第211話 北陸平定戦(3)越前へ③

文字数 765文字

 此処、岐阜の城では、
殆どの夜、側室達が夜伽を務める。
 戦国の大名家の例に倣い、
どの(つま)も正室の許しが得られた、
もしくはその薦めで妾に迎えた女人だけはあり、
器量、気立てに申し分なく、健康で、
信長を子福者(こぶくしゃ)としてくれた。
 仙千代は別だった。
 脂粉も香も匂わない天然は信長をふと童心に帰らせ、
若さを呼び起こし、
身近に置いて育んだ愛着はある意味、
他の何とも異なる格別の親しみがあった。

 「千代と名の付く者にろくな奴は居ない……
この耳が確かに聴いております」

 明智光秀の坂本から京の相国寺まで、
極めて少ない従者を連れての移動に
仙千代が泣いて怒り、
怒り返した信長はその台詞を吐いた。
 臣下が、しかも若輩が全霊で盾つく様を
よもや目の当たりにしようとは、
信長は驚き、
相手が仙千代であれ、忘れて声を荒立てた。
 信長の怒りは、
行為や決定を否定されるという不慣れな事象に対する
戸惑いだった。

 畿内は直政、長秀、光秀、
秀吉という重臣達に所領と大軍を与え、
守らせている。
 それでも仙千代は警戒心が足りぬと言わんばかりで、
信長は頭に血を上らせた。

 出立の朝、湖畔では、
五郎左も心配気な顏をしておった……
 仙の言うは強ち的外れでもない……
認めざるを得ぬ……
 早舟の出来栄えの良さに、
あの日の儂は浮かれておった……

 とはいえ、
今も信長の口は憎たらしいことを言っていた。

 「無粋な。
左様な戯言、覚えておるでない」

 「では仰せになって下さいませ。
丹羽万千代、前田犬千代、堀菊千代、
千代と名の付く者は愛しい、
特に気に入りであると」

 「言えば出るのか、褒美が」

 「他の千代殿達に負けぬ働きで、
いっそう勤めに励みまする」

 「何だ、つまらん」

 仙千代はようやく筆を置き、

 「さ、上様。
長居は大概にされて。
外の御付きが日差しで干物になってしまいます」

 と清らかに笑み、(たしな)めた。

 
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