第409話 三人の道

文字数 1,260文字

 信長がまたも笑った。

 「何じゃ、酒より菓子か。
此度は殿に軍配が」

 信忠も、

 「どれ、舐めてみよ。
海の向こうから来た菓子じゃ」

 と小弁に笑んだ。

 小弁は一つを口に入れ、声にならぬ声をあげ、
おそらく生涯初めての純な甘みを噛み締めた。

 童はいずれ信忠に仕えることになるのだろうと
宴の誰もが予感した。
 文字さえ解さぬ無学者とはいえ、
幼いからこそ道は未踏で自身が拓いてゆけば良いことだった。

 仙千代は、

 それこそ京の公家に行ったなら、
慰み物にされ、終いには放り出されるとも限らん、
が、ここでは誰にも居場所があって、
努力、才覚次第では一国の主にも成れる、
それが上様と殿が率いる天下の織田家……

 と心中で信長、信忠に頭を垂れた。
 
 やがて夕刻、万見邸へ退いた後、
夕餉の後、談笑の場で小弁は賢明を見せ、
富豪からの金子(きんす)を何に使うかと銀吾に問われ、

 「墨、筆、紙、あと、木太刀を。
もしここに居っても良いのなら」

 と願いを伝えた。

 「着物も買えるぞ」

 「帯や草履も」

 と虎松、藤丸。

 小弁は頭を振った。

 「着るものはこれで()え。
帯も草履も今は足りとる。
 金が余るなら儂の飯代に。
儂は何の役にも立っておらんじゃけ」

 と巾着を仙千代に両手で向けた。

 「飯代なぞ要らぬ。
ここでは腹いっぱい食えるのだ。
 先達の皆様によく教わって、よく働けば、
飯も軒もあてがわれるのだ。
 その着物はやろう。
が、一着ではな。
 馬の世話も草履の番も上様や殿の御目には入る。
手頃なものを用意してやる。 
 金子(きんす)の残りは取っておけ。
紙も墨も減るもの故な」

 小弁はこっくり頷いた。

 信長と仙千代の間で高橋兄弟、山口小弁の配属が、
翌日に決まった。
 安土への引き移りを控える今、
何事もいつにも増して早急に進める必要があった。

 虎松は信長の小姓となった。
御狂いで信長を捕えた縁が採用された。
 藤丸は小弁と共に岐阜へ残り、
信忠に仕える。
 兄弟を一緒にしておくことも一計ではあった。
 が、家督を継いだ信忠には一人でも多く有望な若者を付け、
独自の家臣団形成が望まれるところでもあった。
 また兄と弟を分けて置けば、
信忠が伊勢の北畠家へ養子で出ている次弟と書簡を交わし、
情況を報せ合っているように、
表立っての連絡網とは異なった効果の期待もあった。
 小弁については現況、文盲の上、
木刀ひとつ振り回せぬ身で、
下働きである小者(こもの)勤めさえ難しく思われる有様ながら、
その機敏と視力の良さに目を付けた佐々(さっさ)清蔵が、

 「見どころがある。
武辺で名を為す佐々家のこの清蔵が太鼓判を。
 小弁はもしや、化けるやもしれませぬ」

 と預かりを申し出て、
従妹(いとこ)(つま)に迎えたばかりの清蔵が、
家人(けにん)としてまず雇う形となった。

 その際、清蔵は三郎に、

 「小弁は殿からの預かりものと思召(おぼしめ)し、
この儂が袖を重ねることは金輪際なき故、
安心なされよ」

 と伝えたといい、
三郎は複雑な顔を隠さなかったということだった。
 袖を重ねるとは勿論、夜伽を指している。
 清蔵の言い様は小弁が信忠の愛童であり、
末は小姓となる可能性を告げるものだった。


 

 

 


 
 
 

 
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