第186話 妙顕寺(1)能 八番興行①

文字数 839文字

 親王主催の蹴鞠会の余韻も静まらぬ僅か三日後、
天正三年文月六日、
上京、下京の町衆が妙顕寺に於いて、
信長を招待し、
観世座与左衛門、観世又三郎の能八番を興行した。
 
 信長が覇権を確立し、
朝廷の保護に努め、
治安を回復させたことにより、
他所へ散っていた貴族、豪商達が街に帰って、
京は活気を取り戻していた。
 
 富貴の町衆は信長に謝意を表明しつつ、
摂家、清華(せいが)家という
極めて高位の人々を招いての能興行を開催し、
これにより、昨今、
日の出の勢いで地位を向上させている堺と差別化をはかり、
京の存在を再認識させんという目論見もあった。

 足利義満に見出され、非常な寵愛を受け、
庇護された世阿弥を祖とする一門が観世家で、
苦難の時期を経ながらも継承された能は総合芸術であり、
舞台、音曲、諸々の道具、衣装に至るまで、
簡素に見えつつ大変に金がかかるものだった。
 町衆は信長を貴賓に据えて謝念を表すと同時、
その列席により最上級の貴族を招くことが可能となって、
今後、朝廷とも、
より緊密な縁を結ばんという下心も透けて見えていた。

 とはいえ、
長い歳月に磨かれた至芸の鑑賞は、
教養豊かな武井夕庵(せきあん)、松井友閑、
楠木長諳(ちょうあん)、長雲軒妙相という
政務や社交に携わる織田家の老臣達には非常な喜びであり、
誰も表情が浮き立っていた。

 信長らが桟敷にある間、
少し離れた場所から遠巻きに拝見していた仙千代は、
同道していた信定に、

 「万仙殿は猿楽、能は、如何か」

 と訊かれ、

 「美しく、厳かなものに映りまする。
が、筋立ても成り立ちも不勉強にて、
実は、よう分かりませぬ。
田楽なれば愉快で面白く、
幼い頃、
村へやって来ると飽きずに見ておりましたが」

 田楽は田植えの神を祀る為、
笛、太鼓を鳴らして田の畔で歌い舞った田舞(たまい)に始まり、
やがて専門の法師集団が楽器を用いて歌や舞、
曲芸を披露する一座となって各地を回った。
 田楽は群舞に迫力があり、
高足に乗って品玉を使い、
刀剣を投げ渡すなど、
老若男女、誰もが楽しめ、
能より田楽を好む足利将軍も居た程に人気を博した。

 
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