第413話 安土へ(4)誘い

文字数 2,247文字

 尾関三郎賀義(よりよし)は木曽川畔尾関郷の出で、
家は尾張守護である斯波(しば)氏に臣従する土豪だった。
 斯波氏が力を失い織田弾正忠(だんじょうのじょう)家の勢力が拡大するにつれ、
尾関家は織田家に降り、
二男の三郎が人質として岐阜へ入り信忠の小姓となった。
 当初、劣等小姓を絵にしたような三郎だったが、
信忠の寵愛を受け、自覚が芽生えて以降は研鑽を積み、
無類の努力は後進の手本となり、
信忠の若手近侍筆頭格となっていた。

 「三郎」

 「悩み深けな顔をして」

 「いや。別段何も」

 仙千代は銀吾、祥吉の憂い顔を一旦振り切った。

 三郎は藁で十個繋いだ干柿を二連携えていて、

 「この冬は格別の出来だ」

 と掲げてみせた。

 「十個も!有り難く頂戴しよう」

 「弟達にもな」

 「かたじけない」

 「我が家は柿の木がわんさとあって、
柿だけは不自由せんのじゃ」

 ふと三郎は万見邸の両隣を見遣り、

 「仙も数日内に安土へ……寂しくなるな」

 正月に(とし)を一つ重ねるしきたりにより、
仙千代より一歳上の三郎は今年十八になった。

 「勝九郎は元服し池田元助となって鷺山殿の姪御様を娶り、
長谷川竹丸は秀一になり、上様の姪御様を正室に迎えた。
 源吾も堀殿の御実家筋と縁続きとなり目出度(めでた)い限り。
次はそろそろ三郎か」

 「であれば良いが今は儂のことなど二の次じゃ、
尾張、美濃を殿が継がれてこれはこれで大忙しじゃ。
 そもそも仙と同じで女子(おなご)といえば姫様方か、
御女中しか知らぬ。
 独り身の家来衆で遊女屋に行く者は居るが
近侍に許されることではない。
 何より殿が先ずは何方(どなた)か姫君を……」

 三年前、信玄の約定破りの三河侵攻により
織田家と武田家は手切れとなって
信忠は信玄の六女、松姫と(まみ)えぬままに今に至り、
側女(そばめ)を置くこともなく過ぎていた。

 「縁談は降るようにある。
織田と武田の縁が切れた今、
我が姫を殿の織田家正室にと願う大名、
いや、公卿公家とて如何程か。
 が、殿は御心の深い御方。
松姫が未だ何処へも輿入れしておられぬ事実を思えば……
と、お察し申し上げ……」

 「何事も厳しく処断なさる上様も松姫様の限りに於いては
殿への御配慮が感じられ、
上様の殿への御気遣い、感じ入らずにおられぬ」

 「上様は殿に仰せになったのだ。
難攻不落で鳴らす岩村城包囲戦勝利、
織田の家督を継ぐは城介(じょうのすけ)であると天下に知らしめ、
見事な采配であった、
かくなる上は織田家当主としての振舞に邁進されよ、
後事を託し、父は安土へ引き移る、と」

 「父祖の地は殿に。天下は上様が。
そして松姫は武田家の滅亡を見て、
殿御自身がお決めになられれば良い……
左様なことか」

 「上様が如何に殿をお認めになっておられるか。
その証左だと儂は見た。
お仕えする身として嬉しくもあり、大いなる感謝も抱き。
 上様……今更ながら大きな御方じゃ。
常ならば名家の姫を殿の御正室にと気が(はや)るもの。
それを何と何処吹く風。
 上様は、まこと、面白き御方」

 織田家が膨張し、最大限に拡大せんとしている今、
下手に力のある家から姫を迎えようものなら
実家筋の影響が織田家の覇権に影を落とすとも限らず、
天下人としての信長が嫡子の婚姻を急ぐ理由は特になかった。
 と同時、
信忠の功績、成長を認めたからこそ信長は家督を譲ったのであり、
ただ時の流れによっての決定ではないと仙千代は再認識をした。

 「いつか虎御前山で見た月。
覚えておるか」

 三郎に問われ、仙千代は、

 「大きな月じゃった。
小谷城攻め……殿は初陣であらせられた」

 誰も居ないと思い、仙千代は虫の鳴き真似をして、
樹上に居た信忠の苦笑を誘い、
蛍を見付けた仙千代が、

 「蛍ですよ。あれは平家蛍」

 と(はしゃ)いで見ると信忠は、

 「もう、じきに秋じゃ。蛍も見納めだな」

 と淡白を装って城へ戻る様子を見せ、
そこへ信忠の小姓達がやって来て、
三郎が仙千代の肩を組み、
あの月のように大きく黄色い瓜が切ってある、
皆で食べようと言った。

 「あの瓜、甘かったな」

 「三郎は食べ過ぎて腹を下した」

 「であったかな。
あの三郎は今は居らん。
 儂ほど頑健な家来は他に居るまい。
皆が風邪をひいても儂一人、平気の平左じゃ」

 遠ざけておきたいはずだった山口小弁を仙千代が連れ帰った件、
三郎は触れなかった。
 譜代の臣下、佐々清蔵が小弁の敏捷に目を留め、
信忠の目に入らぬ分際の小者(こもの)勤めさせつつ武芸を仕込んでいるというのであるから
現段階、三郎が何某か異を唱え、波風を立てる必要はないことだった。

 「さて、夜風が冷える。
副状(そえじょう)を書かねばならぬ。
有り難く柿を頂戴し、邸へ戻ろう」

 縁台の柿を手に取った仙千代に三郎が、
明日、信忠主催の茶の湯があると招待を告げた。

 「他に菅谷殿、堀殿ら、安土へ向かう顔触れが。
上様の御許可も頂戴しておる。
 茶事の良い学びとなる故、
高橋兄弟、万見兄弟も是非、手伝いを」

 仙千代は感謝を述べて邸へ下がった。
 安土へ行けば信忠を見掛けることは格段に減り、
いよいよ真の別れの時が来たのだと知る。
 胸が疼かぬかといえば嘘になる。
 信忠との日々は懐かしく、美しく、煌めいていた。
 嫌悪され、失せろと罵声を浴びはした。
 それは信忠の気高い心の表れであり、
嫌うに値せず、存在は輝きを増した。

 働きを認めて下さり、茶の湯に呼んで下さった、
それだけで十分じゃ、
 最後、十分味わい、儂は安土へ向かう……
別れの茶の湯じゃ……

 婚姻が決まった夜、竹丸が、
青い時代は終わったと誰にともなく言い聞かせるように呟いていた。

 青い時代……

 今一度、仙千代は言葉を噛み締めた。




 



 

 
 

 


 

 
 

 

 





 

 
 
 







 

 
 
 


 

 


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