第17話 桃源の交響曲 その4
文字数 5,394文字
「勝つ……? それは無理なんだよ、緑祁ぇ?」
「確かに、難しいかもね。でも! 僕は今までだって、どんなに分厚く高い壁でも、登ってきた! 底が見えない谷でも、飛び越えてきた! 今だって、そうだ!」
「……無理って言ったのは、そういう意味じゃないんだよ」
口元がニヤけ、クスリと笑う紅。その表情は取り繕っているものではない。
「何がおかしい?」
「もう勝負はついた。あなたの負けでね、緑祁ぇえええ! いくらあなたが強い霊能力者だったとしても! 勝敗が決した勝負に、勝つことなんてできない! そう、テストが解き終わった後に方程式の解を考えついても点数が変わらないのと同じだ!」
そんなはずはない。緑祁はそう思った。少なくとも今この状況、優位に立てているのは自分。
「緑祁! もうモタモタしている意味はないわ! 早く紅を!」
そうだ。香恵に言われてハッとなる。今の紅には、もう防御手段がないのだから、さっさと決めてしまえる。
(でも何か、引っかかる言い草だ……。ハッタリか? いやでも、あそこまで自信満々なのは一体……?)
様々な疑問疑念が頭を過ったが、前に進むことを選んだ。そのはずだった。
「えっ……」
急に、踏み出した左足の膝が自分の意志とは無関係に崩れたのだ。地面に手をつく緑祁。大丈夫だ、立ち上がれる。しかし今度は体が、後ろに傾く。
「緑祁、もしかして毒厄を盛られた? なら、すぐに治すわ」
そう言い、香恵が肩を支えてくれる。同時に薬束を彼女は使用。綺麗さっぱり毒気はなくなったわけだが、緑祁の体はまだフラフラしている。真っ直ぐに立てないのだ。
「ぐっ!」
今度は急に胃腸が、何かに握りつぶされているかのように痛み出した。
「どういう、こと?」
香恵は慰療も使ったが、それでも緑祁の状態は改善しない。体力の限界が来ているようには、緑祁も感じていない。しかし、体には異変がある。
「平等院慶刻って、知ってるよな? 緑祁? 霊障合体の発案者! あなただってそれを実践するときに、前もって調べていたはずだな? 面白いことを考えるヤツが私たちと同年代にいたとは、驚きだぁ」
意味のないことを言っているとは思えない。少なくとも今緑祁の体に起きていることに関係した事象のことを、紅は説明している。自分の額に指を当てながら、
「ダイナマイトも原子力も、使い方次第ってトコかねえ? 善意によっては人類に有益に、悪意によっては人類に有害に! そしてそれは、薬も全く同じってことだ!」
「く、薬……?」
数ある霊障の中で、病を治せ毒を打ち消せるものが一つある。それが薬束だ。それは善い使い方なのだろう。だが逆に、悪い使い方はできないか? そう考えた人物がいた。彼……慶刻は、体に自分自身を攻撃させることこそ、薬束を唯一、害なす用途と思いつく。しかし基本的に体を健康へと導く薬束に、そんなことをさせるのは無理だ。
いや、一つだけ手がある。自分の細胞を敵と誤認させればいい。何にか? 免疫にだ。簡単に言えば白血球に、自分の臓器を攻撃させる。
「そう、これが! 薬束と蜃気楼の合わせ技! 霊障合体・過剰免疫 ! 生物系のあなたなら、この状態がいかに危険か、私に言われるまでもなくわかるだろうね?」
緑祁の体の免疫機能は今、自分の体を非自己と判断し、攻撃している。白血球が自分の臓器を食べ、抗体が自分の細胞に結びついて働きを邪魔する。
「で、でも! アレルギーなら薬束で治せるはずだわ!」
「それも不可能なんだよ、香恵! 過剰免疫は、毒厄を含んでいない! だから薬束では、解毒できない!」
「そ、そんな……」
だが逆に、毒厄が加えられていないので、過剰免疫が直接相手の命を奪うこともない。
「こ、これが最初から、狙いだったのか……!」
はめられた。紅は特大の罠を自分自身に仕掛けていたのだ。[カルビン]は没収されることは、そのチカラからして明白だ。その[カルビン]を紅から取り上げるには、近づかなければいけない。その、距離を詰めた瞬間、ちょっとだけ緑祁の体に触れる。それだけで術中に陥れることが可能。
