第328話 石と梃(てこ)

文字数 1,357文字

 利治は、

 「岐阜へ残るというのです、鷺山殿が」

 と困惑を滲ませた。

 「上様からの御言葉として、
年の瀬は難しくとも、
遅くとも桜の候には合流し、
若や姫、側室方の新たな暮らしの礎を
織田家正室として差配なさいますよう伝えたところ、
いや、行かぬ、ここを動かぬと仰るのです」

 最高の機嫌にあった信長が変調の兆しを見せた。

 「あれが為さねば誰がやるのだ。
斯様な件は威厳を要すと知っておろう。
侍女が代理で済ませば良いということにはならぬ」

 「はっ、左様に申しましたが、
姉はあのような性分でして……」

 「性分どうこう、聴いておらん!」

 「ははっ」

 信長の独断が通らぬ相手は居らず、
抗う者が居るとするならいつも鷺山殿だった。

 「普請も作事も女の手を借りることはない。
が、女子供の住まいとなれば、
縄張り配置、(しつら)えの細かなことは男には分からぬ。
しかも我が奥は大所帯。
(つま)達、若、姫、母上、妹に姪。
 早晩それらが安土へ越すのだ。
於濃が決めたとなれば不服は出まい。
逃れられぬ務めであるぞ、正室の」

 と父が説いたことぐらい、
知らぬではない鷺山殿のはずだった。

 「岐阜を離れぬ理由は何か」

 「今は時期ではないと。
左様に申せば上様は御理解あそばすと」

 「いや、儂にはとんと分からぬぞ」

 「この新五郎の見立てでは、」

 「いや、もう良い。
呼んでまいれ!於濃を呼べ。
その方が早い」

 「御方様(おかたさま)はそろそろ床へ入ると」

 と、眉尻を下げる利治。

 「ええい!呼んでまいれ!」

 義兄の怒声を義弟が受ける。

 「姉であろう!
連れてまいれ!引っ張ってでも!」

 「は、はは……」

 骨肉の争いを繰り広げた道三の子、孫の中にあり、
信長の許にあった姉弟は仲が裂かれることはなく、
二人の絆は強かった。

 ここ数日の心労でお疲れか、
これから眠るというに、
父上がそれを知りつつ来いと言えば、
いっそう頑なになるのも養母上の御性格……
 似た者同士の天邪鬼ゆえ、
はてさて、どうしたものか……

 利治に負けず信忠が眉を下げ、思案すると同時、

 「私も参ります」

 と仙千代が動いた。

 「上様の名代とはおこがましいと存じております。
なれど仲良き御姉弟(きょうだい)でありますれば、
ここは万見が悪役に成り申し、
御方様に御足労願い、
是非ともこちらへお連れ致す所存にて」

 信長の気配が変わった。

 「ううむ……あの者は頑固で手強いこと、
この上なしの女子(おなご)なのだ。
幼き日、ほんに可愛がった仙千代とはいえ、
儂の代わりで呼びに来たとなれば、
依怙地を見せて(てこ)でも動かぬのではないか」

 性格云々の話ではないと利治には断じてみせたくせ、
自身は(つま)の性質を取り上げ、
ぼやいてみせた。

 鷺山殿が石の如く座し、
父が梃を用いて石を動かさんと額に汗する図を連想し、
信忠は不謹慎だと思いつつ、
内心、苦笑を禁じ得なかった。

 信長は扇子を開け閉じさせた。

 「ま、……明日なら明日で良い。
明日でも今日でも事情は変わらぬ。
正室にあるまじき不届きを明朝、(しか)と叱責してくれる」

 一夜の猶予を得られた為か、
利治がほっと息をついた。

 「いえ、ただ今、参ります。
明日でも今日でも事情が変わらぬのなら、
一日延ばしにすることもございませぬ故」

 涼しい顔を決め込んで仙千代が述べた。
 半ば仕方がないという風で、
利治も立ち、

 「では、参りますかな」

 と二人は退室した。
 

 
 

 


 

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み