第123話 早舟(1)蹴鞠会

文字数 823文字

 天正三年 水無月二十七日、相国寺。
 
 大和から京に入った仙千代は、
旅装を解いて早々、
岩村城攻めで水晶山に陣取っている三郎に、
今回肌身で感じた大和の情勢を記しつつ、
巻介の柿の葉茶の件を(したた)めると、
信長の到着を待った。

 仙千代は大和守護 (ばん)直政とは、
無論、旧知だった。
 
 直政は使者として遣われされた仙千代を、
信長の名代として間違いなく遇した上で、
今後必要とあれば、
いつでも何なりと助け、支える用意があること、
また巻介はじめ、人員も用いて良いと、
最大限の支援を申し出て、
仙千代は深い謝念を表した。

 仙千代が義尊との会見を望んだ理由は、
足利家の子である故に、
確かな消息を知っておくべきであるという
信長側近としての思考の他に、
戦火を生き延びた小さな赤子が今どうしているかと、
義昭の名を耳にする度、ふっと疼くせいだった。

 この数日の仙千代は、
大和の奥深さに触れ、身が引き締まるのと同時、
興福寺「秘蔵」の子、義尊との再会が叶い、
学ぶべきところの多い友、巻介と大和路を巡り、
充実を感じていた。
 また今回の信長の上洛には、
別の目的が付随していた。
 天下の政務の為、滞在する京ではあるが、
東宮の蹴鞠の会が来月早々行われるとのことで、
信長は招待を受けていた。
 
 東宮こと誠仁(さねひと)親王は信長の猶子にして、
殿上人、つまり公卿の地位を得ている信長が後見している。
 信長が武田家を滅亡寸前にまで追い込んだこの時期、
親王が後ろ盾の信長を招いて大規模な蹴鞠の会を開催するとは、
朝廷に対する信長の貢献への謝意表明もあるのかと想像され、
硬軟取り合わせの内裏の工作巧者ぶりには、
青い仙千代は、舌を巻く他ない。
 その工作に乗せられるではないが、
事実、今回、
古式に則った昨今珍しい大掛かりな蹴鞠(しゅうぎく)会になるということで、
近侍や警護の馬廻り達は、
会が行われる清涼殿の庭に入ることは出来ないものの、
運良く少しは、覗く機会に恵まれるだろうか、
もし僅かでも拝見できればと、
仙千代の胸はつい高鳴るのだった。

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