第22話 龍城(16)騒擾⑩

文字数 933文字

 「申せ」

 信康が城兵に許可した。

 「文字も読めぬと、
そこまで自分は申したのです。
浅墓にもそこまで愚弄したのです……」

 信康が信忠を見た。

 信忠は落ち着いていた。

 「これより腕を磨き、知識を深め、
従者として岡崎殿の警護に付くのであろう。
古来より伝わる五つの徳を積むが良い。
『論語』の五徳を存じておるか」

 「存じ上げませぬ……」

 「孔子は五つの徳目を申された。
温・良・恭・倹・譲。
まこと、難しい行いばかりだ」

 織田家の圧倒的経済力を背景として、
幼少時より当代一流の師について文武を学んだ信忠は、
とりわけ教養に於いては父 信長を凌ぐものがあった。

 「孫子も仰せであったな」

 忠義心に端を発するとはいえ、
未熟さを露呈して失態を演じたことでは、
ある意味、
城兵達と同じとも言える勝丸は、
塩らしく縮こまっていた。
 その勝丸に信忠は続きを言わせた。

 「はい。智・信・仁・勇・厳であったかと」

 「うむ」

 信康が頬を赤らめた。

 「その幾つかは私は失念しておりました」

 信忠が直ぐに応じた。

 「儂もだ。
故に孫子はこの者に言わせたのだ」

 信忠が快活に笑った。
信康も心からの安堵を表し、
歳に似合った屈託のない笑顔を見せた。

 「三河殿」

 「はっ!」

 「徳姫を、くれぐれも頼む。
末永く睦まじく。
そしてこの者共の成長も、
三河殿に任せたぞ」

 「ははーっ!
恐れ入りましてございます!」

 信康と近侍達、城兵五人のみならず、
仙千代、三郎、勝丸ら、
一同打ち揃ってひれ伏した。

 仙千代は信忠の是々非々を断じる明快さに加え、
信長譲りの天邪鬼ぶり、
また性根の強さを認めた。
 同時、三郎の側近としての力にも舌を巻き、
自分は既に信忠の世界の外に居るのだ、
今更そこに身の置場は無いのだと感じた。

 勝丸は預かっていた大小を、
信康の近侍に渡した。

 信忠一行が立ち去る時に、
勝丸が何度も振り返り、
仙千代に無言の内に感謝を伝えた。
 仙千代は微笑み返した。

 いつしか無人になった井戸端で、
ふと見遣った先に淡い藤色の紫陽花があった。

 引き寄せられた仙千代は呟いた。

 「清三郎、
兄者の武勇を若殿が語って下さった。
そして今宵、若殿に遭うことが叶ったな」

 風も無いのに花が揺れ、
清三郎が(うなづ)いたのだと仙千代は思った。

 


 

 

 



 

 





 

 

 

 

 
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