第62話 岩村城攻め(6)公居館⑥

文字数 775文字

 信長は一瞬、
何某か想念するかのような目をして、
次には脇息に身を預け、
閉じた扇で二度、三度、立てた一方の膝を打った。

 「ふっ、仙が左様に申すなら、
そうなのであろう。
上杉が武田と組むのか否か楽しみに待つとしよう。
答は遠からず出る」

 よく話した仙千代は喉が渇き、
額に汗が滲んだ。

 「されど、仙千代、
信濃・甲斐の情勢にずいぶん詳しいと見た。
如何なる手段を用いた」

 「はっ、特別、手段など何も。
ただ、使者として、
武田家へ参じた経験のある日根野殿より、
折に触れ、様々に伺っておりました。
また先だって、
志多羅にて(よしみ)を得た豊田藤助が、
早速、書き寄越してきたのでございます。
現在、三河、信濃の境は、
鹿さえ行き来が困難な有り様、
行商人や旅人が困っていると。
その意味するところは?
逃げ帰ったはずの勝頼が早くも体勢を整え直し、
守備を堅くして、三河からの浸食を、
一寸たりとも許しはしないという意志を見せつけている。
若輩の推測には過ぎませぬが、
藤助の文面を左様に読んだのでございます」

 国は争っていようとも、
衆生の日々の暮らしは別のところで成り立っており、
三河と信濃の民は交わりがあった。
 ところが武田軍は惨敗から間を置かず、
国境警備を厳重にして、封鎖した。
担ぎ屋から乞食、旅僧まで、
三河と信濃の往来は不能となった。
藤助の手紙(ふみ)にはそのように記されていた。

 「敗戦から間もなくしての立て直しの早さ、
そこに勝頼の才覚と武田の地力を見たと。
ふむ、儂に知らせなかったな」

 信長が不機嫌な顔を作ってみせた。

 「何をお知らせすれば。
上様は大局を見ておられます。
日根野殿や藤助とのやり取りを、
逐一御耳にお入れしたならば、
煩わせるだけではないかと
案じましてございます」

 もちろん言い負かすつもりなどありはしないが、
結果的に口ごたえをするような形になってしまい、
仙千代は内心、吐息をこぼした。



 
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