第342話 山口座(6)小弁①

文字数 1,397文字

  勝丸は表情の曇りを隠さなかった。

 「いえ、違うのです。
寺の大木の影から声がして、
聞き覚えのある小弁のものだと気付き、
近寄りました。
 何やら歌詞を(そら)んじておったようで、
感心なことだ、寝食も惜しんで稽古とは、
流石あれだけの芸を披露するだけはあると誉めました。
 小弁は言葉に詰まり、
笑顔ひとつ見せるでもなく、
逃げるように立ち去って……」

 清蔵が、

 「人見知りかのう。
芸事に長けた者でも一旦役を離れれば
日頃は寡黙ということは間々あることだというからの」

 と呑気な反応をした。
 勝丸は、

 「人見知りは人見知りなのでしょう。
なれど何も逃げぬでも」

 清蔵との対話が続いた。

 「何じゃろうな。変わり者か」

 「逃げるものを追い掛けるのも何だというので、
むしろ怖がらせたかと見送っておったところ、
和尚が居合わせていたようで、
申すには、
小弁はかつて周防(すおう)山口で母がおり、
生まれが乞食集落というのは違いないながら、
母なる女は酒狂いで身を売って暮らし、
腹の子の父が誰であるのか分からぬ有様。
 女が男児を産んでそれが小弁だというのです」

 「和尚は梅之丞から聞き知ったのか」

 「で、ありましょう。
一座が寺にやって来るのは毎年冬で此度が三度目。
 小弁は年々役が大きくなり出番が増え、
今や筆頭、人気を集めておるのであるとか。
 梅之丞が小弁を孤児と申しておるのは、
とうの昔、酒により女親は死んでおり、
父に至っては何処の誰かも分からぬのだからということで、
確かに孤児には違いなく、
そもそも母が酒代欲しさに売った子ゆえ……」

 清蔵は総括した。

 「小弁、不憫じゃ……。
が、決して無いではない話。
また、今は食うに困らず、
梅之丞という仮親にも恵まれた。
 哀れ極まりないが旅の役者、商人、
職も定まらぬ流れ者は何処にでも居る。
 代々、村々、山々を移動して、
百姓、木こりの手伝いをしつつ、
僅かな銭を稼ぎ生涯を送る集団も居るというではないか」

 「それが和尚は同情し、
何ならいつでも寺の小僧となれば良いと陰ながら、
小弁に伝えたのだというのです」

 一同、勝丸を待った。

 「和尚は見たというのです、
梅之丞が台詞回しの間が違う、
謳いの節が違う、左様に叱り、
小弁の背を棒で打ち付けておったのを」

 「芸の道は厳しく、実の子であろうとも、
師は弟子に強く当たるというぞ。
 儂とて伯父上、父上に何度殴られたか知れぬ。
乳歯など、生え変わる前に何本、折れ、無くなったか。
 或る時は棒術の稽古が十分でないと叱責されて、
夕飯も食わせてもらえなんだ。
 なれど伯父上、父上に感謝しこそすれ、
恨みなどないぞ」

 天下の織田家の近侍の集まる場で、
これほど話題となる小弁という子は運命という名の渦に
既に身を置いているのかもしれないと、
漠然と仙千代は予感した。

 勝丸は、

 「和尚が寺へ逃げても良いのだと救いの手を差し出したのは、
打ち据える様に情が無く映ったからではありませぬか。
小弁の背が痣だらけであるのを見咎め、
和尚は見かね、梅之丞を(たしな)めた由。
 梅之丞はこれは芸の道にて、
口を挟むのは御遠慮いただくと反発し、
いっそう、小弁に怒号を強めたと。
 もしや何処にでもある話ではありましょう。
なれど、和尚ではないが、
袖振り合うも他生の縁という言葉、
頭に浮かばぬでもなかったというのが実際のところ」

 と小弁に同情を寄せた。
 人の心を知る苦労人のはずの三郎は、
やはり仏頂面を崩さなかった。





 






 

 


 

 
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