第422話 秀一と小弁

文字数 767文字

 仙千代は長谷川秀一や近藤重勝の婚礼で岐阜を数泊離れた後、
高橋虎松、高橋藤丸、山口小弁を連れ帰ってきた。
 信忠にとり高橋兄弟は亡き叔父の忠臣の遺児であり、
小弁は小弁で無論、芸達者な子役だと認識があった。
 虎松、藤丸は信長や信忠が身近に置いて何ら違和のない家柄、
出自の若童だったが小弁に至ってはいくら美しく、
歌舞音曲に長けていようと平たく言えば河原者であって、
本来、織田家の飯を食むなど有り得る身分の者ではなかった。
 猿楽名門の大役者とて高位の客前で演じるに、
差支えが無きよう便宜的に太夫の名を与えられ演技した。
 その習慣が根付き、猿楽の演者が太夫を名乗る起源となった。
 草を枕に時を紡いで暮らした小弁はそこをよく承知していて、
今も庭石に隠れるようにし、控え目に清蔵を呼んだ。
 信忠が日ごろ小弁を目にすることはまず無いが、
武辺で鳴らす佐々家の清蔵が小弁の敏捷に目を付けて
小者(こもの)勤めの真似をさせつつ、
随分見込んで鍛えていると承知はしていた。

 「もしやあれは。山口小弁とやら」

 と秀一が庭へ下りた清蔵に何やら伝える小弁を見た。
山口座が城下の寺で興行の際、
秀一は元服式で帰省の最中であり、
一旦こちらへ戻って挨拶を済ませると続けて祝言の為、
年の瀬から昨日まで岐阜を留守にしており、
小弁を見掛ける機会は今朝まで無かったものと想像された。

 秀一の視線が小弁に注がれるのを見留め、
秀一が仙千代を焦がれていたことを思い出し、
信忠は、

 「万見に似ておると申す者が居る」

 と発した。

 仙千代と秀一は小姓に取り立てられる以前から旧知の幼馴染で
信忠より前に秀一は仙千代を知っていた。

 「小弁の齢は存じませぬが粗方(あらかた)想像するに十か十一。
万見家に避暑で逗留した折、
ちょうど仙千代がそのような年頃であったかと」

 「やはり似ておるか」

 信忠も小弁を注視したまま訊いた。

 

 
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