第352話 秀吉との酒宴(1)銀と祥

文字数 1,646文字

 六大夫の行方が判明したことは、
身を寄せた先が毛利家の旗の許にある村上水軍であるにせよ、
信長にとり一定の得心であったようで、
夥しい歳暮の品々の返礼も兼ね、
信長は秀吉と夕餉を共にすることとし、
信長、秀吉、両人共、けして酒を好む(たち)ではないが、
この日は南蛮の葡萄酒が御膳に乗った。

 宴は生臭い話は抜きで和気あいあい、
また向上心の強い秀吉が暫く前から師について習っている
猿楽の(うた)いも披露され、
時に音が外れようとも
独特の皴枯れ声に味があるといえば味があり、
鳴物を受け持った石田佐吉、
福島市松、加藤夜叉若はなかなかの腕前に聴こえ、
仙千代も面白く聴いた。

 六大夫の安否という貴重な報せをもたらし、
多大な進物を持参した秀吉の面目の為、
広間には先程の巨大な白熊はじめ、
他にも秀吉が贈った珍奇極まる北の海獣の毛皮が飾られて、
宴の楽し気にして(くつろ)いだ雰囲気をよく表していた。

 内輪の席であるとして仙千代らも相伴にあずかって、
給仕は長頼はじめ同席した近侍の児小姓(ここしょう)が受け持った。
 そこには銀吾(ぎんご)
祥吉(しょうきち)という仙千代の弟達も居た。
 
 市江兄弟同様、男子余りの家に生まれた仙千代は、
物心つかぬうち万見家へ養子に出された。
 実の父母は既に他界し、
兄達が織田軍尾張衆の遊軍として働いている。
 弟二人は縁を頼って外へ出て、
現在数えで十二の銀吾は医道に携わる熱田の郷士の家へ、
祥吉は古渡(ふるわたり)の古刹へ、
それぞれ預けられ、養育されていた。
 兄である仙千代が信長の近侍となって
一族郎党の誰より出世を遂げていることから、
信長の薦めによりこの晩秋、
銀吾、祥吉も万見家へ入り、同じ苗字となった。
 熱田と古渡は一里かそこら、目と鼻の先である上、
二人は医家と仏門という環境にあって時に交わりがあり、
岐阜で共に暮らすようになると、
(たま)につまらぬ喧嘩めいたことをしながらも、
一つ違いの銀吾と祥吉はまるで双子のように気が合った。

 「ほう、この御二人が仙殿の弟でござるか」

 秀吉は銀と祥に満面の笑みを向けた。
 たとえ重臣や将軍、いや、信忠や奥方達であれ、
信長への目通りは取次の判断に委ねられていて、
今では多くの場合、仙千代を通さねばならない為に
秀吉が仙千代の幼い弟達にまで
機嫌を振り撒いているのだと見て取れた。

 「御城へ上がり、間もないはずでござるが、
作法を良う存じておられ、流石流石。
 我が縁者の市松、夜叉若なんぞ、
職人の子ゆえ、まさに山出しの猿。
 小姓に仕立て上げるまで佐吉が兄分として、
どれだけ辛抱重ね、教えたか。
 いやはや、たいしたもの。
 また名が宜しいですな。
 (しろがね)(さち)
 賢そうな顔に良う似合って」

 仙千代がそうであったように、
歯が浮くような世辞を面と向かって言われることなど
慣れてはいない弟達で二人共、
返す言葉が思い浮かばぬのか、
銀吾は目をシバシバさせ、
祥吉は耳まで真っ赤になりつつ、
黙々と空の皿を下げたり、椀に飯をよそったりした。

 「筑前。左様に揶揄(からか)ってやるでない。
 (ぎん)は武家にして名医の家、
(しょう)は室町初期からの古寺に居って、
二人はなかなかの博識、
しかも幼時から武術を嗜んでおり小さな武士じゃ。
 なれど右も左も分からぬ城勤めに入ったばかり。
しかも新年には安土へ移り、
またも暮らしが変わるのだ。
 普請場では銀も祥も忙しく立ち働かねばならん。
 筑前。
縄張り奉行として、厳しくも温かく、
銀はじめ、年若い家来衆を良く指導してやるように」

 外に対して強面を崩さない信長は一方で、
非常に濃やかな面があり、
そのように振る舞うことが可能であるのも、
信長が生まれて一貫「殿」であったからで、
情愛の深さは同じ理由から直ちに白を黒に変え、
厳しい断罪となるのも一面だった。

 恐縮し、汗を拭う素振りでいた秀吉だったが、
ふと思い付いたような顔をして、

 「時に仙殿。
御親類衆といえば源吾殿、今も独り身でありましたな」

 と水を向けた。

 「そうじゃ、そうであった。
仙。源吾もいつまでも独り身ではあるまい。
 上が(つか)えておっては下も前へ進めぬぞ」

 と信長も秀吉に乗った。
 


 

 
 



 
 






 


 
 

 
 
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