「さっき私、あり得ない、とか、何、とか言ったね? あれは驚いたからだったんだけど、あなたの行動に、じゃないんだよ。自分の作戦通りに事が進むことに、ビックリしたのさ」
「何だって……!」
最初から全ては、紅の書いたシナリオ通りだったということに、衝撃を隠せない緑祁。怒っているように見えたのも、今考えれば演技だったのだろう。彼女は見事に緑祁と香恵を欺いて魅せた。
腹部の痛みが激しさを増す。時間が経つにつれ、過剰免疫は強くなってくるようだ。
「どうだ、緑祁ぇえ? 内側から自分自身に食われていく気分は? まあ安心しな、過剰免疫では死にはしないし、私にはあなたを殺すつもりもないからな」
「いや、まだだ……!」
眩暈がする感覚だが、それでもまだ立ち上がれる。そして緑祁はこの状況を脱出する方法を思いついた。キョロキョロと周囲を見て、それを探す。
(公園なら、あってもおかしくないはずだ……)
が、
「緑祁ぇええええ! 今、あなたはハチの巣を探しているんじゃないか? やられた側が過剰免疫を解くには二つしかない。毒厄を自分に入れるか、それとも他の毒物を摂取する! でもあなたには毒厄はない。ならば自然界で簡単に手に入る毒物を……と、なるわけだが!」
そこは紅は既に対処済みだ。この公園の周辺のハチの巣は全て、事前に焼き払っておいた。ハチ以外にもヘビやヒキガエルなどもあるが、本州の最北端でしかもまだ四月は始まったばかり。冬眠から目覚めている可能性は低いだろうし、いたとしてもこんな深夜に活動している気がしない。
(彭侯か病射がいれば一発で解決だけど、それは無理だ。その辺の砂や石を口に入れて解決できるとも思えない。となれば……)
過剰免疫を解除することは諦め、悪化する前に短期決戦を挑む。
(それでいいんだ。どうせ紅のことは、打ち負かさなければいけない! そのタイミングが早まっただけ! グズグズしていると僕の内臓が白血球にどんどん貪食されてしまう!)
覚悟を決めた。
「香恵、ちょっと離れていてくれ」
「いえ、緑祁! 私も一緒に行くわ。私が緑祁の体を支えるから!」
「わかった、ありがとう!」
香恵からすれば、足取りがおぼつかない緑祁だけに任せられない。それに自分だって、ただ見ているだけではなく、事件の当事者として戦いたい。だから肩を貸した。
(う、うおっ!)
何の負傷もしていないのに、腕や脚がヒリヒリ痛み出した。
(マクロファージが感覚神経に噛みつき始めたか! や、ヤバいけど、でも! まだ希望はある!)
痛覚に刺激されるだけなら、耐えればいいだけのことだ。これが運動神経への攻撃だったら、体が思い通りに動かせなくなる可能性を秘めていた。だから幸運だと思うことにする。
「緑祁ぇええええええええええ! 最後に太陽が昇るのは、あなたたちではない! 私の方だ! 私たちの勝利を燦々と! 輝かしく! 照らし出すんだ!」
「そうは……させない!」
緑祁と香恵が駆けた。紅も彼らに近づく。彼女の計算なら、もう一度過剰免疫を使えば、緑祁の意識を飛ばすことが可能だ。たった一瞬、触れるだけでいい。それだけで勝利を掴み取れる。
「うおおおおわああああ!」
しかし、それは相手もわかっているはずだ。なのに向こうからも迫ってくる。[カルビン]を没収したのだから、遠距離から飛び道具でチマチマ攻めればいいのだが、それを選んでこない。
「くらえ、緑祁ぇえええええええええ! わずかにでも残ったその闘気と希望! 焼夷弾で焼き尽くしてくれるわぁ!」
「水蒸気爆発! 今度こそ! 成功させる!」
すれ違いざまに二人はそれぞれの霊障合体を炸裂させた。動き自体は先ほどと一緒で、緑祁は紅の手の動きに注意した。札を持っている方から、鬼火が加わった霊魂が飛んでくる。もう片方の手には、触れてはいけない……いいや彼女の身体自体が、接触するのが危険だ。
(か、香恵だと……?)
