第437話 第三部 了に寄せて(11)

文字数 1,199文字

 万見仙千代を主人公とする拙作。
 ようやく次作で完結を迎えることになりました。
 思いのほか長編になってしまったこの作品に寄り添い、
伴走してくださった皆様、
心より御礼申し上げます。
 
 史実が物語る通り、
天正六年(1578年)12月8日、
仙千代は有岡城の戦いで討死してしまいます。
 戦国でも稀に見る残虐な刑が行われた有岡城。
もちろん刑を命じたのは信長でした。

 実は日本史上、
大量虐殺を行ったのは信長だけだと言われています。
 
 長島一向一揆。
 越前一向一揆。
 天正伊賀の乱。
 
 信長三大虐殺とも呼ばれるこれらは敵が宗教勢力であったり、
親族が危うい目に遭ったり、もしくは亡くなった際、
信長が行った虐殺でした。
 
 信長が重用した戦国大名、荒木村重の裏切りにより、
有岡城の戦いは勃発します。
 信長は村重を翻意させようと幾度も使者を遣わします。
 その顔触れは織田家長老 松井友閑(ゆうかん)
村重の嫡男に娘を嫁がせている明智光秀、
長浜城主 羽柴秀吉、そして万見仙千代。
 錚々たる面々に比べ、いかにも若い仙千代。
信長の仙千代への信頼がここにも表れていて、
やはり第一の側近だったと思われるのです。
 
 村重は逆心は無いと重ねて返答し、
信長を喜ばせながら結果は謀反。
 
 第一次有岡城の戦い。
 武将で亡くなったのは、
事実上の初陣と想像される万見仙千代だけでした。
 
 一年後。
 
 織田軍が包囲を続けた有岡城での最終戦。
 
 信長が断行した虐殺は、
『信長公記』太田牛一の筆をも震わせる極めて残酷、
世にも哀れなものでした。
 宗教も信長の親族の死も絡まない有岡城の戦い。
 信長をしてそこまで残忍な行為に及ばせたのは、
如何なる心情、動機だったのか。
 答えは、
仙千代の死から何年も経った後の出来事として、
『信長公記』に記されています。
 そして本能寺の変は有岡城の戦いとの関連づけも、
可能性として有り得るのではないか、とも。
 その部分は次作(及び次回作あとがき)で是非、
物語に添い、私感を記したく思います。

 万見仙千代という人をほとんど知らなかった頃、
とある歴史記事で、
仙千代の弔い合戦(有岡城最終戦)で万見隊は全滅と読み、

 万見隊って弱かったんだな、
勝ち戦で全員死ぬなんて……

 と無知な私は思ったものでした。
 二度目の有岡城の戦いで織田軍は勝利し、
信長の天下統一事業はまたも一歩前進します。
 難攻不落の総構えの城、有岡城。
 勝ち戦でも織田軍の損失はけして小さくなかったでしょう。
 万見隊は仙千代の無念を晴らすべく、
望んで勝利の捨石になったのだと今は理解しています。

 『……仙千代ものがたり』
 最終章でお会いできましたら幸いです。
 史実にはその際、
何らか印を付けようと思っています。
 近々お目にかかれますように。
 今後も宜しくお願い申し上げます。
 皆様のお陰でここまでたどり着けました。
 ただ感謝の二文字です。


 2024年5月21日  ボスコベル
 



 
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