第39話 熱田 羽城(10)加藤邸⑩

文字数 1,174文字

 「どうにもせぬ。
愚か者だと知れるのみ。
竹が言うように容易い算術だ。
武功も無い身で、
あれは好きだ、
これは気に食わぬと言う奴は身中の虫」

 「どうしても気の合わぬ者は、
誰にでも居るのでは?」

 確かにそれはある。
 
 例えば今、
息子の長可(ながよし)の活躍が目を(みは)る森可成(よしなり)は、
信長が尾張統一に苦労して
血で血を洗う戦に明け暮れた時代、
最も初期から信長を支持し、
あらゆる戦いで信長を支え、
最後は浅井長政、朝倉義景の挟撃から信長を逃がし、
自らは討死を果たした忠臣中の忠臣だった。
 
 若くして父を喪った信長は、
信秀が(いみな)を与えた古参の河尻秀隆、
諌死を遂げた傳役(もり)の平手政秀と並び、
忠誠心で他の二人に勝るとも劣らない可成を
心頼みにしていた。

 その可成が生前、秀吉を好まず、
嫌悪を隠さなかった。

 可成は清和源氏の末裔であるという矜持をもって、
武に秀でて教養があり、若い時代の信長を、
政務に於いてもよく補佐をした。

 一方、
何を命じても期する以上の成果を上げる秀吉は、
信長が下す註文に、
難題さえも楽し気に受け、
織田家になくてはならない存在として、
貧しい境遇から一挙に大名として躍進していた。

 秀吉の存在は、
急激な膨張をみせた織田軍に、
才ある者が集まる根拠になっていた。
 信長の下で働けば、
農民だろうと卑賎であろうと出世を果たし、
大名にさえ成る。
 
 秀吉は図々しい上に暑苦しいが、
軽妙に見え、
とてつもない努力家であって、
しかも何故なのか、どうにも憎めない。
 信長は秀吉を重用した。

 血筋を誇り、譜代の家臣団を持つ可成と、
蔑まれつつ身一つで伸し上がった秀吉は、
秀吉が武功を挙げて行く中で、
時に衝突があると耳にしていた。

 それは懸念すべきことではあった。
 だが、二人の間の火種が燃え上がり、
裁可を下さねばならぬような事態に陥る前に、
可成は死した。

 「前田様が上様の勘気に触れて、
一時放逐を賜ったのも、
上様が寵愛された拾阿弥(じゅうあみ)殿を、
上様の面前で斬り付け、
命を奪ったせいであるとか」

 拾阿弥は源氏の血をひく同朋衆で、
茶の湯、連歌、香の道に長け、
美術品の目利きや宴の遊興に従事して、
望む者には教え、来客があれば饗応役をした。

 「うむ。若気の至りとはいえ、
主の前で刀を抜くとは許されざること。
しかも、斬って殺しよったのだ。
又左には腸が煮えくり返ったものよ、
何たる馬鹿者かとな」

 又左こと、利家に切腹を命じざるを得ない事態となった信長に、
必死のとりなしをしたのが、
森可成、柴田勝家という宿老だった。

 「後から聞けば拾阿弥は、
儂の引き立てを笠に着て、
陰で利家をよく小馬鹿にしておったのだという。
庇われるだけ、
又左には人としての見どころがあったのであろう」

 竹丸は団扇で風を送りつつ傾聴していた。

 続けて何の不自然もなく、

 「よもや、仙千代を軽んじ、
侮るような者は居らぬだろうな」

 と信長の口からついて出た。

 
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