第136話 三つの城(5)坂本城④

文字数 1,039文字

 「帝に繋がる比叡山座主への戒めは、
限度があってしかるべし。
左様に説いたこの儂に明智めはその場は頷きながら、
蓋を開ければあのようなことだ。
そこにあの者の(しょう)が表れておる。
面と向かって、
羽柴殿、儂はこう思うと異論を唱えればまだ良いが、
同調を見せつつ、やったことと言えばあのやり(よう)
儂を小馬鹿にしよって……」

 勤めに上がって二年目の年端もゆかぬ仙千代に、
大の大人、しかも名のある武将の秀吉が、
何処までが本心か、目的は何か、
あからさまな物言いで通した。

 羽柴殿より後に御家臣の列に加わった明智殿、
その明智殿が先に国持ち大名となり、
羽柴殿の歯噛みは如何ばかりか……
羽柴殿は儂が幼い故に、
却って言葉を飾らず言い立てるのか……

 困惑しつつも仙千代は、
秀吉の鬱憤を全身で受けた。
 未熟な自分は秀吉の思い、いや、魂胆は、
時間を掛けて咀嚼してゆく他はないと考えた。

 「比叡山延暦寺攻め……
儂は手心を加えぬではおられなかった。
一方、赤子も何もお構いなしが、あ奴の軍勢。
明智の一族が叡山の僧兵に殺されたのでなし、
赤子など、放っておけば良かったんじゃ。
そもそも、儂の言うことを聴く素振りをしつつ、
実は軽んじておった結果を見、
いよいよ儂は奴の本性を知った。
奴は仮面をかぶっておるのだ。
己さえ、面を被っておることを忘れる程に、
びったり張り付いた厚い面をな」

 不快感を隠しもしない秀吉は、
いつしか紅潮し、

 「比叡山を焼野にし、
覚恕(かくじょ)を完膚なきまでに叩いたならば、
()の地が我が手に転がり込むと明智は算段しておったのか。
虫酸(むしず)が走る。
あの狐面(きつねづら)、胸が焼け腐る。
一度は身を寄せた越前朝倉を捨て、
幕臣同様に遇された恩を忘れて将軍を見限り、
今は何と坂本城主。
たいしたものよ。天晴れじゃ」

 と、口を極めて皮肉った後、
聞き役に徹した仙千代にニッと笑った。
 その笑顔は仙千代を通し、
秀吉の光秀に対する雑言が信長に伝わっても構いはしない、
むしろ、伝えてほしいと言っていた。

 愉快で陽気に映る秀吉が、
光が強ければ影が濃いように、
強烈な別の面を見せたことに仙千代は戸惑い、
咀嚼しきれずいる内に時が経ち、
結果、この時のことは信長に洩らさなかった。
 しかし、やがて仙千代は知った。
信長は二人の険悪に感付いていた。
 織田家に於いて突出した異能の二人は、
好敵手であるべきがそうではなく、
秀吉は光秀を疎んじ、
光秀は秀吉を見下げ、互いが互いを嫌悪していた。
 主は気付いていながら、
いや、気付いていればこそ、
二人の競争心をまったく無邪気に利用した。

 



 
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