紅はこの時、勝ったと思った。緑祁の水蒸気爆発は、両手じゃないとできない。だから焼夷弾を撃ち込む右手を、両手で狙う。すると彼の胴体、特に左半分はがら空きになるので、体をちょっと指で突けばそれで過剰免疫が発動できる。しかし紅が伸ばした左手の先に、香恵の手があった。
(過剰免疫は恐ろしい霊障合体だわ。きっと緑祁はもう一撃入れられれば、耐えられない……。でもまだ、私は一発も受けてない! ならば、やるしかないわ!)
その一発分を、肩代わりしたのだ。紅の指が手に触れた瞬間、香恵はそれをぎゅっと握った。
「これで緑祁には、触れられないわね?」
「この、まさか……!」
意外過ぎる伏兵に、まんまとしてやられた。しかも焼夷弾は、緑祁の水蒸気爆発で跳ね返される。
「ぐぶああああああああああああ!」
凄まじい火炎が降りかかる。しかもその炎は弾けるのだ。
「手応えあり、だ!」
さらに今度は[カルビン]がいないので、もうダメージは免れない。悲鳴も聞こえているし、かなり致命的な一撃が入ったはずだ。そう思って振り向くと、
「緑祁ぇええええええええええ!」
紅の姿があった。だが、予想とは違う。熱さに悶え耐えきれず地面に倒れている、と思っていた。しかし実際の彼女は、なんと再び緑祁に向かって突進してくるのだ。
(馬鹿な? あれほどの焼夷弾を自分自身にくらって、まだ戦えるわけがない! まだ式神を隠し持っているのか?)
違う。紅は自分の火傷した皮膚をさっと撫でている。そうすると、爛れた皮膚が一瞬で元に戻るのだ。
「慰療があるんだね、紅! だとしたら!」
次の一撃で、紅を気絶させる。
「う、うう!」
急に香恵が足元を崩してしまった。緑祁に代わって過剰免疫を受けたのだから、無理もない。
(いいや! これがいい!)
二人とも、姿勢が傾いた。それを利用するのだ。
「くらえ! 焼夷弾をぉお!」
今度は二枚、両手に持っている。腕は二本しかないので、片方は跳ね返せても、もう片方にはできない。
(もう、紅には水蒸気爆発は使わなくていい!)
発想を変えた。彼女は、片方はカウンターを受けることを前提として、突っ込んでくるのだ。
「むおおおおおおおおおおお!」
焼夷弾が撃ち込まれるその瞬間、緑祁はわざと、足の力を抜いた。それをすれば肩を貸している香恵もつられて地面に落ちる。
「な、何っ!」
この予想外の動きが、決定的な隙を生み出す。しゃがんだ二人の上を焼夷弾が素通りした。
(ぐっ! だが!)
