第78話 岩鏡の花(10)水精山①

文字数 1,701文字

 仙千代が竹丸から聞いたところでは、
水晶山の地質には、
釉薬の原料となる良い成分が含まれていて、
これを採掘し、細かく粉砕して、
焼物の上薬(うわぐすり)として製造すれば、
地元の特産物になるのではないかと、
河尻秀隆が述べたということだった。

 戦後、直ちに復興に乗り出すことにより、
民の(かまど)は潤い、
ひいては人心の安定に寄与することになる。
 鎌倉以来という名門の遠山氏が、
永年にわたって治め、
武田家に臣従した時代の長い岩村城下で織田家といえば、
新参者であり、
勝利したとて様々な障壁や困難が待っているのは、
容易に想像された。

 陣場奉行が詰めている小屋は、
信忠の居る本陣から少し下った位置にあり、
仙千代は竹丸と語らっていた。

 「(いとま)を見て随時、
この山を調べておるのだ。
あちらこちらに滝があり、
どうにか水車を建てられる箇所を見付けた。
他の陣場奉行殿も、
其処であれば建造が可能であろうと」

 冷涼な気候の水晶山ではあるが、
竹丸はよく日焼けして、
僅かな間にずいぶん逞しくなったように映った。

 「山の名からして水晶が採れるのかと、
想像はしておった」

 「大まかに分ければ、
水晶とは、石英の中でも透明なものを言い、
釉薬に用いられるのは、
石英が風化して砂のようになったものが
地中に押し込められて固まった珪石と呼ばれる岩石だ。
副将殿は、
これを掘り出して水車で砕き、
今や茶器として名高い美濃焼の産地に販路を繋げれば、
当地の経済を大いに助けると、
左様な目論見を持っておられる」

 「戦支度のみならず、
一方で、その先まで見据えて……
流石、河尻様だ。
上様が若殿の御傍に置かれるはずじゃ」

 「冗談一つ仰らず、
常に厳しい御顔をなさって河尻様は、
謹厳実直そのものの御仁であらせられる。
なれど、先代大殿から織田家にお仕えし、
上様御誕生以前から
御家の歴史と共に歩まれてきた。
副将殿の一言一句は重く、
学びとなることばかりだ」

 秀隆に敬意の念を表す竹丸を、
これもまた敬うに足る男だと、
仙千代は竹丸を見た。

 「それがな、仙。
水晶山は、
水の精と書いて水精山(すいしょうやま)とも言うそうじゃ。
水の精とはどのような精であろうな」

 「うむ……」

 「悪戯っ子のあどけない姿か。
はたまた薄衣を纏った神話の姫か。
どうであろうなあ」

 仙千代は竹丸の声を聴くともなく聴きつつ、
口中に枇杷(びわ)を頬張っていた。
 手も忙しく皮を剝いている。
 初夏から梅雨明けの丁度この時期が旬だと言い、
近々、織田家に(くみ)した遠山一族の分家が、
水晶山に陣中見舞いとして届けたのだった。

 「産毛(うぶげ)に張りがあって、色も美しい。
まさに良品。美味じゃのう!」

 「仙千代!」

 「なっ、何じゃ、大声で。
驚くではないか」

 「聞いておったのか?儂の話を」

 「じゃから、
水晶山は水の精とも書くのだと。
童か女神か、どっちであろうなあと。
左様な話であろう?
聴いておった、聴いておった」

 「いや、心は食い気に向いておった。
無礼ぞ!」

 「竹も枇杷を早う食え。
さすれば頬が落ち、
水の精などどうでも良くなる」

 「どうでも良いとは!」

 「ほれ、剥いてやったに。
食してみよ、甘いぞ」

 仙千代は竹丸の口に半ば強引に枇杷を突っ込んだ。

 「ぶっ、無礼千万!」

 「なれど甘かろう?」

 仙千代が覗き込むと、
竹丸は、

 「む……美味い。口惜しいが」

 「ほれ、見い。
童も女神も二の次になる」

 仙千代が笑うと竹丸も苦笑いした。

 「まったく。仙千代は」

 「仙千代は?」

 「可笑しな奴だ!まったくな!」

 戦地といえども連日戦闘ばかりというわけでなく、
そこは生活の場でもあった。
 三万の兵が駐留するこの地には、
其処彼処(そこかしこ)、露店が並び、
行商人が往来し、娼館も出た。
 大将や側近衆はそのような場所に出入りしないが、
雑兵、農兵、足軽はじめ、
多くの兵がそれらを利用し、
戦地である近隣一帯には、
収益の貴重な機会となった。

 枇杷を食べ終えた竹丸が、

 「男滝はいいぞ。
いくつか瀑布があるが、
男滝は水車場にしようかという滝で、
水晶山で最も勢いある滝なのだ。
脇の支流も、魚がよう釣れると聞く」

 と言い、仙千代は、

 「今からでも行ってみるとする」

 と答え、竹丸と別れ、
彦七郎達を誘って男滝と呼ばれる滝に向かった。

 





 

 



 

 

 



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