第418話 幼き客人

文字数 921文字

 散策時にでも庭園を通り掛かったのか、
はたまた賑やかな様子に気付き足が向いたか、
酒井忠次の二男、九十郎と御供衆が信忠の視界に入った。
 岐阜には各国各地の人質が暮らしている。
九十郎の母は徳川家康の異母妹(いもうと)にして叔母であり、
七歳とはいえ九十郎は
織田と徳川両家の紐帯としての重い役を帯びていた。
 信忠の妹、徳姫も岡崎城主 松平信康に八歳にして嫁いで以降、
信長、家康を結ぶ任を担っているが、
事実上、松平一族の長老である忠次は家臣団の中でも別格で、
その二男が織田家の手元にあることは長女を差し出している信長として、
両家の力の均衡を図るに恰好の存在だと言えた。

 信長が安土へ向かうといえば九十郎も折を見て居を移すことになる。
忠次の居る三河吉田に比べ安土は岐阜より遠い。
それでも九十郎に選択の余地はなく、 
いずれいっそう西へ引き移る定めは免れなかった。

 人出に目を留めた九十郎は信忠を認めると立ち止り、
頭を垂れて推服を表した。
 織田家に於いて忠次の取次は仙千代があたっており、
九十郎の世話も請けていた。
 仙千代は庭へ出ると九十郎と挨拶を交わした。

 「寒い中、お早いですね。
冬の散策はいつも午後からでございましょう?」

 と仙千代。
 眼差しは柔らかで、膝を折り、
目線を合わせている。
 
 「今朝は滝が凍っているというので
家来達と見物に参りました」

 と返す九十郎に仙千代への懐きが見られた。

 「半分だけ凍っているのは珍しいのですよ」

 「吉田は暖かく氷自体、珍しゅうございます」

 故郷の地名を口の端にあげた九十郎に、
しまったという表情が浮かんだ。
 いくら大切にされても人質は人質で、
九十郎なりに立場を知ってのことだと知れる。
 しかも、懐く相手の仙千代は、
そもそも九十郎の預かりを信長に進言した当人だと、
それすらも九十郎は分かっていると想像された。

 だからこそ仙千代は九十郎の養育に殊の外、
留意し、心を砕いているのだろう……

 多忙を極める仙千代が九十郎の許には三日を空けずに通い、
また信忠の弟達や家臣の子弟と交らわせもし、
孤独を癒やし、健やかに育つよう目をかけているという。

 吉田という地名を口にしただけで畏まる九十郎は、
七歳という齢からしても相当な賢さが察せられた。

 
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