第259話 勝家の夢(4)庄助と久太郎①

文字数 852文字

 浅井家滅亡の折、
信長が秀政を通し聴いたところ、
小谷(おだに)城が落ちるという時、
市は長政正室として命を終える覚悟でいたという。
 これは兄妹の間で、
直に交わされて知った事情ではない。
 過去首尾一貫、
信長が一族の女の心情に分け入って尋ねることはなかった。
 訊いてどうなるというのが自明の理であり、
決定権は信長が持ち、
女達もそれを知っている。
 出された答えを如何に受け止め、
生きる便(よすが)とするのか、
市であれ、犬であれ、
岩村城の艶であれ、
徳川に嫁した徳であれ、
織田家が三度目の嫁ぎ先である濃であれ、
いや、信長にとってさえ、
乱世に生きる誰にとっても平等なる(ことわり)だった。

 とはいえ実家に力があれば
姫は救い出されて家に戻ることがごく当たり前であったから、
城を枕に果てるという市の決意は
長政への思いに他ならなかった。
 
 秀吉の命を受け、城中に入り、
市を説得したのが秀政だった。
 秀政は、
父のみならず母まで失うとは幼い三姫が哀れに過ぎる、
三姫の健やかなる成長には
母堂の存在がなくてはならぬと説いた。
 
 矢雨行き交う戦場での秀政の鋭さを知る信長から見てさえ、
秀政には未だ、寺育ちの故か、
良い意味での抹香臭さがあって、
その醸す匂いはやはり寺に育った牛一こと、
太田又助信定や、
仏門に居たではないが、
明朗にして穏やかな気風を醸す長秀や仙千代と似通っていた。

 今も秀政は雁渡し(かりわたし)の侯の北庄(きたのしょう)で、
温かな気風を纏いつつ述べた。

 「於市様は庄助殿がいみじくも言われたように、
姫君の御養育に日々あたっておられ、
三姫様の日増しの御成長ぶりに御目を細めつつも、
(たま)さか、疲労の色を浮かべておられます。
 何事も時と場合というものがあり、
今の今、直ちに於市様が何処ぞへ越されるのは、
時期尚早に思われます。
 小谷城から、尾張 守山の城へ御身を寄せられ、
守山城主であらせられた上様の叔父君が
長島の戦いで討死あそばされた後は、
岐阜城へ居を移された。
 於市様も姫君達もようよう、
岐阜の水に慣れてきたところかとお見受け致し、
目下、次なる御縁は考えられぬ御様子に思われまする」

 
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