第50話 岐阜城 古狸(1)

文字数 1,281文字

 三郎が次の間に声を掛け、
散らばった湯呑や脇息を片付けさせた。

 再び二人になると三郎は、

 「何がどうなろうとも、
若殿の為さるべきことに変わりはありませぬ。
若殿御自身、誰よりも御存知のはず。
全身全霊で立ち向かう。
それが武士(もののふ)の礼儀であると」

 そんなことは知っていた。
知っていながら逡巡を見せ、
わだかまりも鬱憤も三郎にぶつけた。

 武田が敗北を認めず、
あくまで敵国として存在する限り、
御坊を取り返すには、
勝頼に交渉の余地を与えぬよう、
圧倒的優位に立つべく、
尚も各地で勝利を収めていく他にない……
天下平定の手綱を緩めるわけにゆかぬ!……

 長篠・志多羅の戦い以後も、
三河に散在している武田の支城の掃討戦は続行される。
 これと連動し、
信忠は尾張と美濃の軍勢を信長に託され、
徳川軍と合同で、岩村城はじめ、
東美濃各地の武田の拠点を攻め落とす作戦を任されていた。

 勝頼が惨敗を喫したことを知りつつも、
虎繫は岩村に留まっている……
勝頼が救援にやって来るその日まで、
武田の護りの最前線として、
耐えてみせる意気込みなのだ……
虎繫は物資の補給路を確保して織田軍を迎え撃つだろう、
堅牢無比と称される岩村城で……

 艶姫が嫁したことにより、
岩村城の縄張りや構造は詳細を入手していた。
 だが、遠山一族や武田に従う地侍達は、
東濃全土に勢力を根強く張っている上、
岩村城は霧深い山頂に築かれた難攻の山城だった。

 感傷に浸り、憂いに沈んでいた信忠は、
いつしか意識を岩村城攻略戦に向けていた。

 やがて、ふと、何やら音がして、
信忠は三郎を見た。

 音の主は三郎で、持参の竹筒から、
何やらごくごく飲んでいる。

 「何をしておる!」

 「何をと申されましても。
御覧の通り」

 三郎はぐいと口を拭うと竹筒の蓋をしめた。

 「長演説で喉が渇きました」

 「儂に説いたと申すか!
たわけ!左様な物言いをする家臣が居るか」

 「されど若殿は御自身が白湯を捨てられました。
三郎は三郎でございます」

 「飲み物の話ではない!」

 腹立ちまぎれに信忠が竹筒を取ろうとすると、
三郎がさっとかわした。

 「これは柿の葉を煎じたものにて、
三郎は腹が弱い故、
二人の時はいつでも飲めば良いと、
若殿が前に仰って下さったのでございます。
お忘れでございますか」

 「今の今、飲まずとも!
主が戦に思いを馳せておるというに、
何をぬけぬけと」

 「若殿は物思いに耽っておられましたので、
その隙に、ちょいと」

 「何と!無礼者!」

 信忠は竹筒を奪おうとした。

 三郎は咄嗟に背中に隠し、
竹筒を奪われまいとした。

 「許可なく飲んではならん、今後一切!」

 「葉と共に、
母が送ってくれた筒なのです、
使い心地が気に入っておるのです、
お渡しできませぬっ」

 「渡せ、渡すのだ!
三郎が干からびれば美味い干し狸になる!
炙って肴にしてくれる!」

 「狸ではありませぬ!」

 「豆狸が古狸になっただけじゃ、
ずっと狸じゃ!」

 二人は言い合いながら追いつ追われつ、
子供のような喧嘩をしているうちに興奮状態になって、
信忠が上になった時、
三郎の白い歯の覗く形の良い口元が目の前に来て、
信忠は唇を奪った。





 

 


 

 


 





 
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