第48話 岐阜城 古い手紙(3)

文字数 1,022文字

 珍しく声を荒げた信忠に動じず、
三郎は艶姫と秋山虎繫の話を続けた。

 「若君は六大夫(ろくだゆう)と名付けられたとか」

 「だからどうした」

 「御坊丸様は五男坊であらせられる故、
上様が五坊とお付けになられた。
六大夫というのは、
御坊丸様の弟であるという願いを込めての名でございましょう。
御坊丸様の安泰を願っての命名に、
まず、違いありませぬ」

 五の次が六なのだから、
五があっての六であるのは当然で、
三郎の推測は至極真っ当なものだと思われた。

 しかし信忠の感情が認めなかった。

 「裏切り者の子が御坊の弟?
聞いて呆れる。
儂は六なる者を弟にした覚えはない」

 「はい」

 「何だ、はいとは」

 「仰せはもっともでございます。
なれど、過去に三度嫁がれて、
艶姫様は此度、初めて御子を授かった。
夫婦(めおと)仲は(すこぶ)る宜しいのでは」

 虎繫が何時(いつ)何処で大叔母を見染めたか知りはしないが、
知りたいとも思わなかった。
 それでも、
籠城戦で封じ込めている敵の女城主に正室となることを条件に
養嗣子(ようしし)、城兵の助命を持ち出すなど、
信忠はかつて聞いたことがなかった。

 無論、勝者は敗者の上に立ち、
敗者の姫を側室に入れることがないではない。
 勝頼の生母がそうだった。
信玄に敗北した家の娘であった勝頼の母は、
信玄に見染められ、勝頼を産んだ。
 だがそれは、戦後の話であって、
戦の最中のことではなかった。

 大将が色恋を開城の要件とするとは!
有り得てはならぬ!
 どれほど松姫を慕おうと、
左様な真似を儂はせぬ……
 
 艶姫が二度目の婚家を出され、
信長の許に身を寄せていた時期、
虎繫は信忠と松姫の婚姻同盟を成立させるべく、
信玄の使者として日帰り、連泊と、
度々岐阜へやって来ていた。

 信忠の知る虎繫は後年、
「武田の猛牛」と異名を轟かせただけはあり、
知的な風貌ながら、
戦での強者ぶりが想像される威風を漂わせていた。
 
 異名となった出来事は、
三方ヶ原での徳川軍 対 武田軍の戦いにあった。
 織田と徳川の連合軍は大敗を喫し、
その際、家康は、
山県(やまがた)昌景と秋山虎繫に散々に追い回され、

 「さても虎繫、
猛牛にも似たる恐ろしき男ぞ」

 と評したことが元だった。

 それ程の武士(もののふ)が、
城と女を同時に手中にせんと画策するとは、
何たる嘆かわしさよ!……

 虎繫は確かに敵将だが、
共に過ごした何日かの所作振舞の見事さに、
信忠は憧憬にも似た思いを一度は抱いた。
 それだけに艶姫を追い詰め、娶った虎繫に、
今更ながら憤怒が湧いて、
憂いの影に潜んでいた怒りが露わになった。

 
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