そう簡単に勝負は諦められない。蹴りを入れればそれでも過剰免疫は使える。踏み出している足を動かして、緑祁と香恵にぶつければいいだけのこと。
「そうりゃあああああああああああっ!」
が、突然足に力を入れて一気に立ち上がる緑祁。その手には、渦巻く火炎……火災旋風があった。
「行けええええっ!」
狙うは、紅の腹だ。そこを打ち抜く。この一瞬が勝負を決める。
「だあああああああ!」
立ち上がるのと同時に、緑祁は地面を蹴った。そして手を紅の腹に押し込む。
「っが!」
破壊力は抜群だ。完全に決まった。
「…………」
この一撃で見事に沈黙した紅の体が崩れる。彼女の体には、もう触れても大丈夫だ。地面に落ちる前に緑祁と香恵がキャッチした。
「や、やった……」
二人とも、体の内側の痛みが消えていることを確認。過剰免疫は終わった。それはつまり、紅が気絶したことを意味している。
「大丈夫だわ。紅の傷は今、全部治したから。体中を検査しても、悪いところは一切見当たらないはずよ」
慰療を使い、最後の一撃で受けた負傷を治す香恵。念のため薬束も使用しておく。
この深夜の戦いを制したのは、緑祁と香恵だ。
二人は紅の体を、公園のベンチに寝かせる。
「ん?」
その時、あることに気づいた。[カルビン]を札の中に戻そうと香恵がポケットを探っている際に、スマートフォンに触れたのだ。恐る恐る取り出してみると、
「つ、通話中……! 相手は、凹谷蒼…?」
音量はゼロになっていて、相手の方の音は聞こえない状態だ。つまりは紅が一方的に、この戦いに関して、音で情報を蒼に伝えていたということ。音量を戻してみると、
「もしもし? ちょっと、聞こえているなら返事をしなさいよ! 緑祁でも香恵でもいいから!」
確かに蒼の声が聞こえる。しかも現状を把握している。
「香恵、僕に貸して」
「ええ、わかったわ」
スマートフォンを受け取ると緑祁はスピーカーをオンにし、
「もしもし……?」
返答をした。
「素直に、おめでとう、と言っておくわ! 緑祁! まさかあんたに紅を倒せるとはね、驚きよ」
賛美はそれだけで、
「じゃあ、今から言う場所に三時間以内に来なさい! そこで待っててあげるから、一秒も遅れるんじゃないわよ!」
怒鳴り声で要件を伝えてきた。
[カルビン]は札に戻し、紅のポケットに入れた。
「おお、ここだったか!」
ちょうど紫電と雪女が、車で大間町に到着した。紅の身柄は紫電と雪女に任せるとして、問題は電話の向こうの蒼だ。
「三時間以内に、あんたが通ってる大学に来なさい! もし来なければ、遅れれば……。どうなるか、わかっているわね?」
その声は大きいだけではなく、恐怖を抱かせる迫力もあった。
「確かに、難しいかもね。でも! 僕は今までだって、どんなに分厚く高い壁でも、登ってきた! 底が見えない谷でも、飛び越えてきた! 今だって、そうだ!」
「……無理って言ったのは、そういう意味じゃないんだよ」
口元がニヤけ、クスリと笑う紅。その表情は取り繕っているものではない。
「何がおかしい?」
「もう勝負はついた。あなたの負けでね、緑祁ぇえええ! いくらあなたが強い霊能力者だったとしても! 勝敗が決した勝負に、勝つことなんてできない! そう、テストが解き終わった後に方程式の解を考えついても点数が変わらないのと同じだ!」
そんなはずはない。緑祁はそう思った。少なくとも今この状況、優位に立てているのは自分。
「緑祁! もうモタモタしている意味はないわ! 早く紅を!」
そうだ。香恵に言われてハッとなる。今の紅には、もう防御手段がないのだから、さっさと決めてしまえる。
(でも何か、引っかかる言い草だ……。ハッタリか? いやでも、あそこまで自信満々なのは一体……?)
