第29話 龍城から熱田へ②

文字数 798文字

 信忠を侮った岡崎の城兵や、
抜刀寸前までいった勝丸への対処をみても、
仙千代に激しいものがあることを、
信長は知っていた。
 ただ仙千代は、
激情の裏に沈着が備わっていると同時、
生来、利他の心が備わっていて、
それが大局を見据える力になっていた。

 けして豊かと言えなくとも、
姉妹に囲まれて唯一の男子として育てられた仙千代は、
召し寄せた当初、我儘とも見える気儘さ、
我の強さがあった。
 未だ、実際、我は強いのだろうが、
いつしか大人への階段を上がり始めていて、
言葉の選びひとつ取っても、
信長の心中を的確に読み取って接し、
殺伐とした日々において、
尖った神経を和らげ、
滅入る思いを、よく(なだ)めてくれた。

 信長は来たる岩村城攻めに話題を移した。

 「中でも勘九郎は初の総大将戦を控えておる。
岩村城を奪還し、
武田の勢力を徹底追撃せねばならん」

 「大殿の御永逝(ごえいせい)が上様十九の折。
若殿も来年にはその御齢(おとし)に。
いよいよ総大将として、
岩村城に向かわれるのですね」

 境川はおおむね、三河と尾張を分けている。
この二国は同盟であるので、
池鯉鮒(ちりゅう)と大高を結ぶ橋梁は堅固で、
よく整備されていた。

 いつもなら菅谷長頼や長谷川竹丸も居るのだが、
二人は岡崎で、
戦後処理の残務にあたっていた。

 「岩村城を奪い返し、
先の合戦の勝利に甘んじることなく、
武田を完膚なきまでに叩く。
四郎勝頼の求心力を低下させ、
窮地に苦しむ勝頼が、
御坊丸様を差し出すように仕向ける……」

 仙千代は淡々と歌うように言った。

 信長は天邪鬼で反問した。

 「そこまでやれば相手の怒りを招き、
人質が命を落とすとは考えぬのか」

 ようやく仙千代は一瞬、思いに耽る顔をした。

 「我が方が圧倒的優位に立てば、
こちらの顔色を見ないではおられませぬ。
それだけが御坊丸様をお救いする道。
既に勝頼は半ば死に体(しにたい)
息を吹き返す前に、
尚も追い詰めなければなりませぬ」

 仙千代の目はただ前を見て、
揺らがなかった。

 
 

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み