第9話 月輪の精神 その1

文字数 2,901文字

 一見すると、緑祁が有利に思える。しかしそれは間違いで、辻神の方はこの戦いが始まってから一度もダメージを受けていないのだ。

「頑張って、緑祁!」

 緑祁は香恵を下がらせた。このバトルに巻き込んで傷つけたくないし、気絶している山姫と彭侯を見張ってもらうためだ。だから香恵は二人の体を掴んで引きずり、安全な距離まで下がる。

(山姫たちが意識を取り戻せば……)

 この時の辻神の考えは、単純だ。自分から山姫と彭侯の側を陣取った香恵を捕まえればいい。その場合、二人が目を覚ますまで時間を稼げばいいのである。
 そう判断したからか、

「緑祁、おまえに聞きたいことがある。過去を乗り越えるとは、どういうことだ?」

 質問を投げかけた。

(………)

 この時緑祁はあることを考える。それは、辻神とわかり合えるかもしれないという楽観的な発想だ。

「誰でも辛い記憶はあるよ、僕にだってさ。でもそんなことをずっと引きずって生きるなんて惨めなこと、僕は選ばない」

 辻神は口を閉じていたので、緑祁の語りは続いた。

「過去はもう変えようのないことだ。ならどうして昔のことを人は覚えているのか、わかるかい? 過去と向き合って、反省して、未来をより良いものにするためだ! そのために人の記憶ってものはあって、そしてそれを乗り越えるためにみんな一生懸命生きているんだ!」

 この発言、前までの緑祁にはできなかっただろう。しかし彼は故郷でトラウマから抜け出せた。それが自信を生み、辻神を説得しているのだ。

「辻神……。そっちの過去に何があったのかは僕も香恵も詳しくは知らないよ。でも、手は差し伸べることができる! 一緒に明日へ繋ごう!」

 しかし、

「おまえの発言、こう言い換えることができる」

 辻神は言った。

「過去に囚われている人は愚かだ、とな」
「そんなことは言ってな……!」
「いいや! 気づいていないだけでそう考えているぞおまえは! 所詮おまえの乗り越えるというのは、過去を無視して明日を楽しもうという馬鹿げた考えだ。私たちは、そんな愚か者とは違う」

 彼は強く、緑祁の発言を否定した。言いたいことはわかるし緑祁の方が正しいとも少しは感じている。だが、彼の言うことに従ったら、自分たちが今まで受け継いできたもの全てが、水泡に帰してしまう。

「私一人の問題ではない。これは先祖も巻き込んだ、重大な事件だ。私の一存やおまえの綺麗ごとで片付けられるようなことではない」

 それを聞いた緑祁は、自分の無力さを悔いた。

(結局、ヤイバとのことを僕はまた繰り返してしまうのか……)

 半年前の出来事がフラッシュバックする。勝負には勝ったのに、ヤイバのことは止められなかった。

(いいや!)

 だがすぐに思い直した。

(僕はヤイバの件からも抜け出せていない! 同じことを繰り返してたまるか! 絶対に、辻神たちを止める!)

「緑祁、よく考えろ。人はみんな、それぞれの考えを持っている。それは他人に教えることはできてもわかってもらうことはできない。おまえは間違ってはいない。少なくとも思い出したくない苦い過去に対する思考は立派だと言える。だがな、相手が悪かった。私でなければ説得できていただろう」

 ドライバーを構えて辻神は戦闘態勢に入る。

「なら、一つだけ約束してくれ!」
「何だ、言ってみろ」
「ここで僕がそっちに勝ったら、大人しく引き下がってくれるかい?」
「安心しろ、その可能性は微塵もない。おまえは私には勝てないからだ」

 そんなことはない、と緑祁は叫ぼうとしたが、その前に懐が熱くなっていることに気が付いた。

([ライトニング]と[ダークネス]の札だ。何だ、熱を帯びているぞ……?)

 その札を取り出すと、文字が光っている。

(もしかして、出して欲しいのかい? 僕と戦ってくれるのかい?)

 そう言っているように緑祁には思えた。
 きっと[ライトニング]と[ダークネス]は今の二人の会話を聞いていて、感じたのだろう。自分たちの存在をこの世界で認めてくれた緑祁のために、辻神を自分たちが倒すべきだ、と。恩を返すなら今しかないのだとも。

(奥の手だけど……)

 チラッと香恵の方を見る。彼女はコクンと頷いた。

「……わかったよ、[ライトニング]、[ダークネス]! 僕と一緒に戦おう!」

 式神を召喚。

「出たな…!」

 辻神にとって一番の壁となるであろう存在……それが緑祁の所持する式神だ。戦闘力はきっと申し分ないし、いざという時は逃げるための手段にもできる。

「だがな……」

 しかしそれは、先に倒せればもう負ける心配が無くなるのと同義だ。
[ライトニング]と[ダークネス]が咆哮した。勇ましい彼女たちの姿を見て緑祁は勝利を確信する。

「さあ、行こう!」

 式神の方が速いので、先に辻神に迫った。[ライトニング]は精霊光を、[ダークネス]は堕天闇を展開し、辻神へ攻撃をした。

(………?)

 だがここで緑祁の足が止まる。それは辻神に視線を戻したからだ。彼は辻神が一瞬だけニヤッとしたのを、見逃さなかった。

(何か企んでいる……? もしかして、式神を倒す手段があるのか…!)

 本能が緑祁の脳にそれを警告した。だから、

「ま、待って、[ライトニング]! 戻ってくれ、[ダークネス]!」

 呼び戻そうとした。
 でも間に合わない。チカラによる攻撃を辻神が避けると、二体の式神は直接攻撃を選び、彼に近づく。

 その時だ。辻神がポケットから何かを取り出しばら撒いた。

「で、電池……?」

 乾電池やボタン電池だ。電霊放を使える辻神がそれらを持っていても何ら不思議ではない。だが緑祁は、

(…! 僕はまだ辻神の霊障合体を見ていない……。も、もしや!)

 嫌な予感が全身に走る。
 そしてそれは、的中する。

「式神に対しては、これを使うと決めていた。くらえ、風神雷神(ふうじんらいじん)!」

 本来、電霊放は風に干渉できない。それは逆もしかりで、旋風は電気を運べない。だから辻神は電池をばら撒き、それを旋風に乗せて放電させることでその不可能を可能にした。吹き飛ばされる電池は近くの電池に稲妻を伸ばし網目状に電撃を形成すると、それが風で飛んで疑似的に電撃の嵐を生み出す。

「そ、そんなっ……!」

 辻神の霊障合体・風神雷神。その威力はすさまじく、[ライトニング]と[ダークネス]の両方の翼を根元から切り裂いた。体も電撃のせいで傷だらけだ。二体の式神は地面にドサッと倒れた。

「だ、大丈夫か、[ライトニング]、[ダークネス]!」

 式神が傷ついたせいで、札の方もボロボロになっている。緑祁はすぐに[ライトニング]と[ダークネス]を札に戻した。

「安心しろ、加減はした。式神を破壊すればおまえがやけを起こして突っ込んでくる可能性もあるからな」

 新しい和紙さえあれば、[ライトニング]と[ダークネス]は回復できる。でも今はない。

「…ごめん、[ライトニング]に[ダークネス]……。僕のせいでこんな酷い怪我を…」

 緑祁は一旦札を香恵に渡した。香恵の慰療でも式神の傷は治せないが、

「持ってて。僕と辻神との戦いで余計な傷を増やしたくないんだ」
「わかったわ」

 万が一のことを考え、自分が持っているのは危険と判断した結果だ。
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