第119話 若僧(1)興福寺①

文字数 747文字

 近々の再訪を言い置いた仙千代が寺を後にする際、
見送りの中に記憶に残る顔があった。
 真木島で義尊のおくるみに仙千代が触れた時、
丸腰でありながら威嚇してみせた護衛の若者だった。

 僧衣に身を包んだ体躯は今も鍛錬を絶やさずいるのか、
二年前より幾らか痩せたようではあるが、
筋骨がしっかりして、
義尊を守護する役目は変わらないのだと知れた。

 出立の支度を織田と(ばん)の家の小者達がしている間に、
若僧が歩を進め、

 「お久しゅうございます」

 と、仙千代に丸めた頭を下げた。

 「こちらに居られたのですか。
ほんに、お久しゅうございます」

 と返した仙千代に相手は頭をさすり、

 「元服し、髪が軽くなり、
月代(さかやき)が涼しいと思っておりましたら、
程無く斯様なことに相成り」

 短い一言に若者の生涯の変転が示されていた。

 「生来の暑がりです故、
これも悪くはございません。
寺では毎月決まった日に剃るのです」

 本来、そろそろ(つま)を迎え、
一家を為してゆく年頃の者が、
主の敗北により、幼君に従って俗世を離れた。

 信長は義昭を助命して京からの追放にとどめ、
将軍の名も奪わなかった。
 それをいいことに、
瓦解して実態を伴わない幕府ながら、
名目上、将軍職にある義昭は西国に居て日々、
各地の大名に書を出して、
矢文よろしく、打倒信長を呼び掛けている。
 あの世とこの世を結ぶ仏閣に暮らすとはいえ、
若僧にとり仙千代は今も敵であるはずだった。
 
 さほど違わぬ年齢ながら、
勝者と敗者に分かれた仙千代と若僧だった。
 仙千代は軽々な物言いは戒め、
控え目に笑みを返した。
 仙千代が信長、織田家に一命を捧げるのと同じく、
若僧もただ、義尊、足利家に尽くす星の下に生まれた。

 勝ちも負けもあるものか、
こうして挨拶にやって来てくれた、
その心を受け取るのみだ……
 


 
 

 



 


 


 

 
 

 
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