第198話 楚根城(1)稲葉家①

文字数 895文字

 暦の上では初秋の文月とはいえ、
実感は夏で、
岐阜への帰路の山々は緑濃く、
水辺はいかにも涼しく眺められた。

 西美濃の大柿(おおがき)は輪中の多い水の街で、
北部の楚根は稲葉一鉄が治め、城を築いていた。

 信長一行は十五日、安土の常楽寺で一泊後、
翌日は垂井に泊まり、
十七日は楚根に立ち寄って、
一鉄の歓待を受けた。

 昨年まで一鉄は良通(よしみち)といった。
 一鉄は六男で、
岐阜の崇福寺(そうふくじ)に預けられ、
幼少期を過ごした。
 やがて五十年前、
北国街道から関ヶ原を抜けて
伊勢街道に侵入した浅井長政の祖父、
亮政(すけまさ)が美濃の牧田に陣を構えると、
美濃守護 土岐頼芸(よりのり)が迎え討ち、
共に出陣した一鉄の父と五人の兄は戦死した。
 家督を継ぐ為、一鉄は還俗し、
良通(よしみち)を名乗った。
 天正二年に再び入道し、今は一鉄という。

 斎藤道三が、
娘、濃の二度目の夫である土岐頼純(よりずみ)を毒殺し、
土岐氏から美濃を奪うと、
良通こと一鉄は、道三、
道三の子 斎藤義龍、
道三の孫 斎藤龍興と三代に仕えた。
 
 義龍は家督を継ぐと道三と袂を分かち、
重臣 日根野弘就(ひろなり)に二人の弟を謀殺させて、
後には父 道三と戦い、命をも奪ったが、
守護 土岐頼芸(よりのり)の側室であった一鉄の姉 深芳野(みよしの)が、
頼芸により道三に譲られ、
義龍を産んだことにより斎藤家の外戚となっていた一鉄は、
甥の義龍に付いて道三と対峙した。
 父、二人の弟を死に追いやった義龍は、
三十二歳で病に沈んだ。
 一鉄は義龍の嫡子 龍興に、
美濃へ圧を強めた信長に臣従するよう諫言した。
 道三の娘、濃は、
三度目の婚姻で信長の正室となっていた。
 一鉄にしてみれば、
血で血を洗った斎藤家三代の歴史が、
尾張の信長という新たな縁者に降りることで、
ある意味、決着をみて、
出発の区切りとなることを期待しての苦汁の決断だった。

 龍興は一鉄の進言を聞き入れなかった。
 信長と戦った龍興は敗走し、
本願寺顕如を頼って伊勢長島へ流れると、
あくまで信長との対決姿勢を貫いて、
最期は北陸の名門 朝倉家、
実母の実家筋である浅井家と流浪した末、
朝倉軍を加勢して織田軍と戦った際、
かつて重臣であった氏家直元が信長の配下となっていて、
直元の嫡子 直昌に討たれ、命を落とした。
 享年二十六歳だった。

 
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