだけとなった。緑祁は香恵と同じ部屋だ。
「………」
緑祁は緊張していた。それは異性と同じ部屋だからではない。彼も多少は免疫が付いたと信じている。
「ねえ香恵? その例の二人って、どんな人なんだろうね……」
その心の焦りの源は、知らないことに起因していた。
「雛臥曰く、かなりの美女みたいよ」
「……」
ただ、本当に女性慣れできているかどうかは怪しいところがある。
「僕はちゃんと二人と戦えるんだろうか……?」
「大丈夫よ、そんな心配はいらないわ」
香恵は、緑祁の実力を知っている。だから彼に自信を持たせるためにそう言った。
「でも、前の修練の時とは違うよ。二人に関する前情報が全然ないんだ。香恵は、それはどう思う?」
「そうね…。聞いた話じゃ、見たことがない霊障を使ったそうよ。精霊光に堕天闇。私もさっき【神代】のデータベースにアクセスしてみたけど、一件もヒットしなかったわ」
修練の時は、大体察することができた。彼の手下は屍亡者や悪霊を操っていた。だから主たる修練も同じだろう、と。だが今回は違う。【神代】にとっても未知の敵なのだ。
「そもそも……」
ふと、あることが頭を過ぎった。
「この一件はどうやって解決するの? 修練の場合は捕まえることだったけど、二人はどうするつもりなんだ…?」
それは、終わりについてである。
「海神寺に招き入れる……ってワケにはいかないらしいわね。二人は大いに抵抗したって聞くわ。それに【神代】の管轄に入ることも嫌そうよ」
「じゃあ捕まえるってのはなしになるよね。こっちの世界で第二の人生でも歩ませるのかな?」
「あ、そういうこと? それは【神代】に聞いてみ……るわけにもいかないわね」
儀式は極秘。だから彼らで対処を考えなければいけない。
「捕まえることはしない。野放しにもしない。でもこの事件を終わらせる。と、なると…?」
二人は同時に呟く。
「最悪、殺すことになる……」
嫌な空気が客間に流れる。
「僕はそんなこと、したくないよ!」
人をこの手で殺めることには抵抗しかない。それに隣接世界からこちらにやって来た二人は、こちらの世界で死ぬと魂を残せず幽霊にもなれない。それは以前緑祁が増幸の前で語った、彼の生死論に反することだ。
「私も同意見よ。でも、それ以外に解決する方法がある?」
ない。
「いや、一つだけ! 二人を元いた世界に送り返せばいいんだ!」
「その手があったわね。増幸さんに頼めば、それができるかもしれないわ」
いい考えだと二人はこの時思った。でもそれをするためには大前提として、一度二人の身柄を拘束する必要があるのだ。
「それくらいは戦って負かせてしまえばどうとでもなるわ。だから緑祁、お願いね」
「……自信はあまりないけど、やる時はやるよ…!」
その、やる時のために訓練をしておかないといけない。次の日緑祁たちは七草神社の修行の間に集まった。
「あれ、二人は?」
だがそこには雛臥と骸の姿はない。
「二人なら、朝早くに行動に移したんや。式神のチカラに頼ろうって寸法やな」
道雄が答える。
「まだ怪我が完全に治ってないだろうに……」
二人の身を案じる緑祁と香恵。
「なあ香恵ちゃん? 今日のお昼はワテと一緒にランチ食べに行こうな? 奢るよ? ワテと二人きりで……呉の観光はまだなんやろう? なら一度本土に戻ってさ、ワテが案内してあげんで。もちろん夜はとっておきのお楽しみや」
勇悦の発言を受けて香恵は、
「今の、ごっそり聞かなかったことにしてあげるから」
と流す。
(………)
緑祁もちょっとイラついた。でも香恵の方に誘いに乗る気がないので安心できた。
「で、増幸さん。具体的には何をするのでしょうか?」
「緑祁君…! 君には今から、式神と対戦してもらおう!」
「は、はい?」
そんな修行の内容は流石に聞いていないので、彼は耳を疑った。
「これは仕方がないことだ。相手が使った霊障を再現することができない以上、式神への対処を優先して訓練すべきだ」
精霊光も堕天闇も、【神代】ですら初めて聞く単語。それはつまり、こちらの世界にはそれらを扱える人物が一人もいないことを意味している。
「今日辰馬さんに用意してもらったのは、この式神! 名前は[カワザラ]。ほぼ人間に近い力量を持ち、尚且つチカラもシンプルなものを選んでもらった」
早速増幸が召喚してみせる。見た目はカッパで、緑祁と背丈は同じくらい。
「パプエ?」
[カワザラ]はもう構えている。やる気満々だ。
「緑祁君、それに[カワザラ]。これは訓練であり実戦ではないことを留意してくれ。相手の命を奪うこと、完全に破壊することは許可しない。だが、全力で戦ってもらいたい」
「わかりました」
緑祁も[カワザラ]も頷く。
「では、はじめ!」
増幸の言葉でこの模擬戦闘が始まる。
([カワザラ]のチカラは何だろう…?)
