第44話 父子の朝餉(4)

文字数 1,536文字

 「若君御二人も御存知であられるように、
浜松殿の母君、於大の方は……」

 秀隆も信長に倣い、白湯を含んだ。

 河尻秀隆は通名を与兵衛尉(よひょうえ)といい、
日頃、与兵衛(よひょう)と呼ばれていた。
 
 昨年の長島一向一揆征圧戦で、
数多の連枝衆、
つまり織田家親族を喪った信長にとり、
秀隆は互いの先代同士が主従であり、
心頼みをするにふさわしい希少な古老で、
今や信忠軍の副将であり、
信忠が行う政務の補佐を任されていた。
 
 信長の秀隆への信は厚かった。
 
 今の信忠と似た齢であった信長は、
父の病没に伴い、嫡男故に家督を継ぎつつも、
傾奇者、(うつ)けと言われ、
織田家内での立場は不安定で、
品行方正な二男の信行に
多くの家臣の気持ちは傾いていた。
 
 その信行が、
周囲に(はや)され、謀反を起こした。
 信長の領地であった萱津(かやつ)まで、
信行軍が二倍、三倍の軍勢で攻め込み、
信長軍は六百以上の兵を喪い、
全滅寸前に追い込まれ、
あわや信長も討死かと思われた時、
信長の大音声(おんじょう)での叱責が敵を(ひる)ませ、
辛うじて四、五十名が命を永らえた。
 
 信行の将兵も弟が兄を討つ正当性に、
懐疑を抱く者がないではないのが救いとなった格好だった。
 
 信長は母の願いを聞き入れ、
信行の萱津侵攻は赦したものの、
その二年後、十七年前、
またも信行一派に命を狙われた際は、
信行を庇うにも、もう限界だった。
 信長は信行以外にも庶兄から、
やはり二度、暗殺されかけた過去があり、
兄弟から命を狙われるのは、
尾張統一を目指す信長にとり、
もはや、身中の虫と考える他ないものだった。

 信長が実弟、信行との相克で苦しんだ時、
秀隆の信長への忠誠は一貫していた。
 秀隆は信長の密命を帯び、
信行誅殺の実行役として、
重い任務を引き受け、全うした。

 浜松殿とは家康のことで、
本領の岡崎は今、嫡男 信康を城主として置き、
家康は浜松に住んで、
北の武田や東国に目を光らせていた。

 「於大の方は一度は松平家から離縁され、
幼い竹千代君を岡崎に残し、緒川城へ帰られた。
緒川城主 水野殿は、
かねてより上様に臣従の立場を取っておられ、
このことからも、
上様と浜松殿の縁を思わずにはおられませぬ。
浜松殿が深く思慕する母君は、
再嫁した先で三人の男子に恵まれ、
この三人を兄弟として認めるよう、
浜松殿に願いを伝えた。
御母堂との再会、
御兄弟達との対面を果たされた浜松殿は
御三人に松平の名を与え、
つまり、御身内衆として御三人を遇せられた。
しかし、御身内故に、
御二男 源三郎殿は今川氏真に、
十か、十一か、幼くして送られ、
六年を彼の地で人質として暮らされた。
やがて今川家が力を弱め、崩壊する中、
今川家中の三浦なる裏切り者が、
源三郎殿を伴い武田へ逃げた。
この際、酒井忠次(ただつぐ)殿の御息女も共に甲斐へ連行され、
三浦(ぼう)なる者の手土産だとして、
信玄は大いに喜んだと聞き及ぶところでござる」

 仙千代の記憶では、
家康の異父弟 源三郎康俊という武将は、
岡崎城でも志多羅でも姿を見せていなかった。

 「して、与兵衛。
源三郎なる者、如何したのか。
岩村城攻めと浜松殿の恨みは如何なる関りが」

 信雄(のぶかつ)が先を急がせた。

 「知恵者、酒井殿の調略により、
その翌年、源三郎殿も酒井殿の姫君も、
三河へ戻られ申した。
が、甲斐から三河は険しい山道。
そこへ真冬の豪雪に見舞われて、
逃げる間に源三郎殿は酷い凍傷に罹り、
足の指の多くを失って、
以後、歩くことさえままならず」

 「もしや、今もって療養の身……」

 信雄は膝の上に置いていた両の手をぐいと握り、
目を真っ赤にした。

 「武田家中で源三郎殿を囲っておったのが、
何を隠そう、秋山虎繫。
岩村御前を正妻として城まで盗んだ秋山が、
源三郎殿、酒井殿の姫、
御二人を、かつて手元に置いていた」

 「秋山が。何たる因縁……」

 信雄の拳が尚も強く握られた。

 

 
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