第377話 説諭

文字数 902文字

 仙千代の憤怒を彦七郎は負い、
刀身を陽光に照らした。
 彦七郎の怒りが仙千代の冷静を促した。

 上様ならば決して赦しはせぬだろう、
ただ利の為に童を買って芸を仕込み、
最後は捨てる……
 上様は庶兄(あに)上から二度も命を狙われ、
それでも許し、
今その御方は織田家の重鎮として上様を
支えておられる……
 また弟君に二度まで謀反を企てられようと、
初め、赦免なさったがやはり上様……
 左様な御方が決して許しはできぬのが人買い、
奴隷商売……
 梅之丞の所業はまさにそれでしかない……

 それでも仙千代は己は信長ではないと知っていた。
 信長のような地獄の辛酸は知らず、
自身の青さを知っていた。
 むしろここでふたたび信忠の若い声がして、
その信忠は一座の演目が民を喜ばせ、潤いを与え、
仏法に適っているとして褒美を与えた。

 仙千代は彦七郎の抜身を止めた。
 彦七郎は納得いかぬという顏を向けた。
 仙千代は憎悪の眼差しの梅之丞に正対し、
確と見遣った。

 「殿は演し物に感銘を受けておられた。
田植歌、馬追歌、木こり歌……
殿が初めて知った働く民草の姿だ。
そして母子の物語。
 殿は幼くして御母堂様と死に別れておられる。
 まこと、心から感じ入り、歓ばれたのだ。
 なればこそ通行証も金子(きんす)もお与えになった。
 小弁の芸の達者なことはその努力もさりながら、
梅之丞という役者の才を表すものだ。
 その才を間違って使ってはならん。
 殿があれまで心を動かされ、賜れた許可証、褒美だ。
 儂はそれを奪おうとは思わん。
その命もな。
 一座には妻子や郎党が居るのであろう。
 それを養うのは座長の務め。
 今後もし、殿がお聞きになって不快に思われるようなことあらば、
その時こそこの万見仙千代が成敗してくれる。
 今は赦そう。
 岐阜の殿の思召(おぼしめ)しと思え。
 演戯に磨きをかけ、人々を喜ばせる。
 それが山口梅之丞の行く道、正道だ」

 作り物ではない驚愕が梅之丞にあった。
 ふと仙千代は、

 「梅之丞。
もしやその身も売られた子供だったのか」

 と、ついて出た。

 いっそうの驚きに(みは)った梅之丞は、
一気に涙を浮かべ、破れた綿入れに血塗れの顏を埋め、
慟哭に激した。

 彦七郎が困惑に転じ、刀身を収めた。

 
 
 
 


 




 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み