それは緑祁には教えられていない。実戦の中で相手の性質を見極めるのも訓練の課題だ。
とりあえず、挨拶代わりに霊障を繰り出す。旋風だ。だが[カワザラ]は見かけに反する高い機動力を見せ、風の刃を避けてみせた。
「ペペペ、ペチ!」
今度はこちらの番だ、と言わんばかりに[カワザラ]が唸る。嘴を開いてその中から、泡を出した。
「これが[カワザラ]のチカラだぞ、緑祁君! よく観察して暴くんだ!」
増幸のこのセリフ、言い換えるなら泡に何かがあるという意味だ。そしてその発言を受け緑祁は後ろに下がって泡を観察した。
(特に変哲もない、普通の泡みたいだけど? 割ってみよう)
鬼火を出し、泡へ放つ。炎は何も問題なく泡を弾けさせた。
(え…? 増幸さんの言ってたことと違うぞ…? この泡に何かあるんじゃないのかな?)
その光景を見たものなら、誰でも不思議に思うだろう。実際、泡に何かあるわけではない。
「ププ、プエエ!」
今度は大量の泡を吐き出した。
「量が多くても…!」
鬼火で封殺できる。さっき試してできたのだからやれると感じる。だがそれが油断を生むのだ。
大量の泡は、火を寄せ付けない。あぶられて割れても次から次へと泡が生じ、そして熱が[カワザラ]に伝わって行かないのである。
「しまった…!」
泡が緑祁の足にまで到達した。すぐにその場から離れようとしたが、足が床から持ち上がらないのだ。
「[カワザラ]の吐き出す泡には、強力な粘り気があるらしい。人の力では歯が立たないほどに接着力があると聞いた」
動きを封じた[カワザラ]は、拳を丸めて緑祁目掛けて駆ける。泡以外に飛び道具はないので筋力でねじ伏せるつもりなのだ。
「パオウウウル!」
ジャンプし、緑祁の頬目掛けて鋭いパンチを放つ[カワザラ]。対する緑祁は、
(動くことはできない。だからあの拳を避けられない。なら!)
逆転の発想が閃いたのだ。
なんと、迫ってくる[カワザラ]の拳目掛けて頭突きをしたのである。
「プッグエッ!」
頭の動きは後ろに旋風を繰り出して、勢いを強めてある。だから[カワザラ]の手にかなりのダメージが走る。当然それを行った緑祁の方もタダでは済まない。
「……くっ!」
額がかち割れるかのような衝撃を受け、意識が飛びそうになる。しかしここで、自分の指を鬼火で少しあぶり、その熱さが刺激となって意識を無理矢理頭に結び付けた。
「何と大胆な…!」
無謀とも言えるこの防御に、増幸は驚く。
「これぐらいは当然だわ」
しかし香恵は冷静だ。
「プププエ、プウエエ……」
[カワザラ]は、まだ諦めてはいない様子。しかし攻め入ることを躊躇ってもいる。
「なら、僕から行かせてもらう!」
緑祁は指先から鉄砲水を撃ち出した。それは泡を洗い流すことはできなかったが、[カワザラ]の体を押し流せた。
「ポッギョ!」
慌てた[カワザラ]、泡を天井に向けて吐いて縄を作り、それを握り登って上に逃げる。
「上は、駄目な退路だ!」
すぐに鬼火を放つ緑祁。炎は[カワザラ]の下に広がった。だが泡を吐けば、熱から逃れることは可能。だから[カワザラ]はそれをする。
「そうはさせない!」
ここで、風が吹いた。その風は[カワザラ]の吐き出した泡を丸ごと、壁に叩きつけた。
「ペ? ペッペエエエエエ!」
直に熱を浴びせられ、苦しむ[カワザラ]。
「勝負あったな、これは」
辰馬はそう判断し、
「両者、やめ、だ!」
そう合図をした。それを聞いた緑祁は霊障を解き、[カワザラ]も泡を解除した。
「初めてにしては上出来だな、緑祁君」
この訓練での評価は高めだ。
「しかし、隣接世界の式神は一筋縄ではいかないかもしれない。だから絶対に油断はしないでくれ」
