第59話 岩村城攻め(3)公居館③

文字数 1,344文字

 浜松とは家康を指していて、
桶狭間合戦の二年後には、
織田・徳川両家の間に同盟が成立し、
今年で既に十三年、
互いに舅同士であるという縁戚でもあって、
他の大名とは一線を画す固い紐帯が両家を結んでいた。

 「浜松が三河岡崎でふと漏らしよったのを、
誰ぞ、覚えておるか」

 何を漏らしたか、そこは抜けているが、
真意を汲み取り、菅谷長頼が応じた。

 「はっ!確か、武田領へ攻め寄せるには、
今が好機のようにも思われますと、
上様の顔色(がんしょく)を窺うかのように」

 「うむ」

 仙千代もその時の信長、家康を記憶していた。
 歴々が集い、酒を酌み交わす宴の合間の、
何気なさを装った家康の呟きだった。
 信長は聴こえたか聴こえぬかという表情で、
返事をせず、やり過ごした。

 「久太郎、如何、受け取る」

 指された堀秀政が、

 「上様の御真情を推し量る意味合いからの発言かと」

 と言い、続けた。

 「越前一向宗、大阪本願寺との対峙、
足利義昭に(くみ)する毛利や丹波衆との対決、
これら敵対勢力を考えれば武田の領国まで深入りするは、
危険極まりなく、
また織田軍が信濃、甲斐へ入ったとなれば、
自田を刈られたとばかりに、
上杉も黙ってはいないでしょう。
かくなる上は北条も乗り出してきて、
我が軍は挟み撃ちに遭い、
ふと悪念を起こしたか勝馬に乗ろうという徳川勢に、
万一には退路を断たれかねませぬ。
志多羅の大勝利に酔うことなく、
東濃制圧に的を絞られた御深慮、
久太郎、非常な学びとなりまする」

 信長はふっと笑った。

 「言わんとすること全部、言いよった。
儂の出番がなくなるではないか。
いや、そもそも久は岐阜で後詰をしておったはず。
それを、あの場に居ったかのように」

 秀政は恐れ入り、

 「ははっ!」

 と(こうべ)を垂れた。

 信長は秀政がすべて言い切ったと言いながら、
竹丸に、

 「竹も申せ。何でも良い」

 と振った。

 秀政の答を気に入って、機嫌が良い信長だった。

 「はっ……」

 無茶といえば無茶だった。
何でも良いから申せといっても、
秀政に足すような話は本来もう有りはしない。

 竹丸は一瞬、詰まり、
考えを(まと)めたか、一気に述べた。

 「徳川様がよもや上様を裏切るとは、
考えたくもございませぬが、
どうあってでも武田を追い込み、
三河、遠江に加え、駿河まで手中にせんという意欲、
いや、野望はひしと伝わりましてございます。
その際、大きく軍勢を動かすは徳川ではなく織田軍。
東三河は志多羅まで遠征し、
消耗激しい我が軍が、
見知らぬ信濃・甲斐で勝敗つかず痛手を被ろうとも、
浜松殿は上様の御力をもって三河支配を盤石にした今、
勝ちを逃そうとも武田に一段の圧力を加えられればそれで良し。
名実共に三河の主となられた浜松殿の喜びが、
その一言を口の端にのぼらせたのだと聞いておりました」

 いっそう満足を得た信長は、

 「何か申すか、仙千代も。
しかしほぼ、出尽くしたところであるからな」

 と、朗らかな目を向けた。

 信長が言う通り、
秀政と竹丸が信長の心理、
諸情勢おおよそを語ってしまい、
これ以上、何も言うことはないというのが実情だった。
 しかし仙千代が、
二人に加えて尚も何某か戦況判断を述べれば、
信長の機嫌が増すことは明白で、
仙千代も分析を開陳しないでは済まされなかった。

 信忠は側近達の上座に泰然とした佇まいを見せていた。


 

 
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