様々な疑問疑念が頭を過ったが、前に進むことを選んだ。そのはずだった。
「えっ……」
急に、踏み出した左足の膝が自分の意志とは無関係に崩れたのだ。地面に手をつく緑祁。大丈夫だ、立ち上がれる。しかし今度は体が、後ろに傾く。
「緑祁、もしかして毒厄を盛られた? なら、すぐに治すわ」
そう言い、香恵が肩を支えてくれる。同時に薬束を彼女は使用。綺麗さっぱり毒気はなくなったわけだが、緑祁の体はまだフラフラしている。真っ直ぐに立てないのだ。
「ぐっ!」
今度は急に胃腸が、何かに握りつぶされているかのように痛み出した。
「どういう、こと?」
香恵は慰療も使ったが、それでも緑祁の状態は改善しない。体力の限界が来ているようには、緑祁も感じていない。しかし、体には異変がある。
「平等院慶刻って、知ってるよな? 緑祁? 霊障合体の発案者! あなただってそれを実践するときに、前もって調べていたはずだな? 面白いことを考えるヤツが私たちと同年代にいたとは、驚きだぁ」
意味のないことを言っているとは思えない。少なくとも今緑祁の体に起きていることに関係した事象のことを、紅は説明している。自分の額に指を当てながら、
「ダイナマイトも原子力も、使い方次第ってトコかねえ? 善意によっては人類に有益に、悪意によっては人類に有害に! そしてそれは、薬も全く同じってことだ!」
「く、薬……?」
数ある霊障の中で、病を治せ毒を打ち消せるものが一つある。それが薬束だ。それは善い使い方なのだろう。だが逆に、悪い使い方はできないか? そう考えた人物がいた。彼……慶刻は、体に自分自身を攻撃させることこそ、薬束を唯一、害なす用途と思いつく。しかし基本的に体を健康へと導く薬束に、そんなことをさせるのは無理だ。
いや、一つだけ手がある。自分の細胞を敵と誤認させればいい。何にか? 免疫にだ。簡単に言えば白血球に、自分の臓器を攻撃させる。
「そう、これが! 薬束と蜃気楼の合わせ技! 霊障合体・
緑祁の体の免疫機能は今、自分の体を非自己と判断し、攻撃している。白血球が自分の臓器を食べ、抗体が自分の細胞に結びついて働きを邪魔する。
「で、でも! アレルギーなら薬束で治せるはずだわ!」
「それも不可能なんだよ、香恵! 過剰免疫は、毒厄を含んでいない! だから薬束では、解毒できない!」
「そ、そんな……」
だが逆に、毒厄が加えられていないので、過剰免疫が直接相手の命を奪うこともない。
「こ、これが最初から、狙いだったのか……!」
はめられた。紅は特大の罠を自分自身に仕掛けていたのだ。[カルビン]は没収されることは、そのチカラからして明白だ。その[カルビン]を紅から取り上げるには、近づかなければいけない。その、距離を詰めた瞬間、ちょっとだけ緑祁の体に触れる。それだけで術中に陥れることが可能。
「さっき私、あり得ない、とか、何、とか言ったね? あれは驚いたからだったんだけど、あなたの行動に、じゃないんだよ。自分の作戦通りに事が進むことに、ビックリしたのさ」
「何だって……!」
最初から全ては、紅の書いたシナリオ通りだったということに、衝撃を隠せない緑祁。怒っているように見えたのも、今考えれば演技だったのだろう。彼女は見事に緑祁と香恵を欺いて魅せた。
腹部の痛みが激しさを増す。時間が経つにつれ、過剰免疫は強くなってくるようだ。
「どうだ、緑祁ぇえ? 内側から自分自身に食われていく気分は? まあ安心しな、過剰免疫では死にはしないし、私にはあなたを殺すつもりもないからな」
「いや、まだだ……!」
眩暈がする感覚だが、それでもまだ立ち上がれる。そして緑祁はこの状況を脱出する方法を思いついた。キョロキョロと周囲を見て、それを探す。
(公園なら、あってもおかしくないはずだ……)
が、
「緑祁ぇええええ! 今、あなたはハチの巣を探しているんじゃないか? やられた側が過剰免疫を解くには二つしかない。毒厄を自分に入れるか、それとも他の毒物を摂取する! でもあなたには毒厄はない。ならば自然界で簡単に手に入る毒物を……と、なるわけだが!」
そこは紅は既に対処済みだ。この公園の周辺のハチの巣は全て、事前に焼き払っておいた。ハチ以外にもヘビやヒキガエルなどもあるが、本州の最北端でしかもまだ四月は始まったばかり。冬眠から目覚めている可能性は低いだろうし、いたとしてもこんな深夜に活動している気がしない。
(彭侯か病射がいれば一発で解決だけど、それは無理だ。その辺の砂や石を口に入れて解決できるとも思えない。となれば……)
過剰免疫を解除することは諦め、悪化する前に短期決戦を挑む。
(それでいいんだ。どうせ紅のことは、打ち負かさなければいけない! そのタイミングが早まっただけ! グズグズしていると僕の内臓が白血球にどんどん貪食されてしまう!)
