第364話 慌ただしい日々(5)笑い声

文字数 1,349文字

 対面の間を退室した仙千代と秀一は、
控えの間に侍した。
 両人、襖の向こうに聴き耳をたてている。
 しかしすべてを聴き取ることは出来ず、
ところどころ声が途絶える。

 「二年前……左様なことが……確かにあった。
 うむ、思い出した、ああ、二年前……」

 「その時、(はる)が……」

 「華が?……」

 一瞬の間を置き、爆発的な笑いが起こった。
 信長だった。

 仙千代、秀一は思わず見合った。

 「上様。何をお笑いに」

 「余程のことじゃ、まさに大笑い」

 「何であろう」

 「何であろうな」

 つい言い合っていると暫しの後、

 「竹!仙!入れ!」

 と呼ばれ、戻ると、

 「竹、出羽守(でわのかみ)殿をお見送りせよ。
仙千代は筆を持て」

 と命じられ、仙千代は内心、

 出羽守殿は御一泊なさり、
今宵は津島の銘酒で宴の予定であったはず……
 酒宴は取りやめ、
何を急いで上様は(したた)めさせようとなさるのだろう……

 尚清(ひさきよ)が秀一共々出てゆくと、
仙千代は信長の口上のまま、筆を走らせた。
 宛先は秀一の父、長谷川与次だった。
 仙千代は書きつつも目を瞠り、
鼓動が高鳴り、終いには手さえ震えた。
 華姫と秀一の婚姻が裁可され、
花押は信長自身が(しか)と記して間違いなかった。

 「上様!」

 仙千代の驚嘆に信長はまたも笑いを放った。

 「竹丸が!竹が華姫様の」

 「左様なことじゃ。
笑いが止まらぬ。
 於華は二年前、
北島城に用向きでやって来た竹を見、
ずっと胸に秘めておったというのだ。
 つまり見初めたということだ、姫が竹をな。
 二年もの間、想いは変わらなかったのだ。
 叔父として叶えてやらねばなるまいて。
 飯尾家には左程に深い恩がある。
娘にめっぽう甘い出羽守の願いでもある故、
儂としても断り切れはせぬ」

 源吾と田鶴の婚姻も瓢箪から駒のようなものではあった。
しかし、いくら長谷川家が忠義を尽くした家だからといって、
飯尾家と長谷川家では格の開きは否めなかった。

 驚きを隠しもできずいる仙千代を前に、
信長は脇息へ身を預け、

 「ま……これぞ、青天霹靂、
まったくの意外というもの。
 華は華で竹との接点はまるで無く、
二年前も言葉さえ交わしておらぬ。
 (たま)さか城で見掛けて懸想して、
この二年(ふたとせ)どうしたものか悩み抜いておったのじゃろう。
 ふしだらとも我儘気儘とも言うつもりはない。
 やはり我が姪。
見どころのある男だと竹を見抜いた。
 左様なことで良いであろう。
 (つま)が華なれば儂も誰憚らず
竹を出世させてやれるというもの。
 華は大した姫じゃ。
心の強さは相当じゃ。
 心配といえば竹を尻に敷きそうなことか」

 信長の上機嫌は収まらなかった。

 「長谷川へ(てがみ)を手配せよ。
一刻も早くな。
 年内に竹も源吾も祝言を済ませ、
室を連れ、安土へ引き移るのだ。
 来年の今、
竹や源吾の子の泣声が安土に響いておるやもしれぬ」

 竹丸は信長の寵童を経て、
今や側近団の中心的人物であり、
縁談が引きも切らない誰をもの垂涎の的だった。
 しかし華姫に至っては望んで得られる存在ではなく、
まさに高嶺の花だった。
 
 竹丸!よもや姫に懸想されておったとは!
竹!何と上様の甥御様!
 上様ではないが何故か笑いが止まらぬ!
 左様にまで姫に思われていたとは!……

 仙千代は木曽川畔の長谷川家への遣いを出すと、
万見邸で源吾をはじめ、
市江兄弟や弟達に竹丸の婚約を伝え、皆で祝った。

 

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