「わかっています」
この結果に香恵は満足気ではない。勝って当然と思っている。
「だって緑祁の実力は私が保証しているわ。もし彼に並程度の実力しかないなら、とっくに見限っているものね」
その言葉は刃物よりも鋭く緑祁の心を突いた。
(香恵に見捨てられないためにも、負けられないね…)
この日、緑祁は式神についてもっと知るべきだと感じ、辰馬や増幸にもっと深く教えてもらうことにしたのである。
「それと、他に隣接世界について何か情報はありませんか?」
「とは?」
緑祁は、敵と戦うのならやはり敵をちゃんと知っておくべきと感じているのだ。花織と久実子のことは未知であっても、海神寺には道雄と勇悦という、隣接世界出身者が既にいる。
「でも、前に話した通り以上のことはないぞ?」
「どんな些細なことでもいいんです。学んでおきたいんですよ」
「そう言われてもなあ……」
「どうして、こっちの世界では死後に魂を残せないのかしら?」
香恵が聞いた。
「その原理は、実はよくわかっていない」
前に同じことを説明した時も、仮定の話だった。
「魂は完全に世界を越えられないのだろう。不安定な存在になってしまっているが故に、死ぬと消滅し痕跡すら残せない、と私は考えている」
「そうですか。では、こちらの世界から元いた世界に送り返すことはできますか?」
この発問に対して増幸は自信を持って、
「その人が望めば可能だ」
と答えた。
「なら緑祁! 二人を捕まえれば解決よ。そもそも何かしらのエラーが生じて来てしまったんだから、元の世界に戻りたくないわけがないわ」
「うん、そうだね…!」
希望が見えてきたので、緑祁の返事は明るかった。
「………」
緑祁は緊張していた。それは異性と同じ部屋だからではない。彼も多少は免疫が付いたと信じている。
「ねえ香恵? その例の二人って、どんな人なんだろうね……」
その心の焦りの源は、知らないことに起因していた。
「雛臥曰く、かなりの美女みたいよ」
「……」
ただ、本当に女性慣れできているかどうかは怪しいところがある。
「僕はちゃんと二人と戦えるんだろうか……?」
「大丈夫よ、そんな心配はいらないわ」
香恵は、緑祁の実力を知っている。だから彼に自信を持たせるためにそう言った。
「でも、前の修練の時とは違うよ。二人に関する前情報が全然ないんだ。香恵は、それはどう思う?」
「そうね…。聞いた話じゃ、見たことがない霊障を使ったそうよ。精霊光に堕天闇。私もさっき【神代】のデータベースにアクセスしてみたけど、一件もヒットしなかったわ」
修練の時は、大体察することができた。彼の手下は屍亡者や悪霊を操っていた。だから主たる修練も同じだろう、と。だが今回は違う。【神代】にとっても未知の敵なのだ。
「そもそも……」
ふと、あることが頭を過ぎった。
「この一件はどうやって解決するの? 修練の場合は捕まえることだったけど、二人はどうするつもりなんだ…?」
それは、終わりについてである。
「海神寺に招き入れる……ってワケにはいかないらしいわね。二人は大いに抵抗したって聞くわ。それに【神代】の管轄に入ることも嫌そうよ」
「じゃあ捕まえるってのはなしになるよね。こっちの世界で第二の人生でも歩ませるのかな?」
「あ、そういうこと? それは【神代】に聞いてみ……るわけにもいかないわね」
儀式は極秘。だから彼らで対処を考えなければいけない。
「捕まえることはしない。野放しにもしない。でもこの事件を終わらせる。と、なると…?」
二人は同時に呟く。
「最悪、殺すことになる……」
嫌な空気が客間に流れる。
「僕はそんなこと、したくないよ!」
