第159話 雷神と山中の猿(10)反物③

文字数 746文字

 男女の隔てなく人々を出頭させた信長は、
岐阜から用意していた木綿二十反を村の者に預け、
反物の半分を費用に充てて近所に小屋を作り、
猿を住まわせ、
残り半分も使って、
飢え死にせぬように皆で面倒を看るよう告げた。

 更に、

 「近隣の村の者達は麦の収穫時に一度、
米の収穫時に一度、
全員が毎年少しづつ持ち寄って、
この者に与えてくれれば余は嬉しく思う」

 と言い添えた。

 「無念の常盤御前が眠るこの山中で猿を(たす)け、
神仏の罰が下ることはありますまいか」

 と恐れる村人に信長は、

 「神仏は情けを咎めはせぬ」

 と答えた。
 尚も人々が釈然とせぬ風であるので、
秀政が出て、

 「上様が仰せは斯様なことだ。
浄土も地獄も、
住人の箸は同じで、人の丈ほど有るというが、
地獄では箸が長くて食べられぬと言って腹を立て、
空腹の余り他人の食べ物を奪って争い、
浄土では皆が互いに喜んで食べさせ合って、
楽しく過ごしておるという。
情けとは左様なもので、
上様はそれを仰っておられるのである」

 と、いかにも寺育ちであるように、
説いて聞かせた。

 村人達は納得し、
信長の恩情に「猿」のみならず、
涙を流さぬ者は居なかった。
 また、村を出立時には、
長頼が音頭をとって、
家来衆も幾ばくかの銭を拠出して猿に与えた。

 山中での出来事を後になって知った仙千代は、
信長の情け深さに感じ入り、
信長の喜怒哀楽に心を添わせる長頼や秀政の働きぶりも、
印象に深く刻んだ。

 ……相国寺の隣室では、
信長と秀吉が歓談していた。
 以前、秀吉が小姓達に、
信長は優しい、儂はああは成れぬとこぼしたことを
控えの間で福島市松が洩らし、
受けた石田佐吉が「山中の猿」の話を持ち出した。

 仙千代は、

 「当地に上様が到着後それを聞き、
民を慈しむ御心の発露だと胸を熱くした覚えが」

 と、佐吉に応じた。

 
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