覚悟を決めた。
「香恵、ちょっと離れていてくれ」
「いえ、緑祁! 私も一緒に行くわ。私が緑祁の体を支えるから!」
「わかった、ありがとう!」
香恵からすれば、足取りがおぼつかない緑祁だけに任せられない。それに自分だって、ただ見ているだけではなく、事件の当事者として戦いたい。だから肩を貸した。
(う、うおっ!)
何の負傷もしていないのに、腕や脚がヒリヒリ痛み出した。
(マクロファージが感覚神経に噛みつき始めたか! や、ヤバいけど、でも! まだ希望はある!)
痛覚に刺激されるだけなら、耐えればいいだけのことだ。これが運動神経への攻撃だったら、体が思い通りに動かせなくなる可能性を秘めていた。だから幸運だと思うことにする。
「緑祁ぇええええええええええ! 最後に太陽が昇るのは、あなたたちではない! 私の方だ! 私たちの勝利を燦々と! 輝かしく! 照らし出すんだ!」
「そうは……させない!」
緑祁と香恵が駆けた。紅も彼らに近づく。彼女の計算なら、もう一度過剰免疫を使えば、緑祁の意識を飛ばすことが可能だ。たった一瞬、触れるだけでいい。それだけで勝利を掴み取れる。
「うおおおおわああああ!」
しかし、それは相手もわかっているはずだ。なのに向こうからも迫ってくる。[カルビン]を没収したのだから、遠距離から飛び道具でチマチマ攻めればいいのだが、それを選んでこない。
「くらえ、緑祁ぇえええええええええ! わずかにでも残ったその闘気と希望! 焼夷弾で焼き尽くしてくれるわぁ!」
「水蒸気爆発! 今度こそ! 成功させる!」
すれ違いざまに二人はそれぞれの霊障合体を炸裂させた。動き自体は先ほどと一緒で、緑祁は紅の手の動きに注意した。札を持っている方から、鬼火が加わった霊魂が飛んでくる。もう片方の手には、触れてはいけない……いいや彼女の身体自体が、接触するのが危険だ。
(か、香恵だと……?)
紅はこの時、勝ったと思った。緑祁の水蒸気爆発は、両手じゃないとできない。だから焼夷弾を撃ち込む右手を、両手で狙う。すると彼の胴体、特に左半分はがら空きになるので、体をちょっと指で突けばそれで過剰免疫が発動できる。しかし紅が伸ばした左手の先に、香恵の手があった。
(過剰免疫は恐ろしい霊障合体だわ。きっと緑祁はもう一撃入れられれば、耐えられない……。でもまだ、私は一発も受けてない! ならば、やるしかないわ!)
その一発分を、肩代わりしたのだ。紅の指が手に触れた瞬間、香恵はそれをぎゅっと握った。
「これで緑祁には、触れられないわね?」
「この、まさか……!」
意外過ぎる伏兵に、まんまとしてやられた。しかも焼夷弾は、緑祁の水蒸気爆発で跳ね返される。
「ぐぶああああああああああああ!」
凄まじい火炎が降りかかる。しかもその炎は弾けるのだ。
「手応えあり、だ!」
さらに今度は[カルビン]がいないので、もうダメージは免れない。悲鳴も聞こえているし、かなり致命的な一撃が入ったはずだ。そう思って振り向くと、
「緑祁ぇええええええええええ!」
紅の姿があった。だが、予想とは違う。熱さに悶え耐えきれず地面に倒れている、と思っていた。しかし実際の彼女は、なんと再び緑祁に向かって突進してくるのだ。
(馬鹿な? あれほどの焼夷弾を自分自身にくらって、まだ戦えるわけがない! まだ式神を隠し持っているのか?)