人をこの手で殺めることには抵抗しかない。それに隣接世界からこちらにやって来た二人は、こちらの世界で死ぬと魂を残せず幽霊にもなれない。それは以前緑祁が増幸の前で語った、彼の生死論に反することだ。
「私も同意見よ。でも、それ以外に解決する方法がある?」
ない。
「いや、一つだけ! 二人を元いた世界に送り返せばいいんだ!」
「その手があったわね。増幸さんに頼めば、それができるかもしれないわ」
いい考えだと二人はこの時思った。でもそれをするためには大前提として、一度二人の身柄を拘束する必要があるのだ。
「それくらいは戦って負かせてしまえばどうとでもなるわ。だから緑祁、お願いね」
「……自信はあまりないけど、やる時はやるよ…!」
その、やる時のために訓練をしておかないといけない。次の日緑祁たちは七草神社の修行の間に集まった。
「あれ、二人は?」
だがそこには雛臥と骸の姿はない。
「二人なら、朝早くに行動に移したんや。式神のチカラに頼ろうって寸法やな」
道雄が答える。
「まだ怪我が完全に治ってないだろうに……」
二人の身を案じる緑祁と香恵。
「なあ香恵ちゃん? 今日のお昼はワテと一緒にランチ食べに行こうな? 奢るよ? ワテと二人きりで……呉の観光はまだなんやろう? なら一度本土に戻ってさ、ワテが案内してあげんで。もちろん夜はとっておきのお楽しみや」
勇悦の発言を受けて香恵は、
「今の、ごっそり聞かなかったことにしてあげるから」
と流す。
(………)
緑祁もちょっとイラついた。でも香恵の方に誘いに乗る気がないので安心できた。
「で、増幸さん。具体的には何をするのでしょうか?」
「緑祁君…! 君には今から、式神と対戦してもらおう!」
「は、はい?」
そんな修行の内容は流石に聞いていないので、彼は耳を疑った。
「これは仕方がないことだ。相手が使った霊障を再現することができない以上、式神への対処を優先して訓練すべきだ」
精霊光も堕天闇も、【神代】ですら初めて聞く単語。それはつまり、こちらの世界にはそれらを扱える人物が一人もいないことを意味している。
「今日辰馬さんに用意してもらったのは、この式神! 名前は[カワザラ]。ほぼ人間に近い力量を持ち、尚且つチカラもシンプルなものを選んでもらった」
早速増幸が召喚してみせる。見た目はカッパで、緑祁と背丈は同じくらい。
「パプエ?」
[カワザラ]はもう構えている。やる気満々だ。
「緑祁君、それに[カワザラ]。これは訓練であり実戦ではないことを留意してくれ。相手の命を奪うこと、完全に破壊することは許可しない。だが、全力で戦ってもらいたい」
「わかりました」
緑祁も[カワザラ]も頷く。
「では、はじめ!」
増幸の言葉でこの模擬戦闘が始まる。
([カワザラ]のチカラは何だろう…?)
それは緑祁には教えられていない。実戦の中で相手の性質を見極めるのも訓練の課題だ。
とりあえず、挨拶代わりに霊障を繰り出す。旋風だ。だが[カワザラ]は見かけに反する高い機動力を見せ、風の刃を避けてみせた。
「ペペペ、ペチ!」
今度はこちらの番だ、と言わんばかりに[カワザラ]が唸る。嘴を開いてその中から、泡を出した。
「これが[カワザラ]のチカラだぞ、緑祁君! よく観察して暴くんだ!」
増幸のこのセリフ、言い換えるなら泡に何かがあるという意味だ。そしてその発言を受け緑祁は後ろに下がって泡を観察した。
(特に変哲もない、普通の泡みたいだけど? 割ってみよう)
鬼火を出し、泡へ放つ。炎は何も問題なく泡を弾けさせた。
(え…? 増幸さんの言ってたことと違うぞ…? この泡に何かあるんじゃないのかな?)
