第355話 秀吉との酒宴(4)田鶴

文字数 1,345文字

 秀政は時に思い出しつつ「事情」を語った。

 「親族で妙齢の女子(おなご)と申せば、
今は田鶴(たづ)のみにて、
田鶴は我が母の実家筋と遠縁にあたる船大工棟梁の娘で、
道三公御存命の折は造船から修理まで注文を頂戴し、
ずいぶん懇意にしていただいておったようでございます」

 信長は厳かに、信忠は泰然とし、
近侍達も聴き入っている。
 秀吉のみ首を突き出すように前傾でいた。

 「いざ合戦となれば棟梁はじめ大工達も
(のこ)(つち)を刀、槍に持ち替えて馳せ参じ、
恩に報いるべく加勢に出、
侍の真似事のようなことをしておったとか」

 信長が深く頷き、

 「辿れば堀家はかつて大庄屋であったという。
船大工の親類、
しかも道三公に仕えておった一族とはまた興味深い」

 と関心を示すと秀吉が、

 「しかし、はて。
船大工集団が合戦に加わっておるとは、
昨今、耳に致しませぬが」

 と点いた。

 秀政が応えた。

 「はっ、まさにそこでございます」

 話が佳境に入る前段だと察し、
一同、秀政を注視した。

 「(さかのぼ)ること(およ)そ十五年。
田鶴は八つか九つか、
一家、郎党、村ごと焼討ちに遭い……。
 山間の小さな集落。
そこへ武田がやって来て応戦むなしく……。
 燃え盛る家を兄なる者に手を引かれ、
田鶴は逃れ出ると川へ身を潜め、一命をとりとめた。
 道三公は弔い合戦に出て武田を追い払ったものの、
大工も百姓も力ある者は死に絶えた村。
 帰る場を失った田鶴兄妹は我が家に身を寄せ、
兄は療養の甲斐もなく、
火傷(やけど)に苦しみ亡くなりました。
 田鶴は縁を頼り、
母の実家の養女となって今に至る次第にて。
 尚、一度と嫁には出ておりません。
 火傷で塞がった右の指が離れなくなり、
丸く拳を握ったような状態で箸も持てず。
 また母が申しますには身体にも痕があるようで、
無理に嫁ぐことはない、
そのまま伊藤家で終生暮らせば良いと」

 大きな合戦は歴史となって勝者は英雄となる。
 田鶴の故郷は戦場となり、ただ消えた。

 信長の顔色を見つつ、長頼が口火を切った。

 「十五年前。桶狭間の合戦。
 尾張へ攻め込んだ今川を上様が討たれた。
 美濃は国境が流動化し、
今以上に不安定な様相であったと聞く。
 そのような不幸が田鶴殿の身の上に」

 信長の思いを代弁するかのような長頼の言葉に続き、
竹丸こと秀一が、

 「して、田鶴殿は御健勝でおられますのか」

 と問うと秀政は、

 「右は固まり、拳骨のようなれど、
左は不自由ないと言い、
家事から百姓仕事まで行い、
しかも精進をみせ書に於いては伊藤家随一の腕、
ここぞという時の筆はいつも田鶴によるもの」

 と明るい表情を見せ、

 「田鶴は美人ではございませぬが、
悪童に虐められようが、
心ない大人の陰口を耳にしようが、
心折れる様子を見せることなく振る舞って、
いつも笑顔が飾りとなって、()女子(おなご)
 心根だけは美人でござる」

 ここで秀吉が唐突な大声を発した。

 「何と何と!いや、天晴れな!
田鶴殿は流石、菊殿の親類衆、
女人なれど心は(もののふ)、たいしたもの!
 藤吉郎、感に堪えませぬ!
 菊殿の母君がそこまで思い入れる程の娘御、
いやはや一度お会いしたものでござる!」

 仙千代はすべての事情を嚥下して、
消化しようと頭を巡らせた。
 しかしその速度を上回り、
秀吉は進んでいく。

 信長がびしっと扇を閉じた。
 一瞬にして場のすべて、信長が支配した。

 





 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み