違う。紅は自分の火傷した皮膚をさっと撫でている。そうすると、爛れた皮膚が一瞬で元に戻るのだ。
「慰療があるんだね、紅! だとしたら!」
次の一撃で、紅を気絶させる。
「う、うう!」
急に香恵が足元を崩してしまった。緑祁に代わって過剰免疫を受けたのだから、無理もない。
(いいや! これがいい!)
二人とも、姿勢が傾いた。それを利用するのだ。
「くらえ! 焼夷弾をぉお!」
今度は二枚、両手に持っている。腕は二本しかないので、片方は跳ね返せても、もう片方にはできない。
(もう、紅には水蒸気爆発は使わなくていい!)
発想を変えた。彼女は、片方はカウンターを受けることを前提として、突っ込んでくるのだ。
「むおおおおおおおおおおお!」
焼夷弾が撃ち込まれるその瞬間、緑祁はわざと、足の力を抜いた。それをすれば肩を貸している香恵もつられて地面に落ちる。
「な、何っ!」
この予想外の動きが、決定的な隙を生み出す。しゃがんだ二人の上を焼夷弾が素通りした。
(ぐっ! だが!)
そう簡単に勝負は諦められない。蹴りを入れればそれでも過剰免疫は使える。踏み出している足を動かして、緑祁と香恵にぶつければいいだけのこと。
「そうりゃあああああああああああっ!」
が、突然足に力を入れて一気に立ち上がる緑祁。その手には、渦巻く火炎……火災旋風があった。
「行けええええっ!」
狙うは、紅の腹だ。そこを打ち抜く。この一瞬が勝負を決める。
「だあああああああ!」
立ち上がるのと同時に、緑祁は地面を蹴った。そして手を紅の腹に押し込む。
「っが!」
破壊力は抜群だ。完全に決まった。
「…………」
この一撃で見事に沈黙した紅の体が崩れる。彼女の体には、もう触れても大丈夫だ。地面に落ちる前に緑祁と香恵がキャッチした。
「や、やった……」
二人とも、体の内側の痛みが消えていることを確認。過剰免疫は終わった。それはつまり、紅が気絶したことを意味している。
「大丈夫だわ。紅の傷は今、全部治したから。体中を検査しても、悪いところは一切見当たらないはずよ」
慰療を使い、最後の一撃で受けた負傷を治す香恵。念のため薬束も使用しておく。
この深夜の戦いを制したのは、緑祁と香恵だ。
二人は紅の体を、公園のベンチに寝かせる。
「ん?」
その時、あることに気づいた。[カルビン]を札の中に戻そうと香恵がポケットを探っている際に、スマートフォンに触れたのだ。恐る恐る取り出してみると、
「つ、通話中……! 相手は、凹谷蒼…?」
音量はゼロになっていて、相手の方の音は聞こえない状態だ。つまりは紅が一方的に、この戦いに関して、音で情報を蒼に伝えていたということ。音量を戻してみると、
「もしもし? ちょっと、聞こえているなら返事をしなさいよ! 緑祁でも香恵でもいいから!」
確かに蒼の声が聞こえる。しかも現状を把握している。
「香恵、僕に貸して」
「ええ、わかったわ」
スマートフォンを受け取ると緑祁はスピーカーをオンにし、
「もしもし……?」
返答をした。
「素直に、おめでとう、と言っておくわ! 緑祁! まさかあんたに紅を倒せるとはね、驚きよ」
賛美はそれだけで、
「じゃあ、今から言う場所に三時間以内に来なさい! そこで待っててあげるから、一秒も遅れるんじゃないわよ!」
怒鳴り声で要件を伝えてきた。
[カルビン]は札に戻し、紅のポケットに入れた。
「おお、ここだったか!」
ちょうど紫電と雪女が、車で大間町に到着した。紅の身柄は紫電と雪女に任せるとして、問題は電話の向こうの蒼だ。
「三時間以内に、あんたが通ってる大学に来なさい! もし来なければ、遅れれば……。どうなるか、わかっているわね?」
その声は大きいだけではなく、恐怖を抱かせる迫力もあった。