その光景を見たものなら、誰でも不思議に思うだろう。実際、泡に何かあるわけではない。
「ププ、プエエ!」
今度は大量の泡を吐き出した。
「量が多くても…!」
鬼火で封殺できる。さっき試してできたのだからやれると感じる。だがそれが油断を生むのだ。
大量の泡は、火を寄せ付けない。あぶられて割れても次から次へと泡が生じ、そして熱が[カワザラ]に伝わって行かないのである。
「しまった…!」
泡が緑祁の足にまで到達した。すぐにその場から離れようとしたが、足が床から持ち上がらないのだ。
「[カワザラ]の吐き出す泡には、強力な粘り気があるらしい。人の力では歯が立たないほどに接着力があると聞いた」
動きを封じた[カワザラ]は、拳を丸めて緑祁目掛けて駆ける。泡以外に飛び道具はないので筋力でねじ伏せるつもりなのだ。
「パオウウウル!」
ジャンプし、緑祁の頬目掛けて鋭いパンチを放つ[カワザラ]。対する緑祁は、
(動くことはできない。だからあの拳を避けられない。なら!)
逆転の発想が閃いたのだ。
なんと、迫ってくる[カワザラ]の拳目掛けて頭突きをしたのである。
「プッグエッ!」
頭の動きは後ろに旋風を繰り出して、勢いを強めてある。だから[カワザラ]の手にかなりのダメージが走る。当然それを行った緑祁の方もタダでは済まない。
「……くっ!」
額がかち割れるかのような衝撃を受け、意識が飛びそうになる。しかしここで、自分の指を鬼火で少しあぶり、その熱さが刺激となって意識を無理矢理頭に結び付けた。
「何と大胆な…!」
無謀とも言えるこの防御に、増幸は驚く。
「これぐらいは当然だわ」
しかし香恵は冷静だ。
「プププエ、プウエエ……」
[カワザラ]は、まだ諦めてはいない様子。しかし攻め入ることを躊躇ってもいる。
「なら、僕から行かせてもらう!」
緑祁は指先から鉄砲水を撃ち出した。それは泡を洗い流すことはできなかったが、[カワザラ]の体を押し流せた。
「ポッギョ!」
慌てた[カワザラ]、泡を天井に向けて吐いて縄を作り、それを握り登って上に逃げる。
「上は、駄目な退路だ!」
すぐに鬼火を放つ緑祁。炎は[カワザラ]の下に広がった。だが泡を吐けば、熱から逃れることは可能。だから[カワザラ]はそれをする。
「そうはさせない!」
ここで、風が吹いた。その風は[カワザラ]の吐き出した泡を丸ごと、壁に叩きつけた。
「ペ? ペッペエエエエエ!」
直に熱を浴びせられ、苦しむ[カワザラ]。
「勝負あったな、これは」
辰馬はそう判断し、
「両者、やめ、だ!」
そう合図をした。それを聞いた緑祁は霊障を解き、[カワザラ]も泡を解除した。
「初めてにしては上出来だな、緑祁君」
この訓練での評価は高めだ。
「しかし、隣接世界の式神は一筋縄ではいかないかもしれない。だから絶対に油断はしないでくれ」
「わかっています」
この結果に香恵は満足気ではない。勝って当然と思っている。
「だって緑祁の実力は私が保証しているわ。もし彼に並程度の実力しかないなら、とっくに見限っているものね」
その言葉は刃物よりも鋭く緑祁の心を突いた。
(香恵に見捨てられないためにも、負けられないね…)
この日、緑祁は式神についてもっと知るべきだと感じ、辰馬や増幸にもっと深く教えてもらうことにしたのである。
「それと、他に隣接世界について何か情報はありませんか?」
「とは?」
緑祁は、敵と戦うのならやはり敵をちゃんと知っておくべきと感じているのだ。花織と久実子のことは未知であっても、海神寺には道雄と勇悦という、隣接世界出身者が既にいる。
「でも、前に話した通り以上のことはないぞ?」
「どんな些細なことでもいいんです。学んでおきたいんですよ」
「そう言われてもなあ……」
「どうして、こっちの世界では死後に魂を残せないのかしら?」
香恵が聞いた。
「その原理は、実はよくわかっていない」
前に同じことを説明した時も、仮定の話だった。
「魂は完全に世界を越えられないのだろう。不安定な存在になってしまっているが故に、死ぬと消滅し痕跡すら残せない、と私は考えている」
「そうですか。では、こちらの世界から元いた世界に送り返すことはできますか?」
この発問に対して増幸は自信を持って、
「その人が望めば可能だ」
と答えた。
「なら緑祁! 二人を捕まえれば解決よ。そもそも何かしらのエラーが生じて来てしまったんだから、元の世界に戻りたくないわけがないわ」
「うん、そうだね…!」
希望が見えてきたので、緑祁の返事は明るかった。