第386話 岐路

文字数 1,155文字

 虎松、藤丸、小弁を岐阜へ連れてゆくとなれば
主君、信長の許しを得た上というのが
本来の筋ではあるが先日来、
織田家は信忠が家督を継いでおり、
信忠の意志も確かめねばならぬ上、
この鯏浦(うぐいうら)と岐阜の距離や仙千代はじめ、
今は誰もが年の瀬と新春の支度、
加えて安土へ引き移る準備で多忙を極める事情であれば、
いっそ話は後だと仙千代は決めた。

 仙千代の内心を見透かすように、

 「上様、また殿は、
良い顔をなさってくださいますでしょうか」

 と彦八郎が零すと彦七郎が、

 「いくら人手があっても足りぬのが織田家。
まして氏素性明らかにして、
武家の嗜みを知った者なら尚の事。
 虎松、藤丸は信興公御忠臣、照之進殿の忘れ形見。
現御当主が自ら禄を返上されたことといい、
魚も棲まぬ清き水の如くが高橋家。
 何の不足があるものか」

 と断固、答えた。

 コソコソする奴は嫌いだと
ああまで言い張っておったに……

 またも仙千代の心を読んだか、
彦七郎はわざとらしい咳払いをして、

 「さて、小弁だ」

 と向きを変えた。

 いつしか皆で小弁を取り囲んでいた。
 仙千代が枕元、市江兄弟がそこへ続き、
高橋兄弟が足にと並んで詰めた。

 小弁は葱を取るなと言われ、
青臭さに眉根を(ひそ)め、じっと目を閉じていた。

 「小弁」

 呼び掛けると瞼を開けて小さく頷いた。

 「聴こえておったであろう」

 仙千代を見詰め、またも頷いた。

 「儂の言うことを聞け。
一つ選ぶのだ。
 熱が残り、頭が巡らぬというのなら、
快癒するまで考えた上、答えるのでも良い。
 が、道は一つ。
 熟考し、決めれば良い」

 一に、岐阜へ向かい、現段階、
如何なる形かは不明ながら織田家の家来衆末席に加わり、
身を惜しまず上様及び岐阜の殿にお尽くし申し上げる、
二に、役者修業に励むこととして山口座であれ、
他の一座であれ、芸道に邁進する、
三にこの鯏浦に留まって、
兵太、兵次、亀などと共に働く、
四に故郷の村へ帰る。

 四が考えられないことは分かっていた。
 そこは物乞い、盗人の巣窟であるといい、
小弁の苦境はその村に生まれ落ちたことに始まっていた。

 十一か十二か、もしやそれより幼いものか、
正確なところは不明ながら、
その幼さで身の振り方を決めよというのは酷ではあった。
 どれを選択するにせよ、
中途で他へ変わることは不可能だった。
 しかし反面、見方を変えれば、
過去、境遇に振り回されて、
一度とて自身について決めたことなどない小弁には、
己の行く先を己が決める、
生まれて初めての大きな僥倖だと言えなくもなかった。
 事実、小弁は、

 「決めて()えのか?この儂が?」

 と風邪気の掠れ声で訊いた。
 その眼は確かな煌めきを見せていた。

 仙千代は、

 「小弁の命は小弁のものじゃ。
如何に生きようと死するまでその命、
小弁のものじゃ」

 と両の手で頬を包み、しっかり見詰